2015/02/28

2015/2/27-28

2/27
ドバイを経由して23時頃帰国。

特に書くことがないが、機内ではベイマックスとワンチャンスという映画を見た。
どちらも良かった。
特に後者はあまり期待していなかったが、かなり感動的だった。
実はオペラが好きなのかもしれない。

一旦東京に居候する。

2/28
荷物の整理をした。
いずれ東京に部屋を借りるのでしばらく一部の荷物は置かせてもらうことにする。
昼食は食堂もり川

池袋に買い物に行き、SIMカードを購入。
ぷららLTEでテザリング生活をしようかと思ったが、売っておらず、Amazonでも在庫が無いようだったので諦めて従来同様携帯の通信用にbmobileのSIMを購入した。

夕食は山手。

しかし店員に機種を見せて教えてもらったSIMのサイズが間違っており問い合わせることになった。
なかなか面倒なのでSIMサイズの変換アダプタを買って自己解決した。

このブログは結構書くのに日々時間がかかっているが、別のことに同じ時間で結構すごいことが出来るのではと思ったので、しばらく毎日更新はやめにしようと思う。
3月中は適宜更新で、それ以降の措置は後々考えたい。

明日は午前中に稽古に行って、午後も後輩の追い出し稽古に行く。
明後日が健康診断なので程々にしておく。

2015/02/27

2015/2/26

11時間ぐらい寝て8時頃起きた。

部屋のものをだいたい全部捨て、9時過ぎに管理人によるチェックを受け、無事に退出。
寮の友人に後で会う約束をして、とりあえずビスマルク広場周辺のスタバに向かった。
結局4時間ぐらいいたのだが、後半はネットの接続がいまいちでただぼーっとしていただけであった。

14時前に友人と合流し、昼食はたまに行っていた店でピザを食べた。
残金が1ユーロを切る。
日本の労働環境についての話とかをしていた。

それから駅前に移動して、電車の時間までマクドナルドで雑談。
17時13分の電車でマンハイムを経由し、フランクフルト空港に向かう。
また日本で会えると良い。

ターミナル2に移動して無事チケットを入手し荷物をドロップした。
今はドバイ行きの飛行機を待っているところである。

これから約6時間かけてドバイへ、3時間弱のインターバルを挟み、更に9時間半かけて羽田に向かう。
日本の27日をほぼ移動に費やす形となる。
時差ボケとエコノミー症候群に気をつけよう。
あまり帰国する実感はないが、今のところでは、そんなに全体的に久しぶりという感じがしないんじゃないかと予想している。

帰国後は色々やることが山積しているが、一つずつこなしていくしかない。
今日はネット環境を検討していたが、LTE無制限SIMでのテザリングが有力である。

2015/02/26

2015/2/25

7時に起きる。
朝食はパンとミントティーとオレンジジュース。

チェックアウトしてタクシーでカサボヤージュへ。
フロントで25ディルハムと聞いていたが、メーター使用で10ディルハムで着いた。
空港まで二等席で移動。特に問題なし。

航空券を入手して、サンドイッチを食べながら出発を待つ。
ゲートでしばらく寝ていた。

モロッコ時間の11時頃出発して、ドイツ時間の16時頃に到着。
機内ではJavaの課題を出来る範囲でやっていた。
ガラガラで両隣が空いていた。

それから電車の接続などの関係で、寮に戻ったのは18時頃。
以前貰ったポテトチップスを食べ、荷造りをする。
意外と荷物がパンパンなので寝間着などは捨てていくことになった。
シャワーを浴びて夕食のため外出。
残念ながらこの時期は学食は閉まっているようで、以前美味しかったカルボナーラをまた食べに行った。
前回ほどの感動がなかったのは単にそんなにお腹が空いていなかったからかもしれない。

21時頃帰宅して、さっさと寝ようというところ。

明日は9時過ぎに寮の退出確認をする。
それまでに寝具なども処分せねば。
それ以降は特に予定がないので、図書館にでも行っているか、荷物を預けて散歩でもしているだろう。
座りっぱなしは辛い。
ドバイ行きのフライトは20時15分にフランクフルトを発つ。
羽田には27日の23時前に到着予定である。
時差ボケ対策のため、前者のフライトではひたすら寝て、後者では少なくとも後半はずっと起きているようにしていようと思う。

2015/02/25

2015/2/24

9時頃起きた。
宿で質素な朝食をとり、メディナの中をお土産を求めて彷徨う。

しかし、相当ふらふらしたが既成品が多く、どこの店でも同じような商品を扱っていたのが若干残念だった。
最終的には絵を買った。

途中で、ガイドではないしお金もいらないという人に皮なめしの作業場まで連れて行かれたため、帰りに盛大に道に迷った。
なお実際はこの辺りに良くいるらしい勝手ガイドだったので、後にガイド料を請求されたが、言質に厳しい人間なので当然払わなかった。
後に屋台でも3で良いと言ってきたのを後から4だと言われたが、これも同様に拒絶した。
法的に考えて間違ってないと確信できれば強気にもなれるものである。

一通り回ってからタクシーで駅に向かったところ、次の電車まで2時間弱時間が空いた。
とりあえず昼食にイタリアンでまたもシーフードのパスタを注文。
安定して美味い。
その後喫茶店でしばらく時間をつぶす。

14時45分発の電車でカサブランカのカサボヤージュ駅へ向かう。
道中はドイツ語の勉強をしていた。ほぼ一冊が終わったところ。

18時頃に到着し、そこからホテルまで歩くことを試みた。
途中でトイレへの行きたさから喫茶店に入って現在地を確認したら若干見当外れなところにいたので軌道修正し、ぐいぐい歩く。
最終的には19時半頃辿り着いた。

チェックインして荷物をおき、一応カサブランカ観光ということでハッサン2世モスクを観に行った。
なかなか見えてこず、やめようかと思った辺りで空を分断する緑の光に気付く。
光線の麓にはミナレットがあり、どうやらメッカの方向を指しているようだった。
光のもとに向かってひたすら歩いて行くと見つかった。
相当でかい。
ただ残念ながら時間の都合か、はたまた旅行者だからか中はちらっと見ることしか出来なかった。
噂によるとツアーの時間が決まっているようだ。

宿まで走って戻ると10分程度で着いたので、せいぜい2km程度だったようで、そのまま夕食にする。
魚のタジンを頼んだ。
明らかに電子レンジで調理しているのが残念だったが、まあ気にしないことにする。
タジン鍋はなるほど電子レンジ調理に向いているような気もする。

その後、諸々の事務作業をしていた。

東欧ではロシア語系の話者が多く、北アフリカはフランス語とアラビア語が主流のため、英語しか話せないことに若干の肩身の狭さというかコンプレックスを感じなくもなかった。
とりあえずドイツ語はそれなりのレベルになるまで続けたいものだ。
そうすれば外国語の勉強法が分かったといえるようになる気がする。

明日は11時前のフライトでフランクフルトに戻る。
空港までの電車が1時間に1本で、チェックインを2時間前までとか、空港までの電車が出る駅まで電車で行かないといけなかったりで、何だかんだ早起きしないといけなさそうである。
カサボヤージュまでタクシーで行くのが無難か。
ドイツに帰ったら、荷解きというか、詰替えをして退居の準備をする。

2015/02/24

2015/2/22-23

2/22
6時半前に起きる。
集合場所とされたカフェ・ド・フランスに向かう。
今日も屋台のオレンジジュースを飲んだ。

10分弱遅れて送迎がやってきた。
しかし、少し移動して更に30分ほど待たされた。
それからツアー会社のオフィスに移動し、残金を払ってバスを乗り換えた。
どうやら無事に参加できるようで良かった。

バスはアトラス山脈を越えてザゴラを目指す。
途中で写真のためなどに何度か停止し、昼過ぎに世界遺産のアイトベンハッドゥを訪問。
1時間半ほど歩いて川を越えたり要塞に登ったりした。
とにかく風が凄かった。
その後昼食はクスクスを食べた。カレーに似ていて食べやすかった。

それから一回写真タイムを挟み、17時過ぎにザゴラ着。
水を買って、ついにラクダに乗る。
といっても人生三回目ぐらいである。
今回は30分ぐらい乗っていたが、足を乗せる場所が無いのでちょっとした拷問を受けているかのようだった。
キャンプに到着後は、お茶を淹れてもらい、夕食にタジン鍋を食べ、焚き火を囲んで歌ったり踊ったりしていた。
なかなか楽しかった。

星も綺麗である。

夜はさっさと寝たが、寒すぎて二度ほど目が覚めた。
朝4時頃トイレに行くと月も沈んでいて星が一層綺麗だった。
また日本でも星を観に行ったりしたいなと思った。

2/23
7時半頃に同じテントの人に起こされ、朝食。
ベルベル人の朝食という触れ込みだったが、パンとはちみつ、バターという質素なものだった。
再びラクダに乗って道路まで戻る。
僕の乗っていたラクダは良いんだが、後ろのラクダは常によだれを垂らしていたので、カバンとかにかからないか冷や冷やしていた。

バスはしばらく進んで昼頃にワルザザートで2時間休憩。
昼食は肉団子のタジンにしてみた。
その隣の映画博物館にも行ったがそんなに面白くはなかった。

そのままマラケシュに戻る。
18時半頃着。

フナ広場まで戻って夕食。
適当な客引きに連れられて、揚げた魚を注文。
ついでに好奇心から羊の脳も食べてみた。味はない。

それから一昨日泊まったホステルに行ったが、あいにく満室らしく、近くの別の宿を紹介された。
そこにチェックインし、即座にハマムを紹介してもらい、そこまで連れて行ってもらった。

ハマムとマッサージをお願いしたが、ハマムは色々凄かった。
ある意味ひどい目にあった。

21時半頃に宿に戻り、明日の予定を考えていた。
カサブランカはどうも大して観光するには面白くなさそうだ。
そして微妙に電車で中心部に行くのが面倒っぽい。

かくして100のリスト改のうち「サハラでラクダに乗る」は達成されたのであった。

明日はとりあえずマラケシュのスークとかをうろうろしてお土産を物色し、適当に切り上げて電車でカサブランカに向かう。
着いたら適当に観光するだろう。
接続が悪いと普通に夜になる可能性もあるが…。

2015/02/22

2015/2/21

8時頃起きた。
例によって質素な朝食をとり、チェックアウト。

タクシーを拾おうとするが、大通りが通行止めでしばらく歩く。
乗ったタクシーはスマホのながら運転で冷や冷やした。

空港には9時半前に着き、無事チケットを入手。
それから余ったディナールで買えるお土産を物色。
相当悩んだ末にグラスとかを買った。

11時半発のフライトで、カサブランカには13時過ぎに到着。
時差を考慮すると2時間半ちょっとかかった。
ロイヤル・エア・モロッコの機内食は割と良かった。

空港で度重なるセキュリティチェックとパスポートチェックを経て、地下の駅に向かい、マラケシュまでのチケットを購入。
1等で200MAD(約2500円)だった。
それは良いんだが、売店で買ったサンドイッチと水が明らかに高すぎたのが気になった。
最初お釣りもちゃっかり渡そうとしなかったので怪しい店である。

13時55分にカサブランカ空港駅を出て、30分かそこらで乗り換えの駅へ。
14時50分発のはずが15分遅れで来て、マラケシュには18時20分頃着いた。
電車のトイレが完全にただの筒だったのが面白かった。

そこから地図とメモを頼りに宿を目指して歩き始める。
途中までは合っていたと思うが、どこかで歩きすぎて道に迷う。
路上の地図を頼りに修正し、疲れたところでwifiのあるレストランに入る。
鶏のタジン鍋とバナナオレを注文。無難に美味しい。
現在地を確認して宿に向かった。
恐ろしいことに近くまで行っても看板も標識も何もなく、聞かなければ完全に分からないような場所だった。
中は薄暗くシーシャを吸ってる人々がいて、本当にホステルかと疑ったが、ホステルだった。
1泊800円ぐらいの割にウェルカムドリンクで紅茶が出てくるなどして良かった。
しかし水回りなどは全体的にぼろい。

砂漠ツアーは3人目として参加できるか聞いていたところとは別のところから、より安く参加できるという返事があり、そちらに申し込みデポジットを支払った。
超直前だったが集合場所を無事電話で確認出来たので何とかなるはず。

集合場所を確認がてらジャマ・エル・フナ広場に行ってみたが、非常に良かった。
夜9時過ぎでも活気にあふれていて、ほとんど何でも売っているかのようだった。
僕が旅に求めているものの一つはこれだという感じがした。
集合場所は隠れているわけではないが結構分かりづらいので、予め行っといて良かった。
この広場名物だというオレンジジュースも飲んだ。
飲んでる間に子供の物乞いが3人現れた。

宿に戻り、特に何をするでもなく過ごす。

電車の中で帰国後やることを色々整理していたが、やはりさっさと家を決めるに限る。
1週間以内に引っ越したい。
そして小洒落た部屋にしたい。

そんなわけで明日明後日はツアーでサハラ近くのザゴラまで行って戻ってくる。
本当はメルズーガという街まで行けるとより本格的な砂漠が楽しめるらしいのだが、2泊3日になってしまうので日程的に断念。
色々寄り道しつつ砂漠まで行き、ラクダに乗ったりテントに泊まったりして、明後日の夜にマラケシュに戻ってくる。
集合は7時なのでさっさと寝る。
無事ツアーに参加できると良いなあ。

2015/02/21

2015/2/20

8時頃起きたが、特に急ぎの用もなくごろごろする。
ただ水分不足だったので、そのためにホテルの朝食をもらいに行った。
フランスパン一切れと紅茶かコーヒーという驚きの質素さだった。
追加で100円ほどで飲めたオレンジジュースは良かった。

モロッコのツアー会社に打診メールを打つなどしていて、10時過ぎに出発。
まず銀行によって印紙を買おうとしたが、隣の店に行くように言われる。
そこにはウェスタンユニオンがあった。確かに扱ってそうだ。

その後駅まで歩き、近郊列車でまずSalammbo駅へ。
海側のトフェを見学。
生贄にされた子供の墓地らしい。
散歩には良い天気だった。

また電車に乗って、昨日も行ったHannibal駅で降りる。
坂を登って博物館へ、といっても半分以上屋外だった。
キリスト教っぽい像があって不思議だったが、ローマに滅ぼされた後に属州になったのでさもありなん。

それから駅まで戻り、更に海側に行ってアントニヌスの浴場を見学。
遺跡の中を歩き回れて良い。

その後、電車でチュニスまで戻る。
昼食の店を物色するも、最初の店はメニューが2種類しかない上にやたら高く感じたので敬遠。ただコースだったからかもしれない。
次の店は値段はやや安くメニューは豊富だった。
ミックスグリルを頼む。レバーが多かった。

そこからタクシーでバルドー美術館へ。
モザイク画が大量にあった。よく出来てる。
普通のタクシーだった。

トラムみたいなメトロで中心部に戻る。
メディナと呼ばれる旧市街へ。
思ったより土産に良い物が無かったので何も買わず。
宿に戻る。

少し休んでから再出発。
近くでシーフードのパスタを食べた。
結構良かった。

その後、戻ってモロッコ旅行の準備をしていた。

意外とお金は良い感じでなくなっているが、それでも残り日本円で2000円弱はある。
空港でお土産でも買うか。

いよいよ今回の旅行最後の国、モロッコに向かう。
楽しみだが客引きなどは相変わらず鬱陶しそうである。
チュニジアでも声をかけられることが多い。
だいたい挨拶しただけで友達のふりをしてくる輩の”My friend”は"Money"と同義ぐらいに考えておけば良い。

砂漠ツアーに参加出来るかどうかが、僕がグループにお邪魔することになる人達の許可待ちということで、まだ分からない。
起きたら連絡が来てると良いなあ。

明日は昼前の便でチュニスからカサブランカへ移動。
着後は空港から鉄道でマラケシュを目指す。
上手く行けば18時頃着くだろう。
ホステルまでは歩けそうなので歩く(タクシーとあまりやり合いたくない)。
余裕があれば広場を見学したりしたい。

2015/02/20

2015/2/19

6時15分頃起きる。
朝食はビュッフェだった。
若干食べ過ぎる。

空港に送迎タクシーで移動し、早々にチェックインを済ませる。
ルフトハンザかと思ったらクロアチア航空だった。
9時過ぎに出発し、1時間半ほどでフランクフルトへ。
慌ただしく乗り継ぎ、チュニスエアーでチュニスに向かった。
だいたい予定通り14時にチュニス着。

さて入国審査が結構並んでおり、時間を取られ、更に空港内のATMが故障しているのかVISAに対応していないのか、現金が引き出せない。
仕方なく10ユーロだけ両替して、出発側にいたタクシーに乗る。
というのは到着側にいるタクシーは多くが客待ちの怪しい連中だと聞いていたからだった。
しかし僕が乗ったタクシーも降りる直前までは、規則正しく良識的なメーターに従っていたが、止まった瞬間にいきなり3倍になるという不連続性を見せつけてきた。
明らかにおかしいので突っ込んだが、運転手は「これがメーターだ」と完全に真顔なのでどうしようもない。さすがにちょっと面白かった。
あいにく小額紙幣も持っていないので、言い値を若干負けたぐらいの額を払って立ち去る。正規料金と比べて600円ぐらいの損害。
なお頼んだ場所には着いていないので同時に迷子になった。

地図も金もなく、どうしようかと思い、ふらふら歩いているとwifiと書いてある店があったので入り、道を聞く。
とりあえずコーヒーを頼んだがwifiはつながらないらしく、あまり意味がなかった。
しかしカフェの店員が自分のiPhoneで現在地と地図を見せてくれたおかげで、道が分かった。
騙す人もいれば助ける人もいるものである。

写真を撮らせてもらい、道を数えながら歩くと無事目的のホテルに辿り着いた。
現金がないのでカードでチェックインする。
予約していなかったがダブルでも空いていただけ良かった。

荷物を置いて、16時頃観光を開始する。
ホテルを出て少し行ったところのATMでは無事に引き出すことが出来た。
ただ勢い余って引き出しすぎた。
どうも再両替は制限があるという噂もあるので困る。
領収書もらわなかったし。

informationでチュニスの地図をもらい、近郊列車でシディ・ブ・サイドを目指す。
なぜか一駅目にたどり着くのだけ20分以上かかり、永遠に着かないのではないかと思われたが、それ以降の駅間隔は精々2,3分だった。
シディ・ブ・サイドは確かに青と白で綺麗だったが、驚くほどのものではなかったので少し残念。
帰りにカルタゴ・ハンニバル駅で降り、遺跡を目指すが道が分からない。
人に聞いて歩くと博物館までは辿り着いたが既に閉まっていた。
仕方ないので出直すことにしてタクシーを拾って中心部まで戻る。まともなタクシーだった。

夕食はその辺のレストランで海鮮ラザニアを食べた。
メニューがフランス語とアラビア語なので読めない。
Bodaとかいう炭酸ジュースがなかなか美味しい。

宿に戻り、自力で洗濯をする。
明後日までに乾くだろうか。

その後、カルタゴの回り方やモロッコの観光について考えていた。

今日は結構ドイツ語の勉強が捗った。
僕の性格上、文法はしっかりやっておきたい。

このブログは4月からどうしようか、と少し考えている。
仕事し始めると書ける内容も減るだろうし、そもそもこれほど細かく一日の記録をつけても見返すことは殆ど無いし、書くのに結構な時間がかかるので、違うあり方でも良いように思える。
公開する必要があるのか、という話もあるな。何でもここに書くと人に話すことが無くなりかねない。
Twitterの鍵付きアカウントで都度書いておけば事足りるような。
ただそれだとログが取れないので、手帳に書き足してくのも悪くない。

旅行情報を調べている途中でイスタンブールのぼったくり等注意喚起の記事に出くわし、1年半前を思い出した。
何というか自分が騙されるのはまあどうでもいいといえば良いが、他の人が騙される話を聞くのは居た堪れないものがある。

明日は午前中にカルタゴ方面を再訪し、午後はチュニス旧市街やバルドー博物館などに行く。
おみやげ類を買いたい。
あとチュニジアは出国時に出国税の印紙を提出する必要があるらしく、銀行などで忘れないうちに購入しておきたい。
遠方にも行きたかったが、さすがに滞在期間が短すぎた。

2015/02/19

2015/2/18

8時過ぎに起き、宿を出てバスターミナルへ。
そこから9時発のシャトルバスで30分後に空港に着いた。
それからが長かった。

チケットを発券するべく、トルコ航空のカウンターを探すと、20人ぐらいの行列。
それだけならまだ良いが一向に進まない。
結局僕が窓口に辿り着いたのは1時間半後だった。
その時は欠航便の振替を事前にしなかった人が多かったのだろうと思っていた。

僕に最初に提示されたのは今日の夜ザグレブ発でイスタンブール滞在時間を短くしたプランだった。
出発まではホテルで休めるという。
とりあえずそれで了承した2,3分後、なんとその便までキャンセルされ、次のイスタンブール経由便は明日の夜発になるとのこと。
さすがにそれまでは待てないので別の航空会社で探してもらう。
結局、明日朝発フランクフルト経由でチュニス14時頃着の、おそらくルフトハンザの便になった。
45分後以降にまた来るように言われたので、もらったバウチャーで昼食をとる。
ちらっと見に行くとまだごった返していたので気長にドイツ語の勉強をしたり昼寝したりして待つ。

結局13時45分頃に窓口に話しかけ、トランスファーのタクシーを待つように言われる。
14時半頃他の乗客と共に空港近くの4つ星ホテルに搬送された。
5時間ほど空港にいたわけだ。

ホテルはまあまあ快適だが、部屋で有線しか使えないのでMacBookには不適。
公共エリアのWifiはよく切れる。

もしかしたら夕食も航空会社持ちになるかもしれないという話があったので、近くの店で水とパンだけ買い、寝たり勉強したりしながら待つ。
結果、夕食も支給されることになった。
朝食も含まれているので都合3食提供されている。

それまでモロッコの滞在プランを考えるなどしていた。
マラケシュから1泊2日で砂漠に行きたいが良いツアーが見つかるかどうか。

折角ホテルに泊まるので、久しぶりに湯船に浸かろうと思い、お湯を張ってみた。
後で入る。

明日は無事に行けば、14時過ぎにチュニスに着くはずである。
さっさとタクシーで中心部まで行き宿を探し、無理矢理カルタゴとシディ・ブ・サイドを見に行きたい。
如何せん時間が足りないが、さっさと見て廻るのは僕の得意とするところである。

2015/02/18

2015/2/17

7時頃に目を覚ますと寝ている間にExpediaから連絡しろというメールが来ている。
どうやら改めて依頼しないと代替便は確定されないらしい。
仕方ないのでSkypeをつなげる。
30分以上のなんやかんやの末、結局イスタンブール行きが翌日昼の便、チュニス行きが翌々日朝の便となった。
到着が丸一日ずれ込んだこととなる。

それから宿代をもう一日分支払い、今日の予定を考える。
既にこの宿には僕しかいないらしい。
折角なのでプリトヴィツェ湖群国立公園に行こうかと思ったが、やはり冬は夏ほど綺麗では無さそうで、かつ寒いらしいので、ザグレブをゆっくり見て廻ることにした。

市内交通の1日券を買い、中心部っぽいところに向かう。
ザグレブは貰った地図によると上部と下部に分かれているようで、まず下部からぐるっと歩いた。
朝食はパン屋で買ったサンドイッチ。10クーナ(約170円)。
噴水や広場を抜けて、北にずっと進むとイェラチッチ広場に至る。
その近くにあった通りでカフェに入り、例によってエスプレッソを飲みながら計画を立てるなどする。

その後同じ通りをもう少し歩き、レストランで昼食。
串焼き(シャシリーク)とライスで65クーナ。ちょっと高い。
食後、名前を忘れたが20クーナのクロアチア風ドーナツ(丸い)を食べた。

広場に戻って世界一短いケーブルカーとやらに乗ろうとしたら、どうも運休のようだった。
そこでクロアチアの新聞社を名乗る人に名前と出身、ザグレブに何日いるのか(1日)だけ聞かれてやたら写真を撮られたが、いったい何にどう使われるのか…。

ケーブルカーの隣の階段を2分程登ると上部の街に着く。
すぐのところにある失恋博物館(確かBroken Relationship Museum)に入ってみたが、めちゃくちゃ面白かった。
思い出の品とエピソードが展示されているのだが、まさに人間ドラマである。
じっくり見て、併設の喫茶店でお茶を飲んでいたら15時過ぎになっていた。

そこからふらふら歩き、ナイーブアート美術館や石の門、ザグレブ大聖堂を見学。
墓地に行くのを忘れていた。
夕食をどうしようかと思ったが、意外とお金を使っていたことに気付いたので、マクドナルドで済ませた。
トイレに行きたかったというのもある。

そんな感じで割と早めに宿に戻り、特にすることがないので時間を持て余していた。
チュニジアはとりあえず行きさえすれば何とかなりそうな気がしてきた。
カルタゴとシディ・ブ・サイドは電車で行けるようなので、チュニスと合わせて到着日に周り、翌日は日帰りでスースあたりに行きたい。忙しくなってしまった。

家探しを考え始めたが、基本的には不動産屋に飛び込んで探すべきもののようなので、特に進まない。
駅の近くが良い。
あとホームパーティを切にしたいので、キッチンがそこそこ広いことと外観がぼろすぎないこと、音が響きにくいことなどが重要である。
意外と狭くても人は入る。

イスタンブールに18時間ほど滞在しないといけないのだが、トルコ航空のトランジットホテルサービスが使えないかカウンターで要確認である。
最短のスケジュールで10時間以上ないと使えないのだが、状況的に認めてもらえても良い気がする。
せめてラウンジぐらい開放してくれ。
1年半ぶりにイスタンブールの街に繰り出しても良いが、そんなにしたいこともない。
まあいずれにせよ暇なので着いてカウンターで相談してから決めよう。
元々は空港泊の予定だったし。

明日は8時半頃チェックアウトし、バスターミナルへ向かい、空港に移動。
無事に行けば12時過ぎの便でイスタンブールに向かう。所要2時間程度。
その後は未定であるが、一泊して翌朝チュニスに飛ぶ。

2015/02/17

2015/2/16

朝9時頃起きた。
体調はまあまあマシになった。
しばらく情報収集して10時頃に宿を出る。

ザグレブのバスステーションまで移動し、とりあえずリュブリャナ行きの片道チケットと、翌日のプリトヴィツェ(湖群国立公園)までの片道チケットを買う。
後者はなぜか往復で買えなかったが、後にそれが不幸中の幸いとなる。
リュブリャナ行きバスまでケバブを食べて待つ。

11時半発の便でスロベニアの首都リュブリャナに向かう。
クロアチア国内ではwifiが使えたので、プリトヴィツェの帰り便について調べてたが、どうも夜のイスタンブール行きフライトに間に合いそうにない。
シーズン中はあるのか分からないが、昼発のバスがあればまだ2時間だけ滞在して戻るとかも可能だったのだが、早くて16時45分発19時ザグレブ着の便なので、バスステーションから空港まで3,40分かかることを考えるとさすがに無謀である。
そんなわけでプリトヴィツェ行きのチケットは使えないこととなった。

リュブリャナには14時過ぎに到着。
さてポストイナ鍾乳洞に行こうと思い、時刻表を確認するとこれも結構怪しい。
次のバスが15時発で、片道約1時間、そこから歩いて25分ぐらいのところにあり、中を見るのに1時間半ぐらいを要する。
リュブリャナ発ザグレブ行きの終バスは21時05分だが、それに間に合うポストイナ発リュブリャナ行きのバスは18時過ぎが最後であった。
バスチケット売り場の人にも、ザグレブに帰るかポストイナに行くかどちらかを諦めろと言われる。
一応ポストイナ・リュブリャナ間は電車もあり、19時の電車であれば滞在時間を確保できるはずだが、ポストイナ駅は鍾乳洞から40分ぐらいのところにあることと、行ったとしてもガイドツアーがやっておらず入れない可能性があることを考えて、こちらも結局やめることにした。

そんなわけで大人しく、今日はリュブリャナを明日はザグレブを観光することにした。

リュブリャナは小さい街である。
バスで来る時に見かけたドラゴンの立っている橋まで10分程度戻るとおそらく既に旧市街となる。
時間は割とあったのでまずカフェでカプチーノ(最近良く飲む)を飲みつつ、ゆっくりする。
それから川沿いを歩き、教会の前まで辿り着く。
Informationで地図を入手し、ついでにおみやげを物色。
更にぐるぐる歩く。
途中でパルクールを練習している人々を見かけた。実際見たのは初である。
期間展示っぽい広告デザインみたいなものも観た。
18時過ぎにバスステーション方面に戻り、夕食。
適当に入った店がVeganのレストランだった。何というか優しくなりそうだなと思った。

さてザグレブまでの帰りのバスは19時20分のはずだったのだが、一向に来ない。
近くに立っていた人に話しかけて暇を潰す。
韓国の学生でオランダからイタリアあたりまで南下しているらしい。
ちょうど明日プリトヴィツェに行くらしいので、僕の要らなくなったチケットをあげたら代わりにオレンジをくれた。
バスはイタリアから来るためいつも遅れるらしく、結局30分後ぐらいに来た。
帰りのバスでは留学報告書を書いたり、ブログを書いたり、新居の条件を考えたりしていた。

意外とブログを書くのに時間を使っているんだなあというのが分かる。
まあ特に旅行中は一日色んな事があるので仕方ない。
メモ代わりにオフィスソフトを使っていると語数が表示されるが、いつも原稿用紙数枚分は書いていると考えると我ながら良くやるなって感じだ。

ポストイナやプリトヴィツェに行けなかったため、若干酸っぱいブドウみたいなところがあるが、色んな地域を訪れていると、日本にもまだまだ隠れた(僕が知らない)観光名所が結構あるんだろうなという確信が強まる。
特に僕は絶景が好きだが、美しい自然はかなりありそう。
例えば日本の絶景を調べていて大分に水中鍾乳洞があることを初めて知ったが、撮られた写真を見る限り相当魅力的にも関わらず、公式HPは日本語と韓国語のみ対応であまりパッとせず、何というか見せ方は大事だなあと思った次第である。
それっぽいキャッチフレーズを付けて動線を外国語対応させれば、わざわざそのために海外から来る人が現れ得ると思うんだが…。
観光立国頑張って欲しい。

将来バックパッカー宿を経営したりするかもしれないし。

バスは意外と早く22時前にはザグレブに着いた。
そのまま宿に戻る。
チュニジアのことを考えていたが、高級な宿しかネット上では見当たらないようなので、現地で探すことにする。幸い到着は午前なので。
中級ホテルぐらいが良いなあ。

明日は10時ぐらいにチェックアウトし、ザグレブを観光する。
まだほぼ調べていないがどうにでもなるだろう。
夜は20時15分の便…と思って確認したら、なんと渡航がキャンセルされていた。
そして明後日昼発の便に変わっていた。
意味が分からない。
どうやらザグレブにもう一泊し、かつその翌日にイスタンブールに一泊しないといけないようだ。トルコ航空に何があったのか…。
というか一泊するならプリトヴィツェも行けるわけだが、どうしようか。
起きてから考えよう…。

2015/02/16

2015/2/15

朝8時前に起き、コトルを発つ。
ドブロヴニクへ向かうバスから眺める海辺の景色が非常に良かった。
ただ、きっと日本にも知らないだけでこういう場所はあるんじゃないかと感じた。

2時間半後ぐらいにドブロヴニク到着。
バスステーションで市街地に向かうバスを待っていると、なんとスコピエのホステルで一緒だった日本人学生と再会した。
2日連続で奇跡的な再会をしてしまった。
彼はティラナ経由で昨日ドブロヴニクに着いたらしく、コトルでも若干ニアミスしていたようだった。

旧市街を二人でざっと回り、ケーブルカーで山の上へ。
風景は良いがケーブルが邪魔だと言わざるをえない。
彼は午後にモスタルに向かうそうなのでここで分かれケーブルカーで下山したが、僕はしばらく喫茶店で休憩してから歩いて降りる。
いきなり車道を下り始めてしまったが、通りすがった現地の人に聞いたところ、山道があるということだったので引き返してそっちから降りる。
ケーブルカーのチケット売り場で45分と聞いていたので30分ぐらいで降りれるかと思ったら本当に45分ぐらいかかった。
車道に出てからが地味に長い。

降りたところにあった店で昼食。
シチリア風のピザを食べた。でかい。

その後中心地まで向かうと、カーニバルのイベントをやっていた。
その辺でしばらくぼーっとしてから、ふらふら歩く。
細い路地に入って行くと抜け道のようなところがあり、そこから外にでると海だった。

概ね城壁内を見終わった頃合いで空港行きのバスを待つ。
ケーブルカー駅の近くで待っていたが30分待っても来ないのでバスターミナルに向かうことにする。
行って分かったのは、オフシーズンかつ日曜日だからか、この時期のバスは14時45分(うろ覚え)の次は18時半だということだった。その時17時半ぐらい。
一応所要35分で、フライトが20時ちょうど、チェックインが45分前までということで間に合わなくもないが、ギリギリを狙って失敗すると損害が辛いので、素直にタクシーを使った。
なお乗り合いタクシーはやはりシーズンオフだからか見当たらず。
200クーナだった。

さて空港はがらんとしており、着いた時点ではチェックインすら始まってなかった。
結果的にはバスで全然良かったわけだが、別に最適でなかっただけで間違いではなかっただろう。
しばらく留学報告書を書いて過ごす。

21時頃にザグレブに着き、エアポートシャトルでバスターミナルへ。
そこからトラムでホステルに移動する。
22時45分にホステルの人と待ち合わせをしていて、若干迷って35分頃に着いた。
しかし45分になっても来ないので、ホステルから漏れてきたwifi(鍵なし)で苦情を言うと、23時5分過ぎにようやくやってきた。
どうも忘れていたようだ。
常識的な範囲で文句を言うとベッドがちょっと良くなった。
しかし二段ベッドでないだけでドミトリーはドミトリーである。

そんなこんなで明日の予定が決まっていない。
スロベニアに日帰りで行きたいが、バスの時間などが錯綜しているため困っている。
まあたぶん適当な時間にバスターミナルに行けば大丈夫だと思うんだが…。
スロベニアではリュブリャナとポストイナ鍾乳洞に行きたい。

2015/02/15

2015/2/14

5時半頃起床。
お腹の調子が悪く1度目が覚めた。
どうも前日より調子が悪くなっている。

ティラナからコトルまで移動。
まずシュコダルへミニバスで移動。
宿で貰った地図にはラウンドアバウト北側が乗り場だと書かれていたが、実際は南側だった。ただどちらでも乗れたような気もする。
乗り場が意外と遠く、走って行って、6時15分ぐらいにまさに発車しようとするところで乗れた。

1時間半ほどでシュコダルに到着。
料金は400レクだった。
降りるとすぐタクシー運転手がいて、ウルツィニまで20ユーロだと言ってきた。
バスを探していたので断り、歩き回る。
この辺からトイレを我慢している。
辺りのホテルのレセプションで道を尋ねつつバス乗り場を探すが、良く分からない。
その時点で8時頃だが、バスは丁度今出たという話もあれば、9時だという話もある。
乗り合いタクシーも見当たらず、困っているところで再び別のタクシー運転手に話しかけられ、色々あって15ユーロでウルツィニまでということにした。

国境では若干待ったが、すいすいウルツィニまで進む。
そこで更にコトル側のバールまでもう5ユーロで行くという話が出て、一旦断ったが、バスも2.5ユーロ程度で悪く無いかと思い直し、話に乗った。
結局9時45分ぐらいにはバールに到着した。

さてそこでボロいがトイレにも行け、一応カフェ的なところでwifiも使えたので良かったが、次のバスは11時18分であったのでしばし時間をつぶす。
ウルツィニからコトルまでは直通含め色んなルートがあるらしいので、もしかしたらそっちの方が接続如何では早かったかもしれない。
そんなこんなでコトルに13時前に到着。意外と近かった。

バスステーションから適当に旧市街っぽい方に歩き、しばらく行くとすんなり宿が見つかった。
チェックインして、荷物をロッカーに放り込み、昼食に出かける。
シーフードが食べたかったので、近くのレストランで魚のフィレのグリルを注文。
塩味が足りないように感じられたのは、僕の体が塩不足だったのかもしれない。塩を振って食べた。
おそらく知っている魚だったが確信が持てず若干歯がゆい。

それから教会をチラッと見て、勇んで要塞を登り始める。
かなり急でマチュピチュを思い出す。
途中で男性に声をかけられ、何かと思えば、なんとベオグラードのホステルで同室だった人だった。奇跡か。
彼はあの後ボスニアあたりを通ってモンテネグロにやってきたらしい。
話しながら頂上まで登る。オーストラリアで軍人をやっていたそうで、頂上で体操チックなポージングをしていた。
頂上から眺める景色はかなり良かった。海に山が反射する感じが好きである。

しばらくして降り、ホステルに戻る。
彼から、彼が声をかけた他の旅行者数人(要はナンパ)と飲みに行かないかと誘われていたが、体調的に寝たほうがいい気がしたので申し訳ないが辞退する。
健康だったら行っていたかは分からないが、たぶん行ったような気がする。

夕方もう少しだけ旧市街を周り、岸辺を歩いてスーパーでヨーグルト、水、ポテトチップスを購入。
ポテトチップスでなくても良かったが、塩分が欲しかった。
ヨーグルトは腸のために。

明日の宿を予約し、色々観光の予定を考えていた。

時間がたくさんあれば勉強するかと思いきや、そんなことはない。
特にバス移動は本を読むと酔いそうなのでかなりの確率で寝ている。
ドイツ語の問題集は現在半分弱まで進んでいるがペースが遅い気がする。
あと、新居の候補を考えたりするのにはネットが必要だが、だいたいネットが繋がる場合はだらだらSNSをしてしまうので良くないし、まとまった時間が取れることも多くない。
長距離バスとかでwifiが安定的につながると良いのだが。

明日は朝8時半のバスでドブロヴニクに向かう。
昼前には着くだろう。
調子が回復していたら美味しいものが食べたい。
夜には空港からザグレブに飛ぶ。

2015/02/14

2015/2/13

45分ほど寝過ごし、8時前に起きた。
急いでストルガ行きのバス停に移動。
バスを待っていると乗り合いタクシーに声をかけられた。
100MKDでバスよりは高いが、バスステーションまで直接行けるので利用することにした。
だいたい30分で無事到着し、ティラナ行きのチケットを購入。
この時お金がぴったり無くなりすぎた(残金約15円)ため、ティラナまで何も飲み食いできないこととなる。

バスは9時半発ということだったが、45分ぐらいに現れ、10時過ぎに出発した。
1時間程度で国境には到達した。
12時頃一旦30分ほど休憩していたようだが、寝ていたため降りそびれた。

結局ティラナに到着したのは15時半頃だった。
ランドマーク的な銅像の近くで降ろされるので、現在地は分かりやすく、宿まで歩く。
途中でお金を引き出し、喫茶店と軽食屋で久しぶりに水分と栄養を補給した。

宿で地図を入手し、再び広場まで戻り、ぐるっと歩く。
夕食はツナとオリーブのピザ。
来た道を戻り、宿に至る。

ティラナのあるアルバニアは少し前まで共産国で鎖国していたとかで、荒んだ雰囲気かと思っていたが、かなり活気がある。
車通りが多く、運転手のマナーが悪いからそう感じるのかもしれない。
東南アジアのようである。
イタリアの影響を受けていたり、無神国家を宣言したが中心部にはモスクがあったり、何かとユニークである。
資本主義に移行した際にねずみ講が流行し、国民の3分の1が全財産を失ったというエピソードはほとんど冗談のようである。

一緒にポーランドでタルタルステーキを食べた友人がカンピロバクターの疑いということで、心なしか僕もお腹が調子悪い気がするが、今のところそこまでひどくはない。
食べ過ぎや生食には気をつけよう。

明日はモンテネグロのコトルまで移動。
ティラナから朝国境のシュコダルまで移動し、そこから国境を越えてウルツィニへ。
ウルツィニにはバスターミナルがあるので、後は経由便か直通でコトルを目指す。
シュコダルからウルツィニへは9時のバスに上手く乗れるか、さもなくば乗り合いタクシーに捕まらなければならない。
地味にシュコダルまで2時間ぐらいかかるようなので、明日の朝は早い。

2015/02/13

2015/2/12

7時過ぎに起きる。
身支度をしてバスターミナルに移動し、水とチョコを買ってオフリド行きのバスに乗り込む。
所要3時間ちょっとで到着。
ほとんど寝ていた。

バスターミナルのinformationにはまたも人がおらず困ったが、噂通り宿の客引きが現れたので事なきを得た。
ただおばさん一人しか来なかったので結構危ないところだったかもしれない。
その人に連れられ10分ぐらいのところにある、アパートの1室みたいなところに行く。

ダブルでもシングルでも6ユーロで、冷静に考えるととても良い条件である。
ボロくもなく、ハイデルベルクなら相当するだろう。

少し休んでから湖の方に出かける。
10分ちょっと歩くと湖畔にたどり着く。綺麗である。
しばらく散歩し、近くのレストランで昼食。
ビーフスープと魚の揚げ物(コロッケみたいだった)を食べた。
またも食べ過ぎた。

それから丘の上の要塞を目指す。
結構形が残っており、景色が良かった。
折角なのでプリシュティナで買った笛を吹いてみたが、まったくメロディーにならない。

しばらくして要塞から出ると、観光ガイドの証明書を持ったおばさんが待機していた。
払いたい分だけで良いというので、話を聞く。
バジリカの近くにいる男はヤク中なので話しかけられても無視しろという情報がなかなか有益だった。
結局100MKDと1EURを支払ったが、めっちゃ喜んでいた。

ぐるっと歩いて宿に戻ろうとすると、なんだか腹調が悪くなってきた。
レストランで飲んだ水のせいかもしれない。
カフェで少し休んでから宿に戻る。
何となく体調を崩しそうな予感がしたので暖かくして昼寝をしたら、だいぶ回復した。

昼が多かったので夕飯は抜き、部屋でごろごろだらだらしていた。
安息日である。
チュニジアの予定を暫定的に決めた。

このところ異性の友人などとの接し方についてあれこれ考えていたので、今のところ思うところをメモしておく。
恋と好意の違い、好意ベクトル×時間による情への変化、愛情と友情の共通性・複数性、両者を区別する意思と信頼、けじめとしてのcontroversialの回避。
最初は色々だらだら書いていたが、それ自体controversialな気がしたので、自分で思い出せる程度にしておく。
何事もバランス感覚が求められる。
パートナー第一は言うまでもなし。

今日はゆっくり休み、明日はアルバニアのティラナに向かう。
オフリドからミニバスで隣町のストルガに行き、そこから直通で行けるようである。
アルバニアはヨーロッパの北朝鮮と呼ばれているらしく、ちょっと楽しみであるが、多分何もないだろう。
順当に行けば15時ぐらいに着く。
それでもバス5時間なのでなかなか辛い。
観光は明日だけなので、がんばろう。

2015/02/12

2015/2/11

朝9時頃起きる。
ホステルで朝食を作ってもらい、10時過ぎに宿を出てバスターミナルに向かった。
結局プリズレンの方はどうも日帰りでは無理そうだったのでプリシュティナに行くことにした。

コソボのプリシュティナ行きのバスは11時だったので、往復のチケットとついでに明日のオフリド行きのチケットを購入。
前者は往復560MKD、後者は片道520MKDだった。
しばらくターミナルで時間をつぶす。
カジノがあったので良く分からないが機械にお金を入れてみたら、スロットが1回回って100MKDが無くなった。

それはさておき、20人乗りぐらいのミニバスに乗り込み、プリシュティナに向かった。
1時間弱で税関に着き、国境を越えて、さらに北上する。
バスターミナルには13時半前に到着。

さてinformationで地図でももらおうかと思ったが人がいない。
とりあえず昼食にすることにして、ハンバーガーを食べる。
コソボの料理と言ったらハンバーガーぐらいだとどこかで読んだような気がしたので頼んでみたが、安くてまずい感じだった。
それからしばらくターミナルをグルグル周り、仕方ないので適当に歩いてみることにした。
グラチャニツァ行きは難しそうなので諦める。

何となく開けている方に歩いて行くと、しばらくしてCenterの標識があり、旧市街とかがあるのだろうかと思い行ってみる。
そこでwifiの使えそうな喫茶店があったので、情報を集める。
分かったことは旧市街はターミナルから3,4km離れているということだった。
どうしようかと思ったが、そこまで歩いて行くことにした。
その際以下のブログの地図が大変参考になった。
http://salami.seesaa.net/article/340716180.html
なお、Centerの標識は結構色んな方向を指しているのであまり信用しないほうが良いかもしれない。

しばらく歩くと、だいぶ賑わった場所に出る。
正直こんなに活気があるとは思っても見なかった。
コソボの現在の雰囲気を味わいたいなら行くべきだと思う。施設や博物館にはほとんど入ってないが面白かった。
あと、街中にはビル・クリントン通りやジョージWブッシュ通りがあり、アメリカ好きなんだなあと良く分かる。

ぐるっと歩いて、ちょうど17時ぐらいにバスターミナルに戻ってきた。
1時間ぐらいカフェにいたのでやや急ぎ目だった。
終バスは17時とどこかで読んだが、18時の便もあるらしかった。
そして行きとは違い、帰りは普通の大型バスだった。

ちょうど19時半頃にスコピエのバスターミナルに着き、宿に戻る。
しばらく休憩して、もう一人の日本人、台湾人、ドイツ人でホステルの人おすすめのレストランに行った。
結構ホステルには良く泊まるがこういうイベントは初だった。
マケドニア料理であろうミートロールとサラダを食べた。安くて美味い。

もう一人の日本人とドイツ人はその後酒を探して別行動になったが、まだ帰ってこないので若干心配である。
どこかで飲んでいるのかもしれない。

明日はオフリドという湖で有名な南西の街に行く。
民宿をうまく見つけられると良い。
バスは朝8時に出て、おそらく3時間半ぐらいで着くだろう。
着いたら適当にあたりを観光して、少しのんびりしたい。

2015/02/11

2015/2/10

9時頃起きる。
宿をチェックアウトして近くのパン屋で朝食。
中央駅まで歩く。
途中で空爆通りと呼ばれる通りを横切ったが、爆撃された建物が残っていた。

駅前で空港に行くバスを少し待つ。
10時45分発のバスで空港には30分ほどで着いた。
喫茶店で時間を潰し、13時過ぎの便でマケドニアのスコピエまで飛んだ。

スコピエの空港から市内まではバスの予定だったが、1時間半ぐらい来ないようだったの諦めてタクシーにした。
値段は8倍ぐらい。

自分の書いた適当な地図を頼りにどうにか宿に辿り着くと、日本人学生が2人いた。
別々に旅をしていて一緒になったらしい。

やたら親切な管理人からこの辺りの案内を受け、旧市街方面に向かう。
ただトイレに行きたかったので、途中で喫茶店に入り、クレープを食べながらだらだらしていた。
噂には聞いていたが至る所に銅像が立っているし、ギリシャ神殿のような建造物が多い。
どうも50年前の地震の時の義援金が使われているのではないかと思われ、アホっぽくて好感が持てる。

教えてもらったレストラン(実際は違った)っぽいところで夕食。
チキンステーキとサラダとパンとオレンジジュースを頼んだが、とんでもない量が来た。
何とか完食し、宿に戻る。

宿にはドイツ人とアメリカ人がおり、しばらくすると更に別の日本人学生が戻ってきて、マケドニア人も加わり、混沌としているが、なかなか賑やかである。
ただ一人で来てたらうるさすぎてイラッとしていた気がする。

今日は考え事がすっきりしたので、割と良い気分で歩いていた。
色々な感情は区別しなければならない。

明日はとりあえずコソボに行くが、首都プリシュティナに行くか南西のプリズレンに行くかは決めていない。
バスが早く来た方で行くかもしれない。
日帰りなので、まあ適当に。
もしかすると宿で一緒になった人と行く。

2015/02/10

2015/2/9

ブダペストからの夜行列車は特に危ないこともなく7時過ぎにベオグラード着。
2座席を使って何とか寝ていたが、やはり狭い。

到着後は地図を入手し、駅構内の店で紅茶を飲みながら、行き先を考える。
1時間ぐらいだらだらしてから、要塞に行ってみることに。

南に来たは良いが、寒さはほとんど変わらない。
歩道が全て凍っており、歩きづらいことこの上なかった。
数年ぶりに転んだ気がする。

要塞は高台にあり、周囲を見渡せた。
気を抜くと落ちる、結構危ない作りになっていた。

それからトラムで宿に向かう。
地図を頼りにうろうろ歩き、パン屋のようなところで朝食。
その後ホステルに行ったら早くも10時半頃にチェックイン出来た。
しばらく寝ていると13時半頃になっていた。

再出発し、街の中心部に移動。
ただそんなに建物に入ることもなく、大通りをブラブラと歩く。
ホテルのレストランで昼食にキノコパスタを食べた。
安かったがやや微妙だった。

そのまま宿に戻り、音楽を聞きながらぼーっとネットサーフィンをしていた。
夕食は近くで鶏肉のサンドを買った。

セルビアの物価は日本の半分弱ぐらいだろうか。
ものにもよるが。
1セルビアディナールはほぼ1円なので分かりやすい。

ベオグラードは小さいと聞いていたが、思いがけず大きかった。
公共交通の乗車率も高く、日系企業の看板などもちらほら見受けられた。
ただ観光地っぽくはない。

明日は昼過ぎの便でマケドニアのスコピエに飛ぶ。
ベオグラード市内から空港へは街中の空港バスで、空港からスコピエ市街までもバスで行けるはずである。
スコピエはこの日しか観光しないが、変な銅像がたくさんあるらしい。
マザーテレサの出身地でもある。
洗濯したい。

2015/02/09

2015/2/8

9時ぐらいに起きる。
ごろごろしながらルートを考え、10時半頃にチェックアウト。

まずピンボールミュージアムに向かったが、見つからなかったので、夜行の切符を買うべく駅に向かった。
ほぼ選択の余地のない感じで15ユーロのベオグラード行きを購入。

そこから市の中心部に移動して大通りを歩く。
朝食兼昼食を国立美術館の店でとる。
グヤーシュというハンガリーのスープがめっちゃ熱かったが美味しかった。

聖イシュトヴァーン大聖堂を見学。
綺羅びやかだった。
ドナウ川を越えて、ブダ城のある丘に登る。
ぐるっと回って漁夫の砦から街を眺める。
ブダかペストか分からないが良い景色だった。
おそらくブダ城のある側がブダだろうけど。

更に歩いてInvisible Exhibitionに着く。
暗闇を体験する場所だが、出発時間が決まっているようだったので直近のものを予約して一旦去る。
近くのショッピングセンターに入ってみたり、喫茶店でドーナツみたいなものを食べたりして過ごす。
16時半からのツアーに参加する。
ドアを閉めると完全の闇の中で、手探りで進む。
中はいくつかの部屋に分かれていて、リビングやバーなど様々である。
視覚の大切さが分かる(当たり前か)。珍しい体験をした。
あまりブダペスト自体とは関係ないが、たまにはこういう観光も良い。

その後、メトロで対岸に戻る。
ユダヤ人が川岸に残した靴を見る。歴史の痕である。
そしてトラムでピンボールミュージアムに移動。どうやら16時から開くらしい。
数十台のピンボールと数台のその他のゲームが置いてあった。
実機のピンボールは初めてやったが、どうもパチンコみたいなものだったようで、特定の条件を満たすと付属の画面に色々エフェクトが出たり、台の内部のギミックが動き出したりした。
1時間弱で飽きたので、夜行の出る駅に向かう。

思いの外、駅周辺に飲食店がなく、ハンガリー料理を最後に店で食べるのは諦め、水を買い、構内でギロスを食べた。
ケバブに似てるが肉がより柔らかかった。

それから駅近くのバーガーキングに移動して列車を待機している。

ブダペストは良い街だった。
色々やり残した感があるので、ハンガリーはまた来たいと思う。
トカイワインがセルビアにもあったら良いなあ。

22時25分ブダペスト東駅発の夜行で今からベオグラードに向かう。
到着は6時半頃だと思われる。
ベオグラードはそんなに大きな街ではないらしいので、適当に歩いて観光しようと思う。
トリップアドバイザーでの人気アクティビティ上位10個のうち3つが脱出ゲームなのが、何ともいえない。
ホステルの対応が親切らしいので、早めにチェックイン出来たら昼寝したい。

2015/02/08

2015/2/7

7時半頃一旦起きて、3日間同行していた友人を見送る。

その後少しごろごろして、10時頃チェックアウト。
着いた日に教えてもらったビュッフェの店で朝食をとる。
ムール貝を凄く久しぶりに食べられて良かった。そしてオレンジジュースがとても美味しかった。
ただ所持金が十数円足りず、カードで払うことになってしまった。
なかなか現地通貨を使い切るのは難しい。

それからバスで空港まで移動する。
昼食用にサンドイッチなどを買い、ヘルシンキに移動。
そしてヘルシンキからブダペストに着いたのは18時半だった。

空港からバスで地下鉄の駅まで移動し、そこから市の中心部へ、さらに地下鉄が工事中なので代行バスでホステル最寄りの駅まで移動した。
入口が非常に分かりづらかったが住所をメモしておいたおかげで無事たどり着く。

夕食は近くのシティセンターに行った。
ハンガリー料理っぽいものを探したが見つからなかったので、イタリアンになった。
物価は日本の3分の2ぐらいの印象。ちなみにポーランドは半分ぐらいなので、更に都会に来た感じがする。
水を買ってホステルに戻り、明日の予定を考えていた。

ガイドブックがないとある程度前日に予定を立てておくことになるのは、若干不便かもしれない。
ブダペストは観光地としても都市としても中東欧エリアでは優れているようだ。
アクティビティも色々ある。射撃とか曜日が合えば行きたかった。
結局どこに行くかは完全には決まってないが、とりあえず貰った地図に印をつけておいた。
ハンガリー料理とトカイワインが優先である。

明日は日中は何らかの観光をし、夜はブダペスト東駅からベオグラード行きの夜行列車に乗る。
正直寝台が空いてたら(寝たいので)高くてもそっちが良いが、どうだろう。
明後日はベオグラードを1日観光する予定。

2015/02/07

2015/2/6

7時頃起きる。
ホステルを適当な感じでチェックアウトし、バスステーションに向かう。
朝食にポーランド風のベーグルみたいなものを食べた。

バスで2時間弱かけてアウシュビッツに到着。
ツアーに参加し、4時間ぐらいかけてアウシュビッツとビルケナウを回る。
かなり寒く当時の苦労が偲ばれた。
淡々と展示が並んでおり、個人的にはどこか現実離れして感じた。
ビルケナウの方は多くが廃墟になっており、遺跡を巡っているようだった。

帰りはオシフィエンチムから電車に乗ろうとしたが、駅の場所が全く分からず、道端ですれ違う人に片っ端から道を聞き始めたあたりで、学生に声をかけられ案内してもらえた。
恐ろしいことに40分ぐらい歩いてようやく到達した。

昼食がてらケバブを食べ、15時半頃カトヴィツェに向けて移動。
1時間ぐらいで到着し、ICに乗り換えてワルシャワに戻ったのは20時半頃だった。

それから同行の友人が予約してくれたレストランで夕食。
一回間違えて別の店に入ったりもしたが、レストラン自体は内装、料理、サービス全て素晴らしかった上に安かった。
特にタルタルステーキを目の前で自作してくれるパフォーマンスが良く、味も前日のものとは一風変わった美味しさがあった。

23時頃店を出て、トラムでホステルの最寄りまで戻ろうとしたが、ドアを開けるボタンを押し忘れ、1駅乗り過ごした。
そこから結構迷い、日が変わる直前ぐらいに宿に戻ってきた。
ホステルの手前で入れずに困っているベラルーシ人がおり、受付の人がそもそもいなかったのでSkypeを貸してあげた。
その後ブダペストの宿までの道のりを調べていた。

移動中は友人の端末でボードゲームのカタンをやっていた。
高校以来である。
面白かった。

アウシュビッツは色々とプロパガンダの噂などもあるらしいが、結局70年も経ってしまうと何が真実か分からなくなってしまうのだなと感じた。
後は違う季節は違う雰囲気がありそうだった。

明日は朝にホステルで友人を見送り、以降は単独行動になる。
おそらくもう少し眠ってからチェックアウトし、そのまま空港に向かうような気がする。
13時頃の便でヘルシンキを経由して18時半にブダペストに着く。
そこから宿まで辿り着ければ明日はOKである。

2015/02/06

2015/2/5

8時頃に目が覚めた。
しばらく単語の復習とかしていた。

9時過ぎに宿を出て、南のバスターミナルに向かう。
割とぎりぎりに辿り着き、5時間かけてクラクフへ。
朝食がパンと飲むヨーグルトになってしまった。
ワルシャワとクラクフは300kmぐらいしか離れてないのだが、バスが遅いため結構時間がかかる。

15時頃クラクフに着き、旧市街まで歩く。
適当に歩いていると中心部の広場に着き、そこから更に宿まで移動して一旦荷物を置いて計画を立てる。

17時頃に再出発し、聖マリア教会の内部を見学し、18時のラッパの音を聞く。
それから商店を物色し、地下博物館に入る。
2010年に出来ただけあって、色々新し目のギミックが多く、楽しかった。
なぜか身長と体重を測ることが出来た。

その後、近くのレストランで夕食。
タルタルステーキ、ブラックプディング、他色々なポーランド料理を堪能した。
ズブロッカも飲んだ。

更に少し買い物してから宿に戻り、明日の計画を立てた。

上限に達していたカードが先日先々月分を支払ったことにより、4.5万円分ぐらい枠が復活した。
多少便利になった。

クラクフはドラゴンと縁のある街らしく、ドラゴングッズが色々売っていた。
ちょっとした置物を買ってみた。
旅の途中に壊れないと良いが。

明日は8時過ぎのバスでアウシュビッツを目指し、午前いっぱいぐらいで見学し、そのままカトヴィツェを経由して直接ワルシャワに戻る予定。

2015/02/05

2015/2/4

7時頃起きる。

朝食を済ませ、空港に向かう。
眠かった。

フランクフルトからワルシャワに飛ぶ。
若干飛行機が遅延した。
空港から駅までがやや遠く、乗る電車も良く分からなかったので適当に乗ったが、他の人に聞いたらどうやら合っているようだった。

地図が無いため、駅から更に迷ったが、どうにかこうにか宿まで辿り着き、友人と合流した。

それから同じ宿に居合わせた日本人とも話しつつ、明日の予定を考え、クラクフで一泊することとなった。
ワルシャワの宿が一泊分無駄になるが、まあ朝早いよりは良いかもしれない。

街に出て、コンビニのホットドッグみたいなものを昼食代わりに、ワルシャワ蜂起博物館まで歩く。
結構展示が凝っていて見応えがあった。
そこからトラムで目抜き通りまで移動し、北に歩く。
途中にあった有名らしいレストランで夕食。
ポーランド料理のスープと餃子みたいなもの、ウサギのローストを食べた。

更に北に歩き旧市街に行くと、スケートリンクがあった。
それから宿まで戻った。

ワルシャワは意外と広い街で、高層ビルも多いので都会感がある。
トラムやバスを使わないと結構大変。
ただ正直見るものはそんなに多くない。

明日はクラクフに向かうが、見るものはワルシャワ同様そんなに多くないかもしれないため、ゆっくりしたい。
あとタルタルステーキが食べたい。

2015/02/04

2015/2/3

8時半頃起きて洗濯機を回す。

その後再び30分ぐらい寝ていた。

9時半ぐらいに起きて、朝食他家事を色々。
10時半頃家を出て、試験を受けに行く。
出来はまあ全く良くはないが、破滅的なほど悪くもないといった感じだった。

試験の後、数少ない同じコースの友人と昼食にケバブを食べた。

それからゼミに行く。
今日はディスカッションがメインで、結局授業中にはコメント出来なかったが、終了後に個人的に思うところを伝えたので、まだましである。
Scheinと呼ばれる成績証明書をもらい、買い物に行く。

お土産類をだいたい揃え、夕食の材料を買って帰宅。
スーツケースに色々詰め、バックパックにも色々詰めた。

夕食にジャーマンポテトを作っていると、合気道に来ている同じ寮の人が訪ねてきた。
とりあえず稽古は続けるようでよかった。
スナックとかお茶と一緒にメッセージをもらい、多少しんみりした。

それから同じ階の友人と街に出かけ、簡単なお別れ会をした。
同時期に来た人のドイツ語が大変上達していて少し羨ましく感じた。
バスが無いので歩いて戻り、24時頃帰宅した。

明日はいよいよ旅立つ。
8時頃最寄りの駅から空港に向かい、昼頃ワルシャワに着く予定。
ホステルで友人と合流する。
最初だけは一人旅ではない。
冬の旅行は荷物が多くなるのが難点である。
そしてワルシャワがドイツより寒いと聞いて若干辛い。
7時過ぎには起きて荷造りを終わらせねば。

2015/02/03

2015/2/2

9時半頃起きた。

どうやら午後にロシアの人々と合流できることになったらしいので、それまで部屋で勉強するかと思いつつだらだらする。
ついにカーテン(布団カバー)を取り払った。
テープ跡が懸念だったが、色々試したところスチールウールで削り落としたら良い感じになった。

思い直してDBのクーポンを使うべく昼食後に(印刷のため)図書館に出かけることにしたが、利用条件額に満たないので結局使えなかった。
それから食堂でざっと試験対策、と言いつつ時間とやる気が限られすぎているため半ばヤマを張るようなことをして過ごした。

15時半頃に駅に行ったが、若干すれ違い、ビスマルク広場でその後合流した。
哲学者の道、古い橋、ハイデルベルク城など、こっちに来てすぐ訪れて以降一度も行っていなかったところを改めて訪問する良い機会となった。
奇しくも夕食も一度だけ行ったデパート最上階のレストランだった。
彼らは動画制作に長けているのでそのうちYoutubeデビューを果たしてしまう気がする。

それから彼らをアテンドして稽古に向かい、今学期最後の稽古。
多少はこっちに来て上達したような気がした。
後、モスクワ大の代表を手加減なしで投げたのが久しぶりで楽しかった。

その後色んな人にお別れを言い、またもギリシャ料理屋に行った。
久しぶりに食べ過ぎた。

25時頃家に戻ってきた。

クラブからはTシャツを頂いた。
たまに着よう。
ロシアの人々からはペンと手帳をもらった。
彼らはとても律儀だ。
ハイデルベルクに来たのは3人だけだが他数名とヨーロッパの道場を回っているらしい。
おそらくまた5月に日本で会えるだろうから楽しみにしている。

いよいよ明日でドイツ滞在はほぼ終わりである。
今日が楽しかったので試験が相対的にどうでもいい感じになってしまったが、そこそこの成果を残せるようその場で全力を尽くす。

明日はそこそこ早く起きて洗濯をする。
11時から試験を受け、14時からゼミの最終回である。
買い残したお土産類を買って帰宅し、夕食は寮の友人と食べるはず。
荷造りはもとより掃除も出来るだけする。

2015/02/02

2015/2/1

11時頃起きた。

朝食後、少しJavaの課題をやる。
それからビスマルク広場に移動。

イタリア料理屋で食べたカルボナーラがめっちゃ美味くて感動した。
そして自分のパスタの茹で方の適当さ加減を反省した。
普通に家で作れるからあまり普段外でパスタは食べないんだが、全然別物である。

その後図書館に行ったが席がなく、今日もカフェに居座る。
何やらやたら酸っぱいジュースを飲みながら、Javaの課題を目標分は終えた。
それから在籍報告書を書き、歩かなくて済むうちに寮に戻った。

ごろごろしながら試験の対策プリントを眺めていると、1時間弱眠っていた。

夕食はソーセージとパプリカとチーズの醤油炒め。
トーストをちぎって炒めるのがマイブームである。

その後、ながら勉強で一通りプリントを通して読んだ。
どうにもパフォーマンスは当日の調子次第という感じが否めない。

それからタイピングをしたり、ポーカーをしたりしていた。

日本に帰ったらKindleを買おうかなあと何となく考えている。
あまり読み返すタイプではないし、思い立った時に安いものとかを読んでみたい。
本当は買って持ってくれば良かったかなと少し思っている。
旅の途中とかに便利そう。
端末をどうするかは要検討事項である。

日に日に働きたいという思いが強まっているが、いきなりギアを上げるとエンストするので、ぼちぼち頑張りたい。
性格と能力的には結構活躍できそうな予感があるんだが果たして…。

今日明日のどちらかでロシアから来る人々にこの辺を案内するとかいう話があったような気もするが、連絡が来ないのでどうやらコミュニケーションが上手く行っていないようである。
彼らは無事明日体育館まで来られるのだろうか。

明日は昼間出かけて最後の試験対策(という程これまでやっていないが)をし、おみやげを追加で買って帰宅し、夕食を家で食べてからドイツ最後の合気道をしに行く。
留学も終わりが近い。

2015/02/01

2015/1/31

11時ぐらいに起きた。
だんだん遅くなっていく起床時間。

あまり空腹ではなかったのでお茶だけ飲みながら、だらだらしていた。
Chromeの履歴を遡るとだいたい何をしていたか分かって便利だ。
ITパスポートの資格を取るように言われているが、完全に見くびっているので帰国後2週間ぐらいで試験を受けることになる。

昼食は遅めにベーコンとパプリカをコンソメ的なもので煮込んだものを食べた。
その際おみやげを買いに行こうと思っていたのを思い出す。

出かけてまずデパートへ。
ヘンケルスというメーカーのキッチンバサミに興味があったが、大変高かったので諦めた。
マーカーやお菓子類を一通り買い、大体揃ったがもう一回ぐらい追加で買うと思う。

それから大学の食堂近くのカフェに移動し、試験勉強を進めた。
一応一通りはワークシートの問題には目を通したが、理解の深まる幅があまり残っていない感じがある。

20時過ぎに学食で夕食をとり、メイン通りを歩いて戻り、トラムに乗って帰宅。
それからJavaの問題を解いていた。
今月やろうと思っていた分はまだ少し残っている。

ISISの件は旅行者としては若干危惧しているが、かといってイスラム圏全てをその支配地域かのように警戒するのもどうかとは思う。

明日も今日と似た感じになる気がする。
試験勉強としては対策問題を解くか、ざっと眺めるかする。
そしてjavaを解くか、色々なタスク(在籍報告とか)を片付ける。

2015/01/31

2015/1/30

10時頃起きた。

果たしてクレジットカードは普通に限度額に達していたことが判明。
資金繰りが色々大変になってきたので、持っている金融資産を半分売ることにした。
引越し費用とか初任給までの生活とかもあるだろうから、いずれにせよ売却は必要である。

その後、関数で色々シミュレーションをしていて、好奇心からリスクとリターンと年数を入れてどれくらいの確率でリスク0の場合を上回るか判別するプログラムを作った。
当然ながら同じリターンならリスクが無いに越したことはない。
一方で、リターンがある程度高ければ意外とリスクはカバーできる。
世の中投資信託は各種あるので、信託報酬やらを差し引いてどれだけ収益性と安定性があるかを判別できるように更に改良したい。
あとは複利で増えた結果の分布グラフとかが見られると良いな。
半分以上がリスク0の場合を下回るのに平均すると同程度になるので、多少歪な形だと思われる。もしかしたら知ってる分布かもしれない。

投資対象は色々あるが、ただ少なくとも僕の場合はリスク・リターンで言えば、仕事に注力するのが給与の上がり幅という意味で最も割の良い投資なので、奨学金をさっさと返しつつ最大限仕事に打ち込むのがベストだろう。

昼はソーセージのサンドイッチとパプリカを食べた。
パプリカとかピーマンはトウガラシの一種らしい。知らなかった。

それから単語の復習をし、図書館に移動。
試験勉強をようやく少し始める。
とりあえず各回のワークシートの問題に全部目を通すことにした。
これで聞いたこともない概念が出てくるという自体は避けられるようになるだろう。

それから学食で夕食。
珍しく日本人と会って話した。
見るからに賢そうな雰囲気の人だったが、そのオーラは自信とかから来るものなんだろうか。

合気道の稽古に行く。
来週の金曜はそもそも僕が行けないが施設の都合で休みらしく、次の月曜で最終回らしい。
そしてロシアの人々も月曜に来るようだ。
今日は剣術メインで体術を少しやった。
稽古の後は最後の金曜日ということでギリシャ料理屋に行った。
今回はほとんど全員参加していた。
車で送ってもらい25時前に帰宅。

明日はおみやげ調達の続きを行う。
試験勉強は今日やった感じで黙々と進める。
そんなにやる気もないし、ある程度の時間をJavaに割いても良いかもしれない。

2015/01/30

2015/1/29

10時頃起きた。
単語の復習をして、部屋を少し掃除する。
プリント類を一部捨て、こちらで買ったドイツ語のテキストも嵩張るので処分した。

ドイツ語で少し思ったのは、僕は結構会話でも文法を気にするということである。
出来るだけ正しく伝えようとするので時間がかかるわけで、その速度を上げるには文法をちゃんと理解していることと単語熟語を知っていることが結局重要である。
まずは作文を出来るようにするべきだろう。

昼前に出かけ、トラムで20分ほど行ったところでワインの専門店を見つけた。
店の名前が聞いていたのと違ったことはともかく、品揃えは申し分なかった。
別にワインに詳しいわけではないので、甘めのものを適当に3本ほど購入した。
フルボトルの1本はおそらく部活用、ハーフボトルの2本は新居の来客用(兼インテリア?)となるだろう。

中央駅まで戻ってこないだチャーハンを食べた中華料理屋でナシゴレンを食べる。
相変わらずナイスボリュームで美味い。ただチャーハンとの違いがいまいち分からず。
それから近くのスーパーで買物をして一旦帰宅。

荷物を整理して、再度キャンパスに向かう。
銀行で追加の入金を済ませ、図書館で来週のゼミ用の発言内容を考える。
それから4時間ぐらいかけて来月の旅程をほぼ決めた。

デパートが閉まってしまったのでその他のおみやげ購入は先送りにし、帰宅。
夕食はかぼちゃとベーコンの醤油煮込み。
日本ではまず作ろうと思わない組み合わせである。味は普通。
棚から発掘されたインスタント味噌汁(日本から持ってきた)をついでに消費した。

それから久々にJavaの問題を解き進めていた。
時間があっという間に経つ。

旅程は当初ハンガリーからクロアチアに行って反時計周りにセルビアに行く予定だったが、色々不都合があったため逆回りにした。
ハンガリー、セルビア、マケドニア、コソボ、アルバニア、モンテネグロ、クロアチア、スロベニアの順に訪問する感じになる。
ところどころ行きつ戻りつ、飛行機使いつつだが。
17日から18日にかけてイスタンブール経由でザグレブからチュニスに飛び、21日にカサブランカへ、25日の昼にカサブランカからフランクフルトに戻る。
あと、ベオグラード→スコピエ、ドブロヴニク→ザグレブも飛行機である。
とりあえず飛行機だけは全部予約し終えたので、後は陸路の接続が予定通り行けば大丈夫なはずである。
結構出費が大きくなってしまったが、良い機会なので気にしない。

どうも持っているクレジットカードの1枚が使えなくなっているのではないかという気がする。
限度額には達していないので、海外利用が多すぎるので不審に思われて止められているのかもしれない。
明日にでも問い合わせる。

明日はそろそろ試験対策を始めたい。
まずはまとめた内容の見直し、そして予想問題への解答づくりである。
夜は合気道の稽古に行く。
気分転換にJavaをやっているかもしれない。

2015/01/29

2015/1/28

8時頃起きた。
ゼミに行き、無事に単位を得た。

それから食堂に移動して、タンデムの最終回。
とはいえ、いつも通りではあった。
ついでに街の北に良いワイン屋があるとの情報を得た。
また日本で会えたら楽しいなあ。

学食で昼食後、しばらく人質事件について調べていた。
ヨルダン、というか他の要素を絡めてくるのは交渉の基本だし、交換に応じるつもりはあるのかもしれない。
そもそもあまり相手をするべきだとは思わないが…。

その後授業の補講に行く。
試験は3分野から1題ずつ(それぞれ2題からの選択)で、短いエッセイである。
とりあえず法学部の試験より大変ということは無いんじゃないかと思われる。

少し遅れてカポエイラの練習に行った。
これも今日が最後。
楽しかった。
しかし手足が長い方が有利だ。

帰宅して夕食を作る。
食材が若干限られていたため、ハーブ入りのソーセージのケチャップパスタにチーズを混ぜたものみたいな良く分からない代物になったが、割と美味しかった。

会社から日々翌日の株価を予想するように指示される。
自分だと面倒でやらないが、身につけば良い習慣だと思う。

好意と恋心の違いとか、人が恋をする原理とかを、神経科学(脳科学)的な話で理解しようと試みたが、結構面白かった。
何もしなければ脳内物質が3,4年で薄れていくのはデフォルトで設定されていることだから自然の摂理として受け入れつつものの、その原理を解析して現代社会に適合した長期的な関係をずっと幸福に過ごせるようになりたい。
顕在意識と潜在意識、理性と情動、大脳新皮質と大脳辺縁系、仕組みを知るのは楽しい(悪用はしません)。

そうこうしているうちに夜が更けてしまった。
色んな事を先送り。

明日は午前中に出かけておみやげを一通り買い揃えたい。
口座にも入金しておく。
それから多少部屋を片付けたい。
ドイツ語とかの本どうしようかな…。
後は今日やるはずだったArabのゼミのまとめを考えて、来月の旅行を最終的に決めよう。

2015/01/28

2015/1/27

10時頃起きた。
シリアルを食べ、出かける。

授業を受け、昼はケバブ、ゼミを受けて買い物をして戻るという定番の火曜日だった。
牛肉を煮物に使おうかと買ってみた。

帰ってからずっとだらだらしていた。
夕食はかぼちゃの煮物+ステーキという意味不明な組み合わせになった。
牛肉が全く煮物向きな感じでなかったからである。
しかし何向きなのかと聞かれると分からないので、もう少し肉について知らなければならないと感じた。

するにことかいて、相撲の動画とかを見出したが、立ち会いの多くの場合一瞬で勝敗が
決まる感じは武道のエッセンスがあるような気がして面白い。
後、痩せている力士の体型は本当に理想の武道家の体型っぽい。

全く試験勉強をする気にならない理由について思い当たるのは、張り合いがないとやる気も出ないということと詰めが甘いということである。
前者について、簡単すぎると面白く無いともいうが、今回は成績は記録残らないし、試験は一つだけで勉強時間も丸1週間ぐらいあって、試験が不可でも最悪問題はないみたいな状況なので、このまま真面目に対策したら悠々突破できそうな感じがしており、今はまだやる気が出ないが週末ぐらいにはやる気になるのではないかということである。
後者について、中学時代から詰めが甘いと言われており、大体出来てれば良いのではないかみたいな主義なので、既に留学生活がほぼ終わりつつある状況下で試験の出来は全体に対して小さな影響しか与えないという考えである。
とはいえ、帰国後はやはり成績は記録されないにせよ単位数は記録されるわけで、成績も伝わる可能性がある以上はそこそこ頑張ったほうが良く、試験問題も割と勉強を要するので、やはり段々とやる気は出すべきだし出てくるだろう。

試験のやる気が出ないなら他のことをやれよ、という話ではあるんだが、優先順位のトップに試験勉強があることは事実なので、それをやるかやらない(休憩する)かの選択となってしまい、別のやるべきことも同時にやる気にならないのは困ったものである。
最もやるべきことすらやらなくて良いのだから他のこともやらなくて良いみたいな方便が成立している。
一日単位でやることを振り分けるべきか…。

明日は一つのゼミの最終回(実際はもう一週あるのだが忘れて予定を入れてしまったので無かったことに)。
午前からタンデムを始める。これも今週で終わり。
夕方は授業の補講があり、夜はカポエイラに行く。
旅行前最後の水曜日である。
試験対策は置いておいて、事務系のタスクと来週のゼミでの軽い発表内容を考えることを優先する。

2015/01/27

2015/1/26

9時半頃起きた。
のんびりして、10時半頃に宿を発つ。
駅で少しだけお金を引き出す。
ピザが朝食となる。

プラハ城の方に向かうもどれがそれかいまいち分からずしばらく歩き回る。
どうやら高台にあるものらしいと分かり、坂を延々と登って辿り着いた。
景色が良かった。
そして城が長い。

トラムで駅に戻って中心部に行き、大通りを歩く。
何となくプラハは強化版ハイデルベルグというイメージがある。
街並みとか。

それから中央駅に移動し、買い物をする。
といっても水とポテトチップスと昼食のサンドイッチを買っただけである。
後は余った硬貨を使い切るためのガム。

駅のすぐ近くからバスに乗り込み、一路ハイデルベルグに戻る。
道中は主にバイトの引き継ぎ資料を作っていた。
行きのバスで近くに座っていた人(話した人ではない)にまた会った。

途中のニュルンベルグでサラダを買った。
肉ばかり食べていると獰猛になる気がするのだ。

19時過ぎにハイデルベルグに到着し、フルーツスムージーだけ飲み、稽古に行った。
冷静に考えて割高過ぎる商品である。知ってたけど。

稽古は今日は人が少なめだった。
二人に両手で持たれた時の対処など、若干ネタっぽかったが練習するのは面白かった。

最後に髪を切ってからそろそろ4ヶ月ぐらいになるが、ある一定程度からは伸びなくなったりしないだろうか。
正直さっさと切りたいが、これ以降髪を伸ばす機会がなさそうなので、もう少し様子を見る。

アラブのレポートの添削が返ってきた。
とりあえず書き直しはしなくて良いようだが、用語法や事実把握、その他諸々に色々難があるようだ。
幅広さと構成は比較的評価された。
ついでに成績表も付いてきたが、授業への貢献がほとんど無かったもので、良ぐらいの感じだった。
良い経験だったよ…。

ドイツ滞在は残り8日である。
おみやげを揃えたり、部屋や棚の片付けをし始めたりする頃である。

明日は授業に行き、ゼミに行く。
授業自体は明後日補講でQ&Aセッションがあるようだが、事実上の最終回である。
ゼミも来週は総括っぽいので、本論は最終回である。
今週は課題がないので、試験勉強をするか、帰国準備をするか、あるいはJavaをやっているかもしれない。
まあ試験勉強をしたほうが良い。

2015/01/26

 2015/1/25

7時前に起きる。
眠かったが駅に向かう。

ブラチスラヴァ行きの列車に乗る。
結構ずっと寝ていた気がする。
少し試験勉強とかした。

12時前に到着。
とりあえず旧市街まで歩き始める。
結構地面が凍っているし雪が降ってるしで大変だった。

1時間ぐらいかけてどうやら中心部っぽいところに辿り着いたが、何に注目すべきかいまいち分からない。
とりあえず昼食はスロバキア料理っぽいものを食べた。
スロバキア風餃子とでも形容されるべき見たことのない料理が出てきて面白かったが、味はそこまで好みではなかった。
青い教会(聖エリザベス教会)というのを見てみたかったが、どうやら別のエリザベス教会と間違えていたようだ。

靴がぐちゃぐちゃで雪の中を歩くのが大概辛くなり、予定より早く引き上げる。
旧市街地域から中央駅までのトラム0.7ユーロは最高のお金の使い方だった。

駅構内でしばらく時間を潰し、ホームで売っていたチョリソーみたいなソーセージを食べる。
こんなところでも日本人の団体を見かけた。
たぶんウィーンかブダペストに行くのだろう。

16時過ぎの列車でプラハに戻る。
食べ過ぎで3時間ぐらい寝ていた。
案外眠れるものだ。

プラハ駅でピザとコーラを食べる。
店でWhat's upが流れていて笑った。
原曲より以下の印象が強いからである。
http://heyyeyaaeyaaaeyaeyaa.com/

それから宿に戻る。
面倒になって裸足で歩き回るようになった。
靴は濡れてるし。

明日はチェックアウトしてから少しだけプラハ城の方に行って見る予定。
現金が無さ過ぎてどうしよう。
昼食代も含めてちょっとだけ引き出すかなあ。
13時前のバスでハイデルベルグに戻り、そのまま稽古に行く。
わざわざ道着を持ってきたのだ。

2015/01/25

2015/1/24

7時に起きる。
朝食を取り、準備をして出かける。

8時半頃に中央駅前のバスターミナルからプラハに向かって出発。
めっちゃ立派なバスだったが、Wifiは時々不安定だった。
11時過ぎにニュルンベルグで一旦止まったので、ニュルンベルガーとサラダを昼食に購入。
そこから更に移動して、プラハには15時ちょうどぐらいに着いた。

前に座っていた人に話しかけたら、チェコ人の学生で、やたらと喰い付かれ、日本に興味のある友人をガイドとして紹介されかけた。
あいにく日程が合わなかったが、実現したらそれはそれで面白かったかもしれない。

中央駅からメトロで一駅移動し、場所のメモを頼りに宿まで歩く。
なかなか分かりづらい場所だったが無事たどり着いた。
少しだけ駅で両替したが、後にろくでもないレートだと分かる。
両替屋を当てにするよりATMを探したほうがやはり安心である。

何ユーロで予約したか聞かれる感じの、なんだか良い加減な宿だが、人々は親切である。
もう一度駅まで歩き、一駅移動して旧市街を目指す。
適当に歩き、それっぽいところに着いた。
屋台でドーナツみたいなお菓子(トゥルデルニークというらしい)を買って食べる。
冷静に考えると結構高かったが、まあまあ美味しかった。

さらに歩き、防寒に帽子でも買おうかと思ったが、全然似合わなかったのでやめた。

カレル橋まで来ると、拷問博物館の案内があり、つい行ってしまった。
シャーマンキングで見た感じのものが色々置いてあった。

それから夕食は、Mixed GrillとHot wineを頼んだ。
どちらも安定した美味さがある。

宿に戻り、チェコのことを調べたり、明日の予定を考えたりしている。
朝8時前の電車で行って、18時発ぐらいの電車で帰ってくる感じになりそう。
観光能力には限界があるので、そのくらいでちょうど良いと思う。
カフェでだらだらしたい。

2月の旅行の方は、冷静に考えると南半球は夏なので、コートの運搬が結構問題になる気がする。
元の予定通り北アフリカの二国にしようかね。

明日はそんな感じで、朝ブラチスラヴァに向かい、半日滞在して夜戻ってくる。

2015/01/24

2015/1/23

9時半頃起きた。

朝食の後、キャンパスに出かける。
一回本を忘れて家に帰った。

まずは図書館で本を返し、書類にサインを貰う。
それを大学の事務に出して、退出証明をもらった。
ついでに銀行に行って口座を6月末に閉める手続きをした。
その時点で残っているお金は日本の口座に送金される。
会話が煩雑になりそうだったので、必要な情報を全部書いていってそのまま渡した。

それから保険の終了手続きを済ませる。
最後にカードを返送しないといけないようだ。
支払いは残り2ヶ月分なので、口座に追加入金が必要である。

その後ビスマルク広場近くの日本料理屋で昼食。
天ぷらうどんを頼んだら、海老だけは海老フライだった。なぜだろう。
うどん自体は関東風の普通のものだった。

家に帰り、ドイツ語のテキストの予習を終える。
これで一応A2の一通りの内容は終わった。

それから再びキャンパスへ。
銀行で渡した紙の電話番号を間違えていた(国番号)のに気付いたので修正し、その後は授業のコメントを提出した。
食堂に移動して文献を読み、夕食。
さらにバスで新キャンパスに移動しつつ、もう一本読む。

しかし本日は施設で卒業生を送る会的なものがあり、稽古は休みだったことが分かり、そのまま引き返す。

帰宅後は、仕方ないので、来月の旅行の計画を考えていた。

とりあえず旧ユーゴあたりを回ることは決まっているが、チュニジアとモロッコの魅力が何だか薄れてしまい、また直行便にこだわらなければ日数も色々融通が利くなあ、とか色々考えていたら、折角なので喜望峰まで行きたくなり、南アフリカの移動事情などを調べていたら、夜更かし。
困ったら飛行機で飛び回る。

さておき、明日はチェコに行く。
ハイデルベルグからバスで直接行ける。
7時間ぐらい。
車内でWifiが使えると聞いた気がするので、観光内容はそこで考える。

2015/01/23

2015/1/22

11時前に起きた。
良く寝た。

以前に管理していたバイトの精算作業を進める。

昼食は良く分からない魚のフィレのサンドイッチなど。

午後は区役所的なところに出かけて退出の手続きをした。
それから保険を解約しようとすると、やはり更に大学からの書類も必要であると言われる。
場所を確認して受け取りに行くと、この書類を埋めて図書館でサインを貰って、この部屋に提出しろ、とRPGのようなことを言われる。
いずれにせよ提出先の部屋は既に今日は閉まっていたようなので明日に先送りにした。
本も返却しなければならない。

それから銀行で口座を6月終わりぐらいに閉めてもらおうと依頼しに行ったが、当然ながら送金先の日本の口座情報が必要なため出直しとなった。

帰宅して、文献を読むが、ペースが遅い。
相性が悪いのかもしれない。

一つ読み終わった後は夕食にサラミとマッシュルームのアラビアータを作った。
マンチェゴも入れてみたら、結構良い感じだった。

その後少し喉笛(モンゴルのホーミーなど)の動画を見て練習していた。
楽しいが近所迷惑である。

ドイツ語のテキストの予習を半分ぐらい進め、もう一本文献を読んだ。

手続きはある程度下調べしていけば順番も決めやすいし二度手間も減るのだろうけど、むしろ調べるのが手間だったりするので仕方ない。

若干忘れつつあったがプラハの宿を予約した。
東欧は1泊1000円を切るので助かる。

明日は午前中に今日出来なかった手続きを終えて、一旦家に戻る。
それからコメントを提出したり文献を読んだりし、夜は合気道の稽古に行く。

2015/01/22

2015/1/21

8時過ぎに起き、ゼミに行った。
先生の事情によりやや早く始まり早く終わった。
いつも以上にあっという間であった。

それから保険の解約をしに行ったが、どうも市に退出届けを出すのが先なようだった。

食堂で昼食の後、色々メールを送って、文献を読む。
昼食のマッシュポテトのためか眠くなった。

タンデムをしたが、今日は日本語のスピーチを直していたら終わってしまった。
ケーキと夕食を食べてから、今朝要請された留学説明会にゲスト参加した。
とはいえ説明会自体はコーディネーターの人がずっと話していたため、ずっと座っていただけであった。

その後場所を変えて行った交流会では、学科の同期やいつもの日本人メンバーなどと話せて良かった。
結局東大への留学についての質問対応の仕事は特になかった。

23時過ぎまで残り、ビスマルク広場から走って帰宅した。

久しぶりに色々な友人とまとめて話せて良かった。
また会う人もいるし今後会わないだろう人もいるが、それも含めて面白いものである。
とはいえ何らかの形で連絡を取り合うことは出来る方が多い。
なかなか会えないことが再会をより楽しい物にもする。

留学希望の説明会では、既に一度日本に行っている人がちらほら希望者の中にいるのが印象的だった。
あまり僕にはない発想である。

就職するにあたって、バイトの後継者を探さなければならない。
ちょうど良く暇で物好きな人はいるだろうか…。

明日は文献を読むのはもとより、市への退出申請をして、改めて保険の解約とか口座の手続きを出来ると良い。

2015/01/21

2015/1/20

9時頃起きた。

海外キャッシングを繰り上げ返済した。

朝食の後、授業に行った。
どうにもぼーっとしていた。
遥か前から知っていたけど、何か問題解いたりせずに授業だけ聞くのは苦手過ぎる。

昼食はデパートの地下のケバブ屋でDönerBoxを食べた。
美味いし安い。
ただポテトは眠くなる。

そうして眠気と闘いながらゼミを受けた。
珍しく当てられたが、そんな状態だったためいまいちな解答になってしまった。

図書館に移動して資料などを印刷。
2月のポーランドからハンガリーの便を予約したら、決済が出来なかったと連絡が来る。
買い物をしてから帰宅し、Skypeで問い合わせたら、特に問題なく同じカードで完了した。

さてそれから文献を読むべきところだったが、びっくりするほどやる気が向かず、詰めが甘いと昔から言われるだけのことはあるなと自分で思った。
文献を読む課題に取り組むのは今週で最後なのである。

だらだらして、夕食はアラビアータソースでサラミとマッシュルームのパスタを作った。
サラミの包装は食べ物ではないことを覚えた。

21時過ぎには文献を読むことをすっぱり諦め、音楽とか聞いていた。
あべりょうの動画とかをまた一通り観てしまった。
クリエイティブだなあと思う。

ここでの生活もおおよそ残り2週間となった。
果たして棚の食料品を捌ききれるだろうか…。
そして試験勉強その他諸々。

うどんが食べたくなったが、ビスマルク広場近くのまだ行っていない日本料理屋はうどんが美味いらしいという情報を得たので近く行きたい。

明日は午前にゼミに出て、午後はタンデムとカポエイラ、夜は京大のハイデルベルクオフィス主催のパーティみたいなものに顔を出す。
ゼミの後にちょっとは文献を読みたいところ。

2015/01/20

2015/1/19

9時頃起きる。
歩くルートを考えたりしてから宿をチェックアウト。

職人街をふらっとして朝食がてらハンバーガーを食べた。
これは普通だった。

サラエボ事件の現場近くのラテン橋を観た。
正確には現場は土手だったようだが、川が増水しておりそこまでは行っていない。

それからひたすら歩き、新市街方面に向かう。
歴史博物館には、サラエボ包囲中の展示などがあった。
また紛争から15年後との比較写真が置いてあった。

受付のところにいた男性から、トンネル博物館までの送迎+ガイドのツアーを打診される。
20ユーロと言われたが、10ユーロと20マルク(額はほぼ同じ)で受けることにした。
自力で行くとすると博物館までタクシーで15〜20マルク、入場料10マルク、そこから空港までの移動(タクシーか徒歩)となるので、まあ妥当かと思った。

地図によるとサラエボは包囲されているとはいえ、空港周辺は国連軍が来たためか隙間となっており、トンネルはその地下部分に作られたもののようであった。
ガイドをしてくれた人は40歳で、当時トンネルを何度も行き来し、最終的にはクロアチア、スロベニアを経由してイタリアまで逃れたらしい。
博物館では25mほどトンネルの中を歩くことが出来た。
ベトナムのクチトンネルよりは歩きやすい。

50ユーロ紙幣しか持っていなかったため、博物館隣のそのガイドの友人がやっている土産屋で両替をしてもらったが、全てコインに替えられ、すわ偽硬貨かと色めきだったが、フランクフルトの券売機で普通に使えたのでそんなことはなかった。
タクシーの人がくれたガムにせよ、トラブルになりそうな要因がたいがい杞憂で終わっている。
ただ「十分注意してください」の国ではある。

そのまま空港まで連れて行ってもらい、軽食を取りながら時間をつぶす。
使い道なくマルクが余ったので、珍しくお金を払ってインターネットを使った。

サラエボからベオグラードはあっという間に着いて驚いた。
30分もかかってなかったと思う。

それからtransitでしばらく待ち、19時過ぎにフランクフルトに着いた。
そして電車で帰宅した。
夕食は機内食のサンドイッチでもあり、ハイデルベルクで買ったアジア系の焼きそばでもある。

ほんの少しだけ試験勉強をした。

サラエボのバラは結局見かけなかった。もう残っていないのかもしれない。
新市街の方は建物も現代的で、結構賑わっていて首都なんだなと感じた。
ただ帰りの飛行機とかはがらがらだったし、もっと多くの人で賑わうようになって欲しいと思った。

明日も通常通りの火曜日。
あっという間に一週間が過ぎた感じがあるな。
ゼミに行って授業に行く。
夕方は資料を印刷してから帰宅する。
水曜日の予習を少しして、出来るだけ文献を読み進める。

2015/01/19

2015/1/18

6時頃に起きる。
トラムの駅を確認し、その辺の人に乗り方も確認したが、肝心の1番トラムが来ない。
仕方ないので程々に諦め、タクシーでバスステーションに向かった。
約5KM(KMは通貨単位、 1KM≒0.5EUR)でした。歩くとちょっと遠いぐらいのところにある。
バスターミナルはホリデイ・インの近くの方。

スレブレニツァまでの往復のチケットを窓口で買う。
35KMぐらい。
出発は7時10分。

途中で結構色んな場所に止まりながら、結局終点のスレブレニツァに着いたのは11時頃だった。
3時間では着かない。
乗る時に「ポトチャリ」と言っておいていたが、まあ伝わってなかったようで、終点まで乗って行きましたが、記念館などのあるポトチャリは坂を数km下ったところにあります。

意外とタクシーはいたので、そこまで乗って戻る。
メーターが無いため、交渉するか、言い値で乗るか。
この国でお金を使いたい気分だったので言い値で乗ったが片道10KMで、帰りも時間を伝えると迎えに来てくれた。
なお、英語が通じず、なぜかお互い片言のドイツ語で話していた。

おそらく10分ぐらいで小さな土産物屋の前で降ろされる。
事前に下調べをほぼしてこなかったため、本当にここであっているのか良く分からず、ふらふら歩く。
工場の跡地のような建物が数棟建っており、道路を挟んで向かいの墓地には見渡すかぎり墓標が広がっている。
展示物を探して色々歩いていると、メモリアルルームの表記を発見した。
ただあまりに廃墟感が強かったため、入口がわからず、建物の周りを半周してしまった。
実際は表記のすぐ横の錆びついたドアが入口だった。

中には、机とノート、トイレなど、比較的最近作られたであろう部分があり、その奥はそのまんま打ちっぱなしの工場を居抜きにしたような空間であった。
壁の一部に点々と虐殺に至るまで、その後の写真や説明文が展示されていた。
建物中央には新しく作られた風の、一部の犠牲者のプロフィールと映像を上映するところがあった。
あいにく日曜だからか個人で勝手に来ているからかガイド役の人はおらず、映像は見られなかった。ここでは偶々比較的若いムスリムの女性グループ数人と鉢合わせた。

他の建物にはオランダ兵が残した落書きなどが残っていたのではないかと思われるが、あいにく意識していなかったため見ていない。

墓地の方に行くと、犠牲者のリストやモニュメントがあり、後はひたすらに墓が並んでいた。
悲しいぐらい広い墓地であった。

敷地の入口近くの建物には数点の写真の展示があったが、内容はサラエヴォで観たものと共通していた。

あいにく寄付をするところが見当たらなかったので、代わりにお土産がてらコーヒーを買った。
迎えに来たタクシーで街まで戻る。

ほとんど道は一本で、坂の下からポトチャリ、バスターミナル、スーパー、モーテルみたいになっていた。
バスの乗り場はバスターミナルだが、来た時に降ろされたのはスーパーの近くだった。そこからバスターミナルまでは歩いて15分ぐらい。
適当な飲食店を探し、坂を登って行くと、まあ日曜だからか結構店は閉まっており、モーテル兼レストランのところに辿り着いた。
7KMの鶏ヒレ肉を頼んだら、醤油っぽい味付けで美味かった。そして付け合せに大量のポテトがあるにも関わらず塊のようなパンが出てきた。
今のところこの国の肉料理は期待しても良いという印象。
Wifiが使えたのでしばらくだらだらする。

その後、スーパーで水を買い、街を少し歩く。
水は1.5リットルで0.55KM、ちなみに買ってないがパスタは500gで0.6KMぐらいだった。
おそらく攻撃を受けたであろう建物がちらほらとあった。

ただすぐにすることがなくなり、バスターミナルの建物の前でひたすら待っていた。
以前にも読んだことがあった、以下の文章を読み返していた。
http://www.2monkeys.jp/archives/cat_1047181.html
これがきっかけでスレブレニツァをゼミの発表のテーマにしたんだったような気もする。

帰りのバスは16時半だが、日曜日だからか15時半過ぎぐらいまでは建物が開いておらず、外で待っていた。
そのうち受付のおばさんが現れたので、片道で来てもおそらく何とかはなるのだろう。

サラエヴォには20時過ぎに着いた。
トラムを待っても良かったが、とりあえずトイレに行きたかったので、タクシーで宿まで戻った。

一旦荷物を置いて夕食に出かける。
イスケンダルケバブを食べた。
まあまあ。

それからシャワーを浴びて明日の予定を考えたりしている。

地味に出費が多く、既に160KMほど使っているが、半分弱は交通費で、更にその半分はタクシーなので致し方無い。
残りは食費と展示の入場料など。

夜間にPCの青い光をカットするf.luxというソフトを入れてみた。
そんなに違和感もなく使えている。

明日は旧市街から新市街の入口辺りまで歩いて行く。
ホリデイ・インと歴史博物館に行ってみたい。
サラエボのバラも見ておきたい。
後は空港近くのトンネル博物館にも出来れば行く。
帰りのフライトは15時過ぎに発ち、またベオグラード経由で19時半頃フランクフルトに着く。

2015/01/18

2015/1/17

7時頃起きる。

身支度をして電車でマンハイムを経由し、空港へ。
ここに来るのは何度目になるだろう。

フランクフルトからベオグラードに飛び、サラエボに向かった。
機内食(サンドイッチ)を二回も食べてしまった。
サラエボ行きはブラジル以来のプロペラ機で若干酔った。

空港から市内まではタクシーで移動。
15KM(約7.5ユーロ)で済んだ上、めっちゃ親切な人だった。

ホステルはビルの3階ぐらいにあり、建物間違えたかと思った。
清潔な感じで、フロントの人はボスがドイツ人らしく、ドイツ語も話せた。

荷物をロッカーに預け、街を歩く。
旧市街はそんなに広くなく、だいたいのものは観て回れた。
Gallery11/07/95というスレブレニツァ(とシリア紛争)の展示は重い内容だった。
悲しい気分になる。

一旦宿に戻って明日の予定を少し考え、夕食を食べに出かける。
その辺にあったボスニア料理屋風のところで、色々なグリルを頼んだら非常に美味しかった。
一方で、失業率が高く、国はとても貧しいというガイドに聞いた話を思い出し、この国の将来を少し憂うような気分にもなった。

それから宿に戻ると地球の歩き方を持っている人がいたので話しかけた。
2年ぐらい旅をしていて、特に日本と何かしら戦争等で関係があったところを回っているらしく、話していて勉強になった。
アウシュビッツが部分的に戦勝国側による印象付けではないか、といった話など印象的だった。
後は太平洋戦争に伴う諸々とか。
少なくとも近現代史をもう一度勉強しようという気分になった。

その後アイルランドから来た人と少しだけ話した。
コミュニティ開発の修士号を持っていて、場所を転々としながら働いているらしい。

展示を素直に受け止めれば、セルビア人はなんてひどいことをするんだ、となってしまうわけだが、残念ながら当然そんなに単純な問題ではないわけである。
別に特定の民族が悪いわけではなく、人間の集団心理とそれを利用する指導者、傍観者、NIMBYな人々などが重なり合っている。
そして古くからのいがみ合いや経済格差、エトセトラである。
それでも、いつかはそうした心理の相乗効果がプラスの方向に向くことを人類のために期待したいのだ。

明日は7時過ぎのバスでスレブレニツァに向かう。
まずバスターミナルまでどうにか移動しなければならない。
トラムがちょうどよく来てくれると楽だが、最悪2.5km走って行くことになる。
3時間ぐらいで着いて、しばらくポトチャリを見学し、16時過ぎのバスでまた戻ってくる予定。

2015/01/17

2015/1/16

8時半頃起きた。
大家さんに退去日の連絡をした。
どうやら問題無さそうだったので、帰りの飛行機も予約した。
2月26日に退去して、エミレーツのドバイ経由で27日23時前に帰国予定。
マイルを使ってアップグレード出来ないかと少し思ったが全然足りなかった。

それからドイツ語のテキストに取り組む。
今回は結構時間がかかった。
途中で昼食にソーセージとブロッコリーのチーズパスタを作った。
まあまあ。

雨だったこともあり、結局保険と役所の手続きは来週に繰り越した。
夕方に図書館に移動し、文献を読み、明日の宿までの交通手段などを調べていた。

学食で夕食。

合気道の稽古に行った。
久しぶりに剣術をやった。
日本に興味をもつ人が増えて嬉しい。

帰宅して文献の続きを読んだ。

サラエボは空港から市内まで公共交通が若干怪しいようである。
たぶんタクシーを使うだろう。
幸い宿の近くに有名なモスクがあるのでそこまで辿り着ければ何とかなる。
Air Serbiaでベオグラード乗り換えなのだが、オンラインチェックインが無いため、11時過ぎの便のために8時ぐらいにハイデルベルグを出ないといけない。
まあ土曜は一時間に一本なので、ギリギリを避けるとだいたいそうなるが。

明日はそんなわけでボスニア・ヘルツェゴビナに向かいます。
15時頃にサラエボに着く予定。
宿に行ってから市内を軽く観て回る。

2015/01/16

2015/1/15

9時半ぐらいに起きたと思う。
記憶がぼんやりしている。

文献を読んでいたはずだが、その前にサボっていた。

昼食を家で作る。
ニュルンベルガーとマッシュルームを炒めてトーストと食べる。

その後大学に移動する。
どうやら保険の解約は事務所に行く必要があるらしい。

文献を一つ読み終え、コメントを書き、単語の復習をした。
図書館に移動し、チケット類を色々印刷した。
2月の旅行を少し考える。
ワルシャワからブダペストまでは飛行機を使うかもしれない。
ザグレブからはスロベニアに日帰りで行けそうだ。

別の文献を半分ぐらい読み、夕食のため食堂に行く。

キャンセルした航空券の代金が返金されていた。
詐欺ではなかったようだ。
ただなぜキャンセルされたのかは分からないし、チケットも送られてこなかったのは事実である。

1時間ほど遅刻して日本語で話す会に行った。
相変わらずのメンバーで話していた。
来週にも京都大学主催で似たようなイベントがあるようなのでおそらく行く。
今日はルーマニア研究をしていた人とルーマニア人の配偶者を持つ人が濃いルーマニアトークをしていたのが面白かった。

帰宅して文献の続きを読み終えた。

合気道もそうかもしれないが、人間の普遍的な構造に割と興味があり、心理面の構造も気になる。
物凄く暇になったら催眠術の原理とか勉強してみたい(あまりやる気はない)。
神経科学というのだろうか。人間工学みたいだ。

チェコ旅行の際にスロバキアまで行けないか画策中。
プラハからブラチスラヴァまでは電車で行けるようだ。

明日は退去日の連絡を大家さんにするためにそこそこ早く起きたい。
そして保険の解約、自治体への退去手続きなどを済ませたい。
後はドイツ語のテキストを予習し、少なくとももう一本文献を読む。
夜は稽古に行く。
ボスニア・ヘルツェゴビナ旅行の下調べも必要だ。

2015/01/15

2015/1/14

8時頃起きる。
シリアルを食べ、ゼミに出かける。

いつもは発表者が二人いるが、今回は一人だったため、残りの時間はグループディスカッションに充てられた。
大して役立てたとは思えないが、それでも久しぶりに授業に参加した感じがあって良かった。

それから食堂に移動し昼食。
ついでに確認したところによると、大学への退出手続きは不要だが自治体へは必要ということだった。

その後メールの返信をしていたらあっという間に時間が経った。

15時からタンデムをする。
なんだか少し話せるようになった気がした。
なおさら聞く練習をすべきだが…。

バス停近くのパン屋でBerlinerというパンを買い、カポエイラに向かう。
ジャムパンだった。
今日の練習はなかなかしんどかったが、色んな人と話せた回だった。

帰宅後はソーセージとブロッコリーのチーズパスタを作った。
割と良かった。
コンソメ的なものを使う時は、やはり多少水を足した方が良いな。

その後はメールを色々送ったり、ぼーっと考え事をしていた。

成績証明書関連の手続きを着々と進めている。
そんなに厄介なことには今のところならなそうだ。
後は保険と寮の立ち会いと住民登録と口座…。

自分の中に大事なものがあるから、やらなくてもいいことばかりでも、何かをやり遂げることが出来るのだろう。
そういう誇りを大事にしたいと思う。
一方で自分が大事にしていない部分も、まあ完全にだらけない程度にはちゃんとこなせれば良い。無理はしないけど。
大事じゃないこともだらけない、というのは大事にしていることかもしれない。ややこしいな。

明日は今日読みそびれた文献を読んで、コメントを提出する。
それから別の文献を読む。
図書館で諸々を印刷したい。
あと保険の解約申請をしたいが、担当者がいつ現れるのか良く分からない(木曜日だった気がする)。
夜は日本語で話す会に出る。
今月は水曜ではなく明日の夜に寮の友人はポーカーをするらしく、あまり面白くなければさっさと帰ってそっちに参加するかもしれない。

2015/01/14

2015/1/13

9時半頃起きた。

授業に行き、ゼミに出た。
起きてはいたが、若干上の空だった。
疲れか、ヌテラの糖分の所為か…。

昼は例によってケバブだった。
若干野菜の内容が変わっていた。

駅の方で買い物をしてから帰宅。
食材を買うのはいつも楽しい。

15分ぐらい昼寝し、さらにしばらくだらだらしていた。
グミを食べ始めたことで夕食が遅くなった。

夕食はニュルンベルガーとトーストとオリーブ。

文献を一つ読んで、明日のゼミの文献をぱらぱら眺めていた。

今日でちょうど授業関係の諸々が終わるまで後3週間だった。
うっかりすると一瞬で終わりそうだ。
手続きを忘れないように。

人を理解するには色々な人と話すのが手っ取り早いのだろうけど、たぶん量的にあまりそれをこなしていないため、人間関係への理解はいまいちである。
ただ慣れていく方向には進んでいるはずだ。

明日は午前にゼミに出て、午後にタンデムとカポエイラ。
概ねいつも通りである。

2015/01/13

2015/1/12

8時頃起きると靴が無くなっていた。
まいったなあと思いつつ探し、同室の人に聞いてみて、結局その人が取り違えていることが判明した。
びっくりした。

朝食はビュッフェで、南米でもそうだったが一切野菜がないスタイルである。
ただ折角なので全種類のパンとチーズとソーセージ類を食べた。

それからチェックアウトして、置いてあった地図を頼りに街を歩く。
チューリッヒ湖は船が邪魔だったが、中心地から極近いところにあるのが良いなあと思った。
教会や旧市街あたりを中心にふらつく。

フランもなく、体力もなくなったので、早々に駅に戻り、サラダとパンを買ってドイツに戻ることにした。
12時発の特急でマンハイムまで戻り、16時ぐらいに帰宅した。
食べ過ぎのためめっちゃ寝ていた。

それからしばらく家でだらだらし、18時過ぎに図書館に移動して資料を印刷し(コピー機は直っていた)、食堂で夕食。
稽古に行き、また車で送ってもらい帰ってきた。

スイスは物価以外はとても良いところだった。
それなりに予算があればお勧めできる。

モスクワ大からハイデルベルクにも人が来ることになりそうだし、ハイデルベルクの人も今年ばらばらに東京に行くようで、何というか人の動きが活発である。
是非こっちでも会いたいものだ。

峰なゆかのエッセイが面白い。
役立てるかどうかはともかくコミュニケーション上の勉強になる。
世界が拡張される感じがある。

明日は普通の火曜日なので、午前に授業を受け、午後はゼミに行く。
その後は買い物して帰って文献を読みつつ、明後日の再予習もしておきたい。

2015/01/12

2015/1/11

7時頃起きた。

身支度を整え、InterlakenWest駅へ。
天気が猛烈に悪く、吹雪みたいになっていた。
電車が動いているか確認して切符を買おうとしたが、駅員に「天気悪いよ」と言われ、途中駅まで行って様子を見ることにした。

Grindelwaldで降りるとやはり吹雪いている。
日本語の案内所があったので天気を尋ねると、今日は雪でこのままだと電車が停まるかもしれないなどと言われた。
少し迷ったが、ユングフラウヨッホは諦め別の場所を検討することにした。

InterlakenOstに降りて、昨日も行った食堂っぽいところでお茶を飲みながら、行く先を考える。
そのままチューリッヒを観光しに行こうかとも思ったが、地図を睨みながら、行けそうだったのでリヒテンシュタインに行くことにした。

Bernを経由してチューリッヒに向かう。
Interlakenから離れるに連れて段々晴れてきた。なんてこったい。
昼食は食堂車を使ってみた。
当たり前ながら結構な値段がしたが、それなりだった。
少なくとも満腹にはなった。

チューリッヒで更に乗り換え、Sargansに移動。
道中は試験対策ということで授業スライドを読んでまとめていた。
バスでリヒテンシュタインに入り、首都のVaduzで降りる。
ここではまた天気が崩れ、雪っぽいものが降っていた。
本当に小さい町で特に賑わってもおらず、ルクセンブルクともまた違った。
とりあえずinformationで何となくジャムだけ買い、ふらふらと歩いてみる。
郵便博物館などは無料で入ることが出来る。
1時間弱ですることがなくなり、30分ほどバスを待ってSargansに戻った。

それからチューリッヒまで移動。
道中は将来の収支計画を考えていた。
駅構内でいわゆるソーセージ系のものを食べた。
これでも6.8フランなので、ドイツと比べるともしかすると二倍弱する。

トラムでユースホステルに移動し、チェックイン。
あまりYHに泊まったことは多くないが、ロビーが広くて全体的に作りがしっかりしている。
翌日の計画を色々考えていた。
あまり美術館やらに行くよりは、自然を満喫したいので、川や山に行ってみたい。
近くに高尾山的なユトリベルグというのがあるらしい。
天気にも依るが。
後は旧市街を散策し、夕方にはハイデルベルクに戻りたい。

試験勉強を少し始めたことで、そういえば試験対策ってこんなことをやっていたなあというのを思い出した。
最近は授業を振り返って、要点をまとめ直すことが多い。

収支計画は未定なことばかりだが、とりあえず確実なのは奨学金はさっさと返済するに限るということとである。
ただ貯金をしても張り合いがないので、まずは一人分の生計を支えられるだけの資産を作りたい。
ある程度額があるとすれば重要なのは利回りと支出総額である。
利回りはほとんどリスクと言い換えられるので、生活を切り詰めるかリスクを取るかが近道となる。
若いうちにリスクを取りたいよね。

留学期間も残り短くなってきた。
手続きの類を早めに済ませることを心がけたい。

そんなわけで明日は朝食をユースホステルで摂って、出来ればチェックアウト前に身軽な状態で散歩に行き、それから山登りや旧市街散策をしたい。
ただ夕方帰るとなるとそんなに時間は無い気もする。
今日はこの後はもう少し試験勉強をしてから寝る。

2015/01/11

2015/1/10

7時過ぎに起きる。
簡単な朝食後、出かける。
マンハイムを経由してインターラーケンに向かった。
道中で残っていた分の予習は終わった。

昼は駅近くのビルの中の食堂みたいなところで魚のナゲット+αを食べた。
物価はまあまあ高い。

それから湖沿いにブリエンツまで移動。
湖畔を散歩したり教会を覗いてみたりして過ごした。
晴れた空から光が差し込み、湖が大変綺麗だった。

インターラーケンに戻り、宿に向かう。
自分が描いた地図が適当だったことと、途中の南北逆の地図に惑わされたこと、及び宿が一見するとレストランなことなどがあり、1時間ぐらい迷っていた。
最終的には住所の番地から探しだした。

しばらくごろごろしてから、夕食を食べに行った。
折角なのでチーズフォンデュを注文。
パンとチーズしか無いのか…と思ったが、結構量があり割と満足した。
そしてチーズもちょうど良く無くなるものなのだなあと感動した。

宿に戻り、明日の予定などを考えていた。

交通費がなかなか高い。
ドイツでは普段半額なのでそんなに気にしないが、山の上までは特に登山鉄道でもあるため往復で200フランはかかる。

水道水は美味い。
ドイツの水がまずいのかもしれない。

そんなこんなで結構歩き回った一日だった。
5駅分ぐらいは歩いていると思う。

明日はインターラーケン西駅から出発して、Grindelwald経由でユングフラウヨッホに行く。
高山病に気をつける。
下山はラウターブルンネンを通ってインターラーケンに戻る。
それからチューリッヒに移動する。
夕食の場所は時間帯による。
さっさと寝て7時ぐらいに起きる。

2015/01/10

2015/1/9

10時ぐらいに起きた。
朝食後、ドイツ語テキストの続きをする。

サラエボ往復の航空券を注文しようとしたところ、予約途中で間違えて戻ってしまい、もう一度同じ便を選択しようとしたらなぜかその一瞬で100ユーロほど高くなるという現象が起こった。
そのためチェコ同様先送りにし、来週の週末の便を予約した。
こちらはむしろ当初の想定より80ユーロぐらい安くなった。結果オーライである。
一方で今週末の行き先が無くなったので、色々考え、スイス方面に行くことにした。
中央部のInterlakenまで行くとユングフラウヨッホという世界遺産の山まですぐであり、いつだか映画で観たアイガー北壁があるということで、俄然行きたくなった。
そんなわけで今週末は初日にInterlakenまで移動して近隣を観光して一泊し、翌日に朝から登山鉄道で山頂を目指し、夜にチューリッヒに移動、翌々日にチューリッヒ観光してドイツに戻る感じの旅行をします。

13時頃、昼食にベーコンとマッシュルームなどのトマトソース炒めを作った。
ベーコンがちょっと固かった。
その後ついでにポーランド行きの航空券ももう一回やったら出来ないだろうかと思い試すも出来ず、別の便でも出来ずなので、やはりサイトの問題だろうと思う。
返信も来ないので、ダメ元でExpediaで該当便を予約したところ、1000円ぐらい高かったが、普通に上手く行って感動した。
サイト自体の信頼性も大事だなと思った一件だった。
しかしPolish Airlinesは大丈夫なのか…。

それから単語の復習をし、文献を読み始めた。
ちょっと開始が遅かったので、途中で夕食になった。
マッシュルームとパプリカとサラミの醤油チーズパスタ。まあまあ。

食後は合気道の稽古に行った。
良い練習になった。
同じ寮に住んでて稽古している人に誕生日をささやかに祝われて感激した。
車で送ってもらい22時半前に帰宅。

文献の続きを読み、少しスイスの下調べをした。

2月の旅行もざっくり考えた。
仮案では、ポーランドに入り、ブダペストを経由してクロアチアへ。
バスで南下してモンテネグロまで行きセルビアに入る。
その辺を観光しつつベオグラードからチュニジアに飛び、数日滞在してモロッコに飛ぶ。
そして24,5日ぐらいにハイデルベルクに戻り、翌日寮を引き払って帰国する。
やっぱりなかなか時間が短く感じる。
とはいえ3週間弱は使えるので、お金はケチらずに充実した旅にしたい。
しばらくは長期旅行はしにくいだろう。無理とは言わないが。

明日は8時ぐらいの電車でマンハイム経由でスイスのインターラーケンに向かう。
だいたい4時間半ぐらいかかるので、とりあえずそこで読み終わってない文献は読んでおく。
着いたら時間にも依るが、ブリエンツ湖を挟んで反対側にあるブリエンツという街まで湖に沿って電車で行く。
天気が良ければ散歩したい。
適当な時間に戻ってインターラーケン市内を散策したい。
ここで一泊し翌日に備える。
休養以外の何物でもない。

2015/01/09

2015/1/8

9時半頃起きた。

洗濯などをする。
怪しい予約サイトから返信が来ており、どうやらキャンセルしたことになったらしい。
まだキャンセルすると言ったつもりは無かったがまあ良い。
返金もすると一応言っているので期待せず待っておく。
というわけでエアラインのサイトから直接予約しようとすると、またカードが使えない。
PayPalも画面が進まず使えないので、サイト側の問題かと思い、ひとまず問い合わせをした。
ポーランド行きがこんなに面倒だとは思わなかった。
僕が希望するチケットは最早存在しないのかもしれない。

それからSkypeを3時間ぐらいして、出かける。

ビスマルク広場のケバブ屋で昼食をとり、歩いて図書館へ。
途中にあったネットカフェは印刷代が高く、大学のコピー機は依然故障中だったので、印刷屋に行った。
USBメモリなどを持っていなかったが、貸してもらえ、非常にスムーズに進んだ。
値段も高くなく、大変良かった。

そうして文献を入手し、図書館に移動してひたすら読んでいた。
どうもスピードが落ちた気がする。
逐一単語を調べるのは効率的ではないと後で思った。

何とか一読して、週末の旅のことを少し考えてから帰宅。

夕食はあるもの(サラミ、チーズなど)をほとんど皿に乗せるだけの怠惰なものだった。

その後は別の文献を読み、ドイツ語のテキストを少し進めた。
合間にストレッチとかしていた。
やはり分からない単語はすっ飛ばしてでも通読した方がだいたいの内容は分かる。だいたい。

どうも後半は目が疲れた一日だった。
単純に水分不足なんじゃないかという気がする。
寝る時に暖房つけるのは良くないかもしれない。

週末はチェコを予定していたが、直前になったためかバス代が1.5倍に値上がりしていた(来週だと変わらず)ので一旦見送り、別の場所を検討する中で、ボスニア・ヘルツェゴビナに行きたくなった。
3年ほど前にスレブレニツァの虐殺をゼミでテーマにしていたので、出来れば訪れてみたい。
飛行機の時間も良い感じで、実現するために図書館から帰ってきてからは真面目に勉強していた。
明日の進捗如何だが、おそらく何とか出来るだろう。
予約時の決済トラブルとかが無ければ…。

明日はドイツ語のテキストを優先(移動中には出来ないので)し、文献の予習を重い順に片付ける。
全部終わったら最高だが、一番重いやつだけでも上出来である。
夜は久しぶりに合気道の稽古に行く。

2015/01/08

2015/1/7

8時半頃起きる。

朝食後、ゼミに行った。
毎回二人発表なのだが、今回はどちらも尺が長く、ほとんど発言の余地がなかった印象だった。
何だかんだで先生自身も喋りたがっていると思う。

その後久しぶりに開いた食堂に移動。
退寮を早める申請をしたら遅いと言われたが、一応受け付けてもらえた。
3月分の家賃を払う必要があるかどうかが変わるが、いずれにせよ退出確認は大家さんとの間で決める事柄のようだ。
昼食を食べ、図書館に移動。

残念ながら印刷はまだ出来ない状態だった。
相変わらず航空券の連絡が来ないので、注文したサイトについて調べてみたら、まあ大変に評判が悪い。
というか詐欺サイトないし限りなくそれに近いもののようで、200ユーロは諦めムードになる。
一応催促のメールを送り、問い合わせフォームからも同内容を送ったが、週明けまで連絡がなければ別途手配する。
そういうこともあるんだなあ。
ちなみにGOVOLOっていう予約サイトです。

午後はタンデムに行き、過去形に苦戦した。

1.2ユーロのケーキを食べてからカポエイラをしに行った。
バスの中でめっちゃ眠くなった。
カポエイラは今日は結構ハードな基礎練習がメインだった。
筋肉痛になりそう。

帰宅後に、トマトソースとベーコンでパスタを作った。
えらく贅沢な感じになった。

その後、文献を読もうかと思ったが、ノートPCでは色々限界があり、やめた。

印刷しないと何が困るかというと、分からない単語の書き込みが出来ない、同時に調べられない、メモの場所がごちゃごちゃになる、目が疲れるなどです。
日本語文献でただ読むだけなら、まあ電子媒体でも良かったのだろうけど。
あるいは時々調べたり書いたりするぐらいなら、でかいモニターがあれば良いのだろうけど。
そんなわけで代わりに印刷する場所を探しに行きます。
コピー屋かネットカフェが有力だが、USBメモリ的なものを持っていないので、後者のほうが確実かもしれない。

明日は午前に家事などをし、午後は何とか文献を印刷して、授業コメントの提出とゼミの予習をする。
うまい具合に行けば(PC持参で)週末出かけるぐらいのことは出来るだろう。

2015/01/07

2015/1/6

10時ちょっと前に起きた。
買ってきたヌテラを食べてみる。
凄い食感かつカロリーだが、まあまあ美味しい。

メールを色々返信し、ついにレポートを提出したところ、あっという間に返事が来て、修正版はいつ欲しいかと聞かれた。
おそらく修正されたところを直すことになるのだろう。
無事に済むといいが…。

昼食は結構ちゃんとしたパスタを作った。
というのもトマトソースを買ってきたからで、ベーコン、たまねぎ、パプリカなどを刻んで和えたら、ナポリタン的なものが出来た。
良い出来だった。

午後はしばらく休んでから外出し、マクドナルドで明日の予習をしていた。
どうもじっと座って読むのは集中できない。

帰宅後、夕食はマッシュルームと辛いサラミのバター醤油炒め+トースト。
トーストをちぎって炒めてみた。
食べやすかった。

その後はJavaの課題を久しぶりにやっていた。
久しぶりすぎて前回どこまでやったかを特定するのに時間がかかった。
そして結構残っていたので、とても今日中には終わらなかった。
ただ(のんびり)コードを書くのは割と好きだ。

寮の退出は、寮の代表者に聞く限りは、思っている感じで進みそうな気配がある。
それより航空券の連絡が来ない方が気がかりである。
振り込んでいるので、とりあえず何らかの返信をして欲しい。

帰国、というかこの寮で過ごすのも後1ヶ月も無いので、棚のお茶を日に2杯ぐらいのペースで飲みまくっている。
それでもなくなるか怪しい。
ルイボスティーが美味いので帰国後も常飲したい。
ノンカフェインなのも良い。

モスクワ大の合気道部が月末辺りハイデルベルクに来る可能性があるらしい。
大変行動力のあるやつらだ。
実現したら面白い。

2月のいつ帰るか結構悩みどころである。

明日から授業期間再開である。
午前に授業に出て、午後はタンデムとカポエイラに行く。
少し懐かしい感じだ。
図書館でコピー機が直っていたら諸々の資料を印刷する。
それと退寮手続きを早める連絡をしに行こう。

2015/01/06

2015/1/5

10時半頃起きた。

朝食後に少しレポートを見直し、出かける。
駅の近くのアジア料理屋でチャーハンを食べた。
結構量があり味も良かった。
それからその近くのスーパーで買い物。
品揃えも価格も良かったのでもっと早く知っていれば色々捗ったかもしれない。

帰宅後、レポートをちょこちょこといじり、一通り修正したということにした。
自分だけであれこれしても埒が明かない面もあるので、直せと言われたら直す。
というわけで明日もう一回確認したら提出します。

その後、明後日の授業の予習を半分弱した。
一回読んだ文章なので、予習の復習みたいな感じ。

試験対策はとりあえず授業スライドの読み直し辺りから始める。
その次はおそらくチュートリアルのWorksheetに沿って復習するだろう。

この頃運動不足だからか部屋の中でしばしば倒立や腕立てをしている。
外に出れば良い気もする。

明日はドイツでは三王来朝の休日であり、図書館も閉まる。
今日印刷などしに行っておけば良かったか。
ただこの前見た時は複合機は故障していた。
レポートの提出と、久しぶりにJavaの課題でもやろう。
後は今日やり残した予習の残り、試験勉強ぐらいか。

寮の人々

忘れないように同じ寮の人々を簡単に紹介してみよう。

中国人の博士課程の女性:一時期めっちゃキッチンで遭遇した、テンション低め、時々親切
チュニジア人の男性:独特の美味しそうな料理を作る、陽気
ブリュッセル出身の姉妹:いつも二人で食事をしている、月一ぐらいでポーカーをした、妹の方は良く笑い、姉の方が落ち着いている
中国人の女性:隣人、英語が上手い気がする、正月も課題に追われていた
たぶんドイツ人の女性:隣人、良く寝巻きで歩いている
たぶんドイツ人の男性:1度しか会っていない、試験勉強で図書館にこもっていたらしいがそれ以後も見かけない
ペルー出身の女性:寮内カップルの一人、スペインとロンドンを経て来たらしい、めっちゃ話しかけられる
ドイツ出身の男性:寮内カップルのもう一人、政治の話をよく振ってくる、日本に興味があるらしい
寮の代表者のたぶんドイツ人の男性:いかついが親切、よく爆音を垂れ流している
出身不明の女性:あまり見かけない、僕のロッカーの扉に頭をぶつけていて申し訳なかった

同じ寮の同じキッチンを使う人達はこんな感じ。
食事時間はうまい具合にずれているようだ。

2015/01/05

2015/1/4

11時ぐらいに起きた。

朝食後しばらくだらけてから昼食にハンバーグと玉ねぎのコンソメパスタみたいな良く分からないものを作り、久しぶりに失敗作っぽくなった。

午後はレポートの手直しを半分ぐらい進めた。
ただメインの部分はまだ手付かずである。

夕食はサラミと白菜(?)と玉ねぎの煮物のようなもの。
意外と良かった。

その後はドイツ語のテキストの予習をした。

BahnCardの解約を予め手続きした。
DBへの書類送付を代行してくれるサイトを使って居ながらにして出来た(有料)。

内定先のHPを見ていたが、なかなか尖ったことが書いてあるので、早く働きたいという気持ちはそれなりに強い。
まずは遅れを取り戻さないといけないのだが…。

日曜で買い物出来なかったため、危うく昼夜パスタになりかけた。
結局夕食は炭水化物を抜く形になってしまったので解決は出来てなかったとも言える。
パンとジャガイモは置いておこう。

今月は授業は特にいつも通りではあるものの、生活関連の諸々の手続きが控えていることと来月は試験が(一つだけだが)あること、更に言えば週末どっか行きたいことなどがあり、割と慌ただしくなるかもしれない。
Javaとかドイツ語も今更ながらやっときたいし、そもそもレポートもまだ提出していない。
そんなわけでややストイックな生活が要求されるべきだろう。

今月は開いた風呂敷を閉じるような感じだ。

明日はレポートの修正と水曜の授業の準備と試験対策の検討をし、ついでに送れるメールを送る。
無性にチャーハンが食べたくなったので、昼は食べに行くだろう。
そして買い物をして帰る。

2015/01/04

2015/1/3

割と良く寝た。
簡単な朝食の後、思い立って2月のポーランド行きのチケットを予約しようとしたが、カードの問題か数度トライしても弾かれ、別のサイトでも振込を要求される。
更に別のサイトで予約しようとしてもやはり振込を要求され、そんなこんなしているうちにダブルブッキング状態になってしまった。
何とも説明しづらいが、最終的に支払い待ちのものをSkypeでキャンセルし、別のものを振り込んで領収書を写真で送ったところである。
振込が認められればこれで上手くいくはずだが、ちゃんとした証明書を出せと言われるともう少し面倒なことになる。チケット1枚でこれほど苦労するとは。

その過程でカードの通用度合いは発行会社で決まるということを知った。
海外サイトで日本発行のカードが使えないことはままあるらしい。

昼食はビスマルク広場のデパートでケバブを食べた。

図書館に行ったものの、概ねチケット関連でわたわたしていたため、ほとんど何もしていない。
夕方に買い物して帰った。

夕食はサラミと白菜の醤油パスタ。
寮の友人と日が変わるぐらいまで色々話していた。

なんともだらだらした一日になってしまった。
おそらく100ユーロぐらいをケチらなければ手続きは一瞬で終わったはずだが、それなりの額なのでまあ仕方ないのかもしれない。
英語で電話できるようになったのはちょっとした進歩だ。
FAXを送れと言われたり、フリーダイヤルにかけろと言われたり、あまり慣れていない要求が多く若干嫌気が差した。

明日は今日やる予定だったことをやりたい。
曜日感覚がないが明日は日曜日か。
6日までは休み。

2015/01/03

2015/1/2

9時前に起きた。
朝食は昨日と全く同様だった。
そういうものなのかもしれない。

一応時間は調べていたが、何となく予感がして早めにチェックアウトする。
最寄りの駅から国鉄でスタンステッド空港に向かった。

空港までに1回乗り換えたが、どういうわけだか降りる際に乗車券のチェックがなかった。
ロンドンではオイスターカードというPASMOのようなものを使っていたが、そのため入場したが出場記録が無い感じになってしまった気がする。
まあもう僕が使うことはないんだが…。

セキュリティチェックより先にレストランエリアがあるということで向かうと、今までで一番の行列だった。
かれこれゲートを通過するのに40分ぐらいはかかった。
そうするうちに搭乗間近になりフィッシュアンドチップスを食べる時間は無くなってしまい、結構余っていたポンドで出来合いのグラタンやスープなどを買い込んだところ、ちょうど小銭だけになった。
早めに出てきて良かった。

食べながら待ち、飛行機に乗り込む。
どうやらEU外の人間はチケットにハンコをもらって来ないと行けなかったらしいが、大目に見てもらえた。
ぎりぎりだったからだろうか。

格安航空会社のRyanairは安いだけあって空港もメインではなく、機体もバス並みに狭かった。ただ安い。
フランクフルト行きとは言うものの着くのはフランクフルトから100kmぐらい離れたハーン空港というところを予定していた。
ところがなんと、悪天候のためケルンに不時着した。
ハーン空港まで送迎バスがあるみたいな話もあったが、そこに用はなく折角だからケルンを少し見てから帰ることにした。

ケルン大聖堂は今まで見てきた教会の中でもトップクラスに荘厳だった。
とにかくでかい。
それぐらいしか見てないが、それだけでだいぶ満足した。
駅構内はインビス系の飲食店が充実していて、夕食はフィッシュアンドチップスの代わりに似たようなファストフードにした。

そして3時間弱かけてハイデルベルクに戻ってきた。
荷解きをする。

完全に移動だけの日になってしまった。
留まっているよりは良いかもしれない。

フィッシュアンドチップスが食べられなかったのは若干残念だが、結構な値段がする割にジャンクなイメージがあるので、今度見かけた時に食べるぐらいの扱いにしておこう。

明日からは一応勉強などを再開する。
もう図書館も開いているはずなので、行くかはともかく。
レポートを仕上げるために見なおしたり、ドイツ語のタンデムの準備をする。

2015/01/02

2015/1/1

明けました。

2時頃に寝て、9時前に起きた。
珍しくホテルなので朝食が付いていて、フルブレックファーストだった。
それが何かはさっき調べて知った。

ブログを更新したり、一日の予定を考えた。
昼過ぎに出発し、Tower Bridgeからテムズ川沿いに散歩した。
ロンドン塔などを横目にTate Modernという美術館まで歩き、最上階のカフェでボーっとする。

それから更に歩き、ロンドン・アイを越えてウェストミンスター宮殿、ビッグベンあたりまで行った。
地下鉄でCovent Gardenに行き、大英博物館を目指した。
どうも空いてないか入口が分かりづらい感じになっていたので中には入らなかった。
目当てはアフタヌーンティーだったので、近くの店でそれを頼む。

散歩中に買ったビッグイシューを読みつつ、のんびりしていた。

18時頃店を出て、駅まで歩き、最寄り駅に移動。
食べ過ぎ感があったので宿まで歩く。
途中のスーパーでジュースを買った。

それから部屋でだらだら過ごす。
2月の旅行について暫定的に、ポーランドから南下して東欧を一筆書きでだいたい全部回り最終的にチュニジアとモロッコあたりに行く感じにしようかと思っている。
日程的に機能するかは怪しい。
何となく途上国の方が好きかもしれないと思った。

明日は午前中に空港まで移動する。
フィッシュアンドチップスを食べねば。
フランクフルト僻地の空港に飛び、そこからバスでいつものフランクフルト空港まで行き、ハイデルベルクに戻る。

2015年を迎えて

今年は良くも悪くも学生が終わるという転機の年である。
高校生ぐらいの頃に、大学入学までが人生の第一部で、働き始めから第二部だと思っていた(在学中はいわゆるモラトリアム)のを思い出す。
ついにフルタイムで働く時がやってきた。

とはいえ別にフルタイムが重要なのではなく、その後ずっと仕事をすることになると予想されるからこそ上記のような分け方をしていたので、今は何となく思いっきり別方向への転職だとか大学に入り直すだとか、色々な選択肢がよりオープンになっているので、そんなに身構えることでもないかもしれない。

ただいずれにせよ今年が社会人としては最初の年になる。
2月頭にハイデルベルクでの授業が終わり、旅行などして2月末に帰国し、怒涛の勢いで家探しや資格の勉強を行う。
そして4月から働き始めるが、最初の4ヶ月ぐらいは研修である。
僕が9割方行けなかった内定者研修の続きということであり、この点も3月、あるいはそれ以前から追いかけなければならない。
そして8月頃に配属になるらしい。この辺は正直よく知らない。

とりあえず分かっている範囲で確実なのは、何か新しいことをそれなりに高いレベルでしなければならないということである。
今はそんな場所を結構楽しみにしている。
成果報酬みたいなところがあるので、俄然トップを目指す。
まずはさっさと仕事が出来るようにする。

仕事関係の交友関係が新しく出来ると同時に、大学以前の友人とも引き続き仲良くやっていきたい。
幸いにも東京勤務が多いので、ホームパーティとか山登りとかを今後も継続してやっていくつもりだ。

合気道は3月の合宿で三段を取りたい。
就職後も土日の稽古などはたまに行くようにする。
ただそれは状況次第ではある。

今まで借りてきた奨学金が返還に転じる一方で、収入源が出来る(当たり前か)ので、収支をうまくコントロールし、速やかに返済する。
早期返済はリスク無く利子分を得することができる。

後は新しくした100のリストを機会を見つけたり作ったりしてクリアしていく。

今年も無敵な感じで行こう。

2015/01/01

まつしょうの100のリスト改

以前作った100のリストを達成の判別が出来るように、あとは今の好みに合うように書き換えました。
ちなみに以前のものは3年間で12個達成されました。

1.アマゾンでピラルクを食べる
2.勝訴する 
3.オーバーランドトラックでアフリカを旅する
4.マカオのタワーからバンジージャンプする
5.ラットレースを脱する
6.鳥獣を屠る
7.ポーカーの世界大会に参加する
8.北朝鮮に行く
9.シベリア鉄道で移動する
10.死海で浮かぶ
11.飛行機を操縦する
12.飛んでるヘリコプターに梯子で登る
13.壁を使った前宙とバク宙を習得する
14.合気道五段
15.トマト祭りと牛追い祭りに参加
16.地獄の門を見る
17.スマホアプリをリリースする
18.ギネスブックに載る
19.日本の全都道府県に行く
20.ホステルを経営する
21.生きてるうちにひ孫に会う
22.馬で草原を駆けまわる
23.狩りをする
24.象に乗る
25.氷上でワカサギ釣りをする
26.海外で変な資格をとる
27.一人旅をしてる学生に飯を奢る
28.ラスベガスに行く
29.水上スキーする
30.キャラクターのモデルになる
31.うどんを打つ
32.映画に出る
33.本を出す
34.左手で字を書けるようになる
35.無重力を体験する
36.途上国で暮らす
37.twitter認証済みアカウントになる
38.経営者になる
39.トライアスロンに出る
40.部の記念行事にもう一度参加する
41.きれいなオーロラを見る
42.アウトバーンを疾走する
43.50ヶ国訪問
44.シャトーブリアン食べる
45.釣った魚を捌く
46.富士山登る
47.エベレスト登る
48.中米に行く
49.ファーストクラスに乗る
50.大家になる
51.中央アジアに行く
52.中国語の上級資格をとる
53.南極上陸
54.アフリカのサファリパークに行く
55.サハラ砂漠でラクダに乗る
56.日本三景を見る
57.ワールドカップを見に行く
58.本場のイタリアンを食べる
59.ヒッチハイクで旅をする
60.ケイビングをする
61.ドイツ語でCレベルになる
62.レーシングカーでサーキットを走る
63.闘牛を見る
64.相撲を見る
65.船の操縦する
66.自分史を書く
67.パラグライダーを操縦する
68.青ヶ島に行く
69.リオのカーニバル行く
70.ウィンドミルとトーマスを覚える
71.10打鍵/秒でタイピングする
72.ギターで1曲弾き語れるようになる
73.政策に関わる仕事をする
74.世界の最果て博物館に行く
75.ルービックキューブを解けるようになる
76.大学で講義を持つ
77.スキージャンプをする
78.テレビに出る
79.プロボノ活動をする
80.180度開脚出来るようになる
81.MBAを取る
82.もう一つ黒帯的なものを取る
83.喜望峰に行く
84.寺院で修行する
85.ラーメンを作る
86.寿司を握る
87.燻製を作る
88.20代のうちに月100万以上稼ぐ
89.格闘系の試合をする
90.宇宙に行く
91.自力で家を建てる
92.体重60kg以上にする
93.ライフル以外の銃を撃つ
94.火の上を歩く
95.ウォール街で働く
96.気球に乗る
97.金の延べ棒買う
98.特許を取る
99.雲ノ平に行く
100.毎日笑って過ごす

2014年の振り返り

イベント中心にざっと振り返る。

・1月
企業説明会が本格化する時期。色々回っていた。
60周年記念行事のメンバーで先生宅やコーチ宅での新年会を行った。
MRIでの実験に参加した。

・2月
抜刀の稽古が始まった。2ヶ月ぐらいだったが、相当の集中が求められる貴重な稽古だった。
就活はこの頃には素材系メーカーを中心にしていたようだ。
RAとしてヒアリングなどもした。

・3月
数学学習サイトの問題作成補助みたいな企画が持ち上がり、バイトの管理その他を以降11月ぐらいまで担当した。
就活ではリクルーターとちらほら会っていた。

・4月
修士の2年目が始まった。
1週目にはそこそこ面接があったが、中旬には全部落ちたので、追加でエントリーをした。
一方で大家さんから茶道を習ったりアウトレットに遊びに行っていたので、気楽なものである。

・5月
GW頃に今の内定先を知った。
五月祭で抜刀の演武をした。
月末頃は内定先に決まりそうだったので選考を辞退し始めていた。強気だな。

・6月
自動車学校に通い始める。これも厳密には内定が無い段階なので、見返していて笑ってしまった。
某社のインターンに4日ほど通う。
インターンの同期との雑談はめっちゃ楽しかったが、作業はかなり大変だった。
ゼミでハラルについて調査するため、モスクやレストランにインタビューに行った。
月末頃に実家と進路でえらく揉めた。

・7月
想食系のメンバーで「俺のフレンチ」に行った。
掲載店以外でメンバーが集まる珍しい機会だった。
月始は官庁訪問を少しだけしていた。
それはそれで面白かった。
モスクワ大との合同稽古も行われ、ロシアの友人と再会した。今度また来るらしい。
GraSPPでの授業は早くも終了した。

・8月
夏合宿に全参加するつもりだったが、内定者懇親会が被り、交通費を請求して一旦東京に戻るという強行軍だった。
七徳堂の改修が始まり、遠征メンバーの稽古は文京区の体育館に移った。
変な肉を食べる会の第二回が開催され、カメノテやウズラ、ミラクルフルーツなどを供した。
中旬に無事自動車免許を取得した。
この年も富士山には行けなかったが、武甲山に登った。
下旬には引越しの準備を諸々した。

・9月
上旬に3年半住んだ本郷の家を引き払った。
江戸川橋の道場が2周年を迎えた。
9日から南米遠征に出発した。
ペルーとブラジルで無事全行程を終え、飛行機トラブルはあったが23日に帰国した。
ちらっと秋合宿に顔を出し、内定者研修に出て、その晩に渡独した。
フランクフルトで彼女と合流し、ハイデルベルクなどを数日観光する。

・10月
留学関連の諸々の手続きを済ませ、オクトーバーフェストに行ってみた。
ニュルンベルクを経由して帰る。
授業は中旬にようやく始まり、最終的にはゼミ2つ講義1つチュートリアル1つスポーツ3つみたいな時間割になった。
ルクセンブルク、トリーア、マインツなどにも出かけた
語学の授業の締切が過ぎてしまったため、タンデムを行うことにした。

・11月
パリに行った。地下鉄が汚い。
日本語で話す会というイベントで、久しぶりに日本人と話した。
中旬は土日で合戦太刀のセミナーというイベントに急遽参加した。なかなかエキサイティングで、時速180kmで走るベンツにも乗れた。
寮の人に誘われてポーカーをした。まさか実物をこんなところでやるとは思っていなかった。
映画鑑賞会で隣町まで出かけた。
ゼミのプレゼンを2つとも無事終え、アイスランドに旅立った。
旅は道連れでめっちゃ楽しかった。
氷河に登ったり、オーロラを見たり、温泉に入ったりした。
オーロラはついに見ることが出来たが、もう一度もっときれいなものも見てみたい。

・12月
アイスランドから帰った週末にまた旅に出たくなり、アムステルダムとブリュッセルを回った。
アムステルダムは危ない匂いのする街だった。
再び寮でポーカーをした。
後半はひたすらレポートに取り組むも、24日から大学の施設が全部閉まるのでなかなか慌ただしかった。
28日頃に一通り書き終え、夜はインターステラーを見に行った。英語版ではなかった。
29日から急遽ベルリンに行き、ぶらぶらする。
院の友人と再会し、念願のアイスバインを食べた。
大晦日の夜にロンドンに飛んで年を越した。

特筆すべきは、進路がついに決まったことと南米に行ったことと留学したことですね。
なかなか充実した一年だったような気がする。

2014/12/31

10時前に起きた。
前日にホステルロビーで騒ぎまくっている集団がいたためやや寝不足。

駅まで歩き、昼食は構内で魚のサンドとサラダを食べた。
それからICEでフランクフルトに向かう。
車内Wifiが1日5ユーロで使うか迷ったがやめておいた。
道中は2014年を振り返ったり、2015年の抱負を考えていた。
あと、100のリストを全面的に書きなおした。
ペプシの1lボトルを携帯していた。

空港に着いて、またちょっとしたサンドイッチを食べる。
さっさとゲートを通過し、新聞を読んで待つ。
英国で初のエボラ感染が出たらしい。

Londonには20時頃着いたが、国境を超えるまでが若干長かった。
微妙すぎるレートで両替をし、地下鉄でしばらくかけて宿の最寄り駅まで移動。
さらにバスで宿に着き、荷物を整理して地図を確認し、再び中心部に向かう。

トラファルガー・スクエアをとりあえず目指していたが、若干道に迷い、年越しはその近くの別の広場だった。
盛大なカウントダウンだった。
とりあえずみんな外に出てきて、年が明けてしばらくするとぞろぞろ帰っていくような感じだった。
おかげで帰りの交通機関は入場規制がかかっていた。

26時頃に宿に戻りさっさと寝た。

交通費と宿泊費以外は未確認だが、なかなか物価が高い。
そして現金両替がATM引き出し手数料を考慮しても有利なことはそうなさそうなので、今後は積極的に現地通貨を引き出していきたい。

10年ほど前のトラファルガー・スクエアでのカウントダウンは、それはそれは乱痴気騒ぎだったらしいが、少なくとも年明けて20分後ぐらいには常識的な範囲内での盛り上がりだった。
警官も多かった。

去年のまとめと今年の抱負は別途記載予定。

元日はテムズ川沿いを散歩することにした。
アフタヌーンティーなどしたい。