2015/02/28

2015/2/27-28

2/27
ドバイを経由して23時頃帰国。

特に書くことがないが、機内ではベイマックスとワンチャンスという映画を見た。
どちらも良かった。
特に後者はあまり期待していなかったが、かなり感動的だった。
実はオペラが好きなのかもしれない。

一旦東京に居候する。

2/28
荷物の整理をした。
いずれ東京に部屋を借りるのでしばらく一部の荷物は置かせてもらうことにする。
昼食は食堂もり川

池袋に買い物に行き、SIMカードを購入。
ぷららLTEでテザリング生活をしようかと思ったが、売っておらず、Amazonでも在庫が無いようだったので諦めて従来同様携帯の通信用にbmobileのSIMを購入した。

夕食は山手。

しかし店員に機種を見せて教えてもらったSIMのサイズが間違っており問い合わせることになった。
なかなか面倒なのでSIMサイズの変換アダプタを買って自己解決した。

このブログは結構書くのに日々時間がかかっているが、別のことに同じ時間で結構すごいことが出来るのではと思ったので、しばらく毎日更新はやめにしようと思う。
3月中は適宜更新で、それ以降の措置は後々考えたい。

明日は午前中に稽古に行って、午後も後輩の追い出し稽古に行く。
明後日が健康診断なので程々にしておく。

2015/02/27

2015/2/26

11時間ぐらい寝て8時頃起きた。

部屋のものをだいたい全部捨て、9時過ぎに管理人によるチェックを受け、無事に退出。
寮の友人に後で会う約束をして、とりあえずビスマルク広場周辺のスタバに向かった。
結局4時間ぐらいいたのだが、後半はネットの接続がいまいちでただぼーっとしていただけであった。

14時前に友人と合流し、昼食はたまに行っていた店でピザを食べた。
残金が1ユーロを切る。
日本の労働環境についての話とかをしていた。

それから駅前に移動して、電車の時間までマクドナルドで雑談。
17時13分の電車でマンハイムを経由し、フランクフルト空港に向かう。
また日本で会えると良い。

ターミナル2に移動して無事チケットを入手し荷物をドロップした。
今はドバイ行きの飛行機を待っているところである。

これから約6時間かけてドバイへ、3時間弱のインターバルを挟み、更に9時間半かけて羽田に向かう。
日本の27日をほぼ移動に費やす形となる。
時差ボケとエコノミー症候群に気をつけよう。
あまり帰国する実感はないが、今のところでは、そんなに全体的に久しぶりという感じがしないんじゃないかと予想している。

帰国後は色々やることが山積しているが、一つずつこなしていくしかない。
今日はネット環境を検討していたが、LTE無制限SIMでのテザリングが有力である。

2015/02/26

2015/2/25

7時に起きる。
朝食はパンとミントティーとオレンジジュース。

チェックアウトしてタクシーでカサボヤージュへ。
フロントで25ディルハムと聞いていたが、メーター使用で10ディルハムで着いた。
空港まで二等席で移動。特に問題なし。

航空券を入手して、サンドイッチを食べながら出発を待つ。
ゲートでしばらく寝ていた。

モロッコ時間の11時頃出発して、ドイツ時間の16時頃に到着。
機内ではJavaの課題を出来る範囲でやっていた。
ガラガラで両隣が空いていた。

それから電車の接続などの関係で、寮に戻ったのは18時頃。
以前貰ったポテトチップスを食べ、荷造りをする。
意外と荷物がパンパンなので寝間着などは捨てていくことになった。
シャワーを浴びて夕食のため外出。
残念ながらこの時期は学食は閉まっているようで、以前美味しかったカルボナーラをまた食べに行った。
前回ほどの感動がなかったのは単にそんなにお腹が空いていなかったからかもしれない。

21時頃帰宅して、さっさと寝ようというところ。

明日は9時過ぎに寮の退出確認をする。
それまでに寝具なども処分せねば。
それ以降は特に予定がないので、図書館にでも行っているか、荷物を預けて散歩でもしているだろう。
座りっぱなしは辛い。
ドバイ行きのフライトは20時15分にフランクフルトを発つ。
羽田には27日の23時前に到着予定である。
時差ボケ対策のため、前者のフライトではひたすら寝て、後者では少なくとも後半はずっと起きているようにしていようと思う。

2015/02/25

2015/2/24

9時頃起きた。
宿で質素な朝食をとり、メディナの中をお土産を求めて彷徨う。

しかし、相当ふらふらしたが既成品が多く、どこの店でも同じような商品を扱っていたのが若干残念だった。
最終的には絵を買った。

途中で、ガイドではないしお金もいらないという人に皮なめしの作業場まで連れて行かれたため、帰りに盛大に道に迷った。
なお実際はこの辺りに良くいるらしい勝手ガイドだったので、後にガイド料を請求されたが、言質に厳しい人間なので当然払わなかった。
後に屋台でも3で良いと言ってきたのを後から4だと言われたが、これも同様に拒絶した。
法的に考えて間違ってないと確信できれば強気にもなれるものである。

一通り回ってからタクシーで駅に向かったところ、次の電車まで2時間弱時間が空いた。
とりあえず昼食にイタリアンでまたもシーフードのパスタを注文。
安定して美味い。
その後喫茶店でしばらく時間をつぶす。

14時45分発の電車でカサブランカのカサボヤージュ駅へ向かう。
道中はドイツ語の勉強をしていた。ほぼ一冊が終わったところ。

18時頃に到着し、そこからホテルまで歩くことを試みた。
途中でトイレへの行きたさから喫茶店に入って現在地を確認したら若干見当外れなところにいたので軌道修正し、ぐいぐい歩く。
最終的には19時半頃辿り着いた。

チェックインして荷物をおき、一応カサブランカ観光ということでハッサン2世モスクを観に行った。
なかなか見えてこず、やめようかと思った辺りで空を分断する緑の光に気付く。
光線の麓にはミナレットがあり、どうやらメッカの方向を指しているようだった。
光のもとに向かってひたすら歩いて行くと見つかった。
相当でかい。
ただ残念ながら時間の都合か、はたまた旅行者だからか中はちらっと見ることしか出来なかった。
噂によるとツアーの時間が決まっているようだ。

宿まで走って戻ると10分程度で着いたので、せいぜい2km程度だったようで、そのまま夕食にする。
魚のタジンを頼んだ。
明らかに電子レンジで調理しているのが残念だったが、まあ気にしないことにする。
タジン鍋はなるほど電子レンジ調理に向いているような気もする。

その後、諸々の事務作業をしていた。

東欧ではロシア語系の話者が多く、北アフリカはフランス語とアラビア語が主流のため、英語しか話せないことに若干の肩身の狭さというかコンプレックスを感じなくもなかった。
とりあえずドイツ語はそれなりのレベルになるまで続けたいものだ。
そうすれば外国語の勉強法が分かったといえるようになる気がする。

明日は11時前のフライトでフランクフルトに戻る。
空港までの電車が1時間に1本で、チェックインを2時間前までとか、空港までの電車が出る駅まで電車で行かないといけなかったりで、何だかんだ早起きしないといけなさそうである。
カサボヤージュまでタクシーで行くのが無難か。
ドイツに帰ったら、荷解きというか、詰替えをして退居の準備をする。

2015/02/24

2015/2/22-23

2/22
6時半前に起きる。
集合場所とされたカフェ・ド・フランスに向かう。
今日も屋台のオレンジジュースを飲んだ。

10分弱遅れて送迎がやってきた。
しかし、少し移動して更に30分ほど待たされた。
それからツアー会社のオフィスに移動し、残金を払ってバスを乗り換えた。
どうやら無事に参加できるようで良かった。

バスはアトラス山脈を越えてザゴラを目指す。
途中で写真のためなどに何度か停止し、昼過ぎに世界遺産のアイトベンハッドゥを訪問。
1時間半ほど歩いて川を越えたり要塞に登ったりした。
とにかく風が凄かった。
その後昼食はクスクスを食べた。カレーに似ていて食べやすかった。

それから一回写真タイムを挟み、17時過ぎにザゴラ着。
水を買って、ついにラクダに乗る。
といっても人生三回目ぐらいである。
今回は30分ぐらい乗っていたが、足を乗せる場所が無いのでちょっとした拷問を受けているかのようだった。
キャンプに到着後は、お茶を淹れてもらい、夕食にタジン鍋を食べ、焚き火を囲んで歌ったり踊ったりしていた。
なかなか楽しかった。

星も綺麗である。

夜はさっさと寝たが、寒すぎて二度ほど目が覚めた。
朝4時頃トイレに行くと月も沈んでいて星が一層綺麗だった。
また日本でも星を観に行ったりしたいなと思った。

2/23
7時半頃に同じテントの人に起こされ、朝食。
ベルベル人の朝食という触れ込みだったが、パンとはちみつ、バターという質素なものだった。
再びラクダに乗って道路まで戻る。
僕の乗っていたラクダは良いんだが、後ろのラクダは常によだれを垂らしていたので、カバンとかにかからないか冷や冷やしていた。

バスはしばらく進んで昼頃にワルザザートで2時間休憩。
昼食は肉団子のタジンにしてみた。
その隣の映画博物館にも行ったがそんなに面白くはなかった。

そのままマラケシュに戻る。
18時半頃着。

フナ広場まで戻って夕食。
適当な客引きに連れられて、揚げた魚を注文。
ついでに好奇心から羊の脳も食べてみた。味はない。

それから一昨日泊まったホステルに行ったが、あいにく満室らしく、近くの別の宿を紹介された。
そこにチェックインし、即座にハマムを紹介してもらい、そこまで連れて行ってもらった。

ハマムとマッサージをお願いしたが、ハマムは色々凄かった。
ある意味ひどい目にあった。

21時半頃に宿に戻り、明日の予定を考えていた。
カサブランカはどうも大して観光するには面白くなさそうだ。
そして微妙に電車で中心部に行くのが面倒っぽい。

かくして100のリスト改のうち「サハラでラクダに乗る」は達成されたのであった。

明日はとりあえずマラケシュのスークとかをうろうろしてお土産を物色し、適当に切り上げて電車でカサブランカに向かう。
着いたら適当に観光するだろう。
接続が悪いと普通に夜になる可能性もあるが…。

2015/02/22

2015/2/21

8時頃起きた。
例によって質素な朝食をとり、チェックアウト。

タクシーを拾おうとするが、大通りが通行止めでしばらく歩く。
乗ったタクシーはスマホのながら運転で冷や冷やした。

空港には9時半前に着き、無事チケットを入手。
それから余ったディナールで買えるお土産を物色。
相当悩んだ末にグラスとかを買った。

11時半発のフライトで、カサブランカには13時過ぎに到着。
時差を考慮すると2時間半ちょっとかかった。
ロイヤル・エア・モロッコの機内食は割と良かった。

空港で度重なるセキュリティチェックとパスポートチェックを経て、地下の駅に向かい、マラケシュまでのチケットを購入。
1等で200MAD(約2500円)だった。
それは良いんだが、売店で買ったサンドイッチと水が明らかに高すぎたのが気になった。
最初お釣りもちゃっかり渡そうとしなかったので怪しい店である。

13時55分にカサブランカ空港駅を出て、30分かそこらで乗り換えの駅へ。
14時50分発のはずが15分遅れで来て、マラケシュには18時20分頃着いた。
電車のトイレが完全にただの筒だったのが面白かった。

そこから地図とメモを頼りに宿を目指して歩き始める。
途中までは合っていたと思うが、どこかで歩きすぎて道に迷う。
路上の地図を頼りに修正し、疲れたところでwifiのあるレストランに入る。
鶏のタジン鍋とバナナオレを注文。無難に美味しい。
現在地を確認して宿に向かった。
恐ろしいことに近くまで行っても看板も標識も何もなく、聞かなければ完全に分からないような場所だった。
中は薄暗くシーシャを吸ってる人々がいて、本当にホステルかと疑ったが、ホステルだった。
1泊800円ぐらいの割にウェルカムドリンクで紅茶が出てくるなどして良かった。
しかし水回りなどは全体的にぼろい。

砂漠ツアーは3人目として参加できるか聞いていたところとは別のところから、より安く参加できるという返事があり、そちらに申し込みデポジットを支払った。
超直前だったが集合場所を無事電話で確認出来たので何とかなるはず。

集合場所を確認がてらジャマ・エル・フナ広場に行ってみたが、非常に良かった。
夜9時過ぎでも活気にあふれていて、ほとんど何でも売っているかのようだった。
僕が旅に求めているものの一つはこれだという感じがした。
集合場所は隠れているわけではないが結構分かりづらいので、予め行っといて良かった。
この広場名物だというオレンジジュースも飲んだ。
飲んでる間に子供の物乞いが3人現れた。

宿に戻り、特に何をするでもなく過ごす。

電車の中で帰国後やることを色々整理していたが、やはりさっさと家を決めるに限る。
1週間以内に引っ越したい。
そして小洒落た部屋にしたい。

そんなわけで明日明後日はツアーでサハラ近くのザゴラまで行って戻ってくる。
本当はメルズーガという街まで行けるとより本格的な砂漠が楽しめるらしいのだが、2泊3日になってしまうので日程的に断念。
色々寄り道しつつ砂漠まで行き、ラクダに乗ったりテントに泊まったりして、明後日の夜にマラケシュに戻ってくる。
集合は7時なのでさっさと寝る。
無事ツアーに参加できると良いなあ。

2015/02/21

2015/2/20

8時頃起きたが、特に急ぎの用もなくごろごろする。
ただ水分不足だったので、そのためにホテルの朝食をもらいに行った。
フランスパン一切れと紅茶かコーヒーという驚きの質素さだった。
追加で100円ほどで飲めたオレンジジュースは良かった。

モロッコのツアー会社に打診メールを打つなどしていて、10時過ぎに出発。
まず銀行によって印紙を買おうとしたが、隣の店に行くように言われる。
そこにはウェスタンユニオンがあった。確かに扱ってそうだ。

その後駅まで歩き、近郊列車でまずSalammbo駅へ。
海側のトフェを見学。
生贄にされた子供の墓地らしい。
散歩には良い天気だった。

また電車に乗って、昨日も行ったHannibal駅で降りる。
坂を登って博物館へ、といっても半分以上屋外だった。
キリスト教っぽい像があって不思議だったが、ローマに滅ぼされた後に属州になったのでさもありなん。

それから駅まで戻り、更に海側に行ってアントニヌスの浴場を見学。
遺跡の中を歩き回れて良い。

その後、電車でチュニスまで戻る。
昼食の店を物色するも、最初の店はメニューが2種類しかない上にやたら高く感じたので敬遠。ただコースだったからかもしれない。
次の店は値段はやや安くメニューは豊富だった。
ミックスグリルを頼む。レバーが多かった。

そこからタクシーでバルドー美術館へ。
モザイク画が大量にあった。よく出来てる。
普通のタクシーだった。

トラムみたいなメトロで中心部に戻る。
メディナと呼ばれる旧市街へ。
思ったより土産に良い物が無かったので何も買わず。
宿に戻る。

少し休んでから再出発。
近くでシーフードのパスタを食べた。
結構良かった。

その後、戻ってモロッコ旅行の準備をしていた。

意外とお金は良い感じでなくなっているが、それでも残り日本円で2000円弱はある。
空港でお土産でも買うか。

いよいよ今回の旅行最後の国、モロッコに向かう。
楽しみだが客引きなどは相変わらず鬱陶しそうである。
チュニジアでも声をかけられることが多い。
だいたい挨拶しただけで友達のふりをしてくる輩の”My friend”は"Money"と同義ぐらいに考えておけば良い。

砂漠ツアーに参加出来るかどうかが、僕がグループにお邪魔することになる人達の許可待ちということで、まだ分からない。
起きたら連絡が来てると良いなあ。

明日は昼前の便でチュニスからカサブランカへ移動。
着後は空港から鉄道でマラケシュを目指す。
上手く行けば18時頃着くだろう。
ホステルまでは歩けそうなので歩く(タクシーとあまりやり合いたくない)。
余裕があれば広場を見学したりしたい。

2015/02/20

2015/2/19

6時15分頃起きる。
朝食はビュッフェだった。
若干食べ過ぎる。

空港に送迎タクシーで移動し、早々にチェックインを済ませる。
ルフトハンザかと思ったらクロアチア航空だった。
9時過ぎに出発し、1時間半ほどでフランクフルトへ。
慌ただしく乗り継ぎ、チュニスエアーでチュニスに向かった。
だいたい予定通り14時にチュニス着。

さて入国審査が結構並んでおり、時間を取られ、更に空港内のATMが故障しているのかVISAに対応していないのか、現金が引き出せない。
仕方なく10ユーロだけ両替して、出発側にいたタクシーに乗る。
というのは到着側にいるタクシーは多くが客待ちの怪しい連中だと聞いていたからだった。
しかし僕が乗ったタクシーも降りる直前までは、規則正しく良識的なメーターに従っていたが、止まった瞬間にいきなり3倍になるという不連続性を見せつけてきた。
明らかにおかしいので突っ込んだが、運転手は「これがメーターだ」と完全に真顔なのでどうしようもない。さすがにちょっと面白かった。
あいにく小額紙幣も持っていないので、言い値を若干負けたぐらいの額を払って立ち去る。正規料金と比べて600円ぐらいの損害。
なお頼んだ場所には着いていないので同時に迷子になった。

地図も金もなく、どうしようかと思い、ふらふら歩いているとwifiと書いてある店があったので入り、道を聞く。
とりあえずコーヒーを頼んだがwifiはつながらないらしく、あまり意味がなかった。
しかしカフェの店員が自分のiPhoneで現在地と地図を見せてくれたおかげで、道が分かった。
騙す人もいれば助ける人もいるものである。

写真を撮らせてもらい、道を数えながら歩くと無事目的のホテルに辿り着いた。
現金がないのでカードでチェックインする。
予約していなかったがダブルでも空いていただけ良かった。

荷物を置いて、16時頃観光を開始する。
ホテルを出て少し行ったところのATMでは無事に引き出すことが出来た。
ただ勢い余って引き出しすぎた。
どうも再両替は制限があるという噂もあるので困る。
領収書もらわなかったし。

informationでチュニスの地図をもらい、近郊列車でシディ・ブ・サイドを目指す。
なぜか一駅目にたどり着くのだけ20分以上かかり、永遠に着かないのではないかと思われたが、それ以降の駅間隔は精々2,3分だった。
シディ・ブ・サイドは確かに青と白で綺麗だったが、驚くほどのものではなかったので少し残念。
帰りにカルタゴ・ハンニバル駅で降り、遺跡を目指すが道が分からない。
人に聞いて歩くと博物館までは辿り着いたが既に閉まっていた。
仕方ないので出直すことにしてタクシーを拾って中心部まで戻る。まともなタクシーだった。

夕食はその辺のレストランで海鮮ラザニアを食べた。
メニューがフランス語とアラビア語なので読めない。
Bodaとかいう炭酸ジュースがなかなか美味しい。

宿に戻り、自力で洗濯をする。
明後日までに乾くだろうか。

その後、カルタゴの回り方やモロッコの観光について考えていた。

今日は結構ドイツ語の勉強が捗った。
僕の性格上、文法はしっかりやっておきたい。

このブログは4月からどうしようか、と少し考えている。
仕事し始めると書ける内容も減るだろうし、そもそもこれほど細かく一日の記録をつけても見返すことは殆ど無いし、書くのに結構な時間がかかるので、違うあり方でも良いように思える。
公開する必要があるのか、という話もあるな。何でもここに書くと人に話すことが無くなりかねない。
Twitterの鍵付きアカウントで都度書いておけば事足りるような。
ただそれだとログが取れないので、手帳に書き足してくのも悪くない。

旅行情報を調べている途中でイスタンブールのぼったくり等注意喚起の記事に出くわし、1年半前を思い出した。
何というか自分が騙されるのはまあどうでもいいといえば良いが、他の人が騙される話を聞くのは居た堪れないものがある。

明日は午前中にカルタゴ方面を再訪し、午後はチュニス旧市街やバルドー博物館などに行く。
おみやげ類を買いたい。
あとチュニジアは出国時に出国税の印紙を提出する必要があるらしく、銀行などで忘れないうちに購入しておきたい。
遠方にも行きたかったが、さすがに滞在期間が短すぎた。

2015/02/19

2015/2/18

8時過ぎに起き、宿を出てバスターミナルへ。
そこから9時発のシャトルバスで30分後に空港に着いた。
それからが長かった。

チケットを発券するべく、トルコ航空のカウンターを探すと、20人ぐらいの行列。
それだけならまだ良いが一向に進まない。
結局僕が窓口に辿り着いたのは1時間半後だった。
その時は欠航便の振替を事前にしなかった人が多かったのだろうと思っていた。

僕に最初に提示されたのは今日の夜ザグレブ発でイスタンブール滞在時間を短くしたプランだった。
出発まではホテルで休めるという。
とりあえずそれで了承した2,3分後、なんとその便までキャンセルされ、次のイスタンブール経由便は明日の夜発になるとのこと。
さすがにそれまでは待てないので別の航空会社で探してもらう。
結局、明日朝発フランクフルト経由でチュニス14時頃着の、おそらくルフトハンザの便になった。
45分後以降にまた来るように言われたので、もらったバウチャーで昼食をとる。
ちらっと見に行くとまだごった返していたので気長にドイツ語の勉強をしたり昼寝したりして待つ。

結局13時45分頃に窓口に話しかけ、トランスファーのタクシーを待つように言われる。
14時半頃他の乗客と共に空港近くの4つ星ホテルに搬送された。
5時間ほど空港にいたわけだ。

ホテルはまあまあ快適だが、部屋で有線しか使えないのでMacBookには不適。
公共エリアのWifiはよく切れる。

もしかしたら夕食も航空会社持ちになるかもしれないという話があったので、近くの店で水とパンだけ買い、寝たり勉強したりしながら待つ。
結果、夕食も支給されることになった。
朝食も含まれているので都合3食提供されている。

それまでモロッコの滞在プランを考えるなどしていた。
マラケシュから1泊2日で砂漠に行きたいが良いツアーが見つかるかどうか。

折角ホテルに泊まるので、久しぶりに湯船に浸かろうと思い、お湯を張ってみた。
後で入る。

明日は無事に行けば、14時過ぎにチュニスに着くはずである。
さっさとタクシーで中心部まで行き宿を探し、無理矢理カルタゴとシディ・ブ・サイドを見に行きたい。
如何せん時間が足りないが、さっさと見て廻るのは僕の得意とするところである。

2015/02/18

2015/2/17

7時頃に目を覚ますと寝ている間にExpediaから連絡しろというメールが来ている。
どうやら改めて依頼しないと代替便は確定されないらしい。
仕方ないのでSkypeをつなげる。
30分以上のなんやかんやの末、結局イスタンブール行きが翌日昼の便、チュニス行きが翌々日朝の便となった。
到着が丸一日ずれ込んだこととなる。

それから宿代をもう一日分支払い、今日の予定を考える。
既にこの宿には僕しかいないらしい。
折角なのでプリトヴィツェ湖群国立公園に行こうかと思ったが、やはり冬は夏ほど綺麗では無さそうで、かつ寒いらしいので、ザグレブをゆっくり見て廻ることにした。

市内交通の1日券を買い、中心部っぽいところに向かう。
ザグレブは貰った地図によると上部と下部に分かれているようで、まず下部からぐるっと歩いた。
朝食はパン屋で買ったサンドイッチ。10クーナ(約170円)。
噴水や広場を抜けて、北にずっと進むとイェラチッチ広場に至る。
その近くにあった通りでカフェに入り、例によってエスプレッソを飲みながら計画を立てるなどする。

その後同じ通りをもう少し歩き、レストランで昼食。
串焼き(シャシリーク)とライスで65クーナ。ちょっと高い。
食後、名前を忘れたが20クーナのクロアチア風ドーナツ(丸い)を食べた。

広場に戻って世界一短いケーブルカーとやらに乗ろうとしたら、どうも運休のようだった。
そこでクロアチアの新聞社を名乗る人に名前と出身、ザグレブに何日いるのか(1日)だけ聞かれてやたら写真を撮られたが、いったい何にどう使われるのか…。

ケーブルカーの隣の階段を2分程登ると上部の街に着く。
すぐのところにある失恋博物館(確かBroken Relationship Museum)に入ってみたが、めちゃくちゃ面白かった。
思い出の品とエピソードが展示されているのだが、まさに人間ドラマである。
じっくり見て、併設の喫茶店でお茶を飲んでいたら15時過ぎになっていた。

そこからふらふら歩き、ナイーブアート美術館や石の門、ザグレブ大聖堂を見学。
墓地に行くのを忘れていた。
夕食をどうしようかと思ったが、意外とお金を使っていたことに気付いたので、マクドナルドで済ませた。
トイレに行きたかったというのもある。

そんな感じで割と早めに宿に戻り、特にすることがないので時間を持て余していた。
チュニジアはとりあえず行きさえすれば何とかなりそうな気がしてきた。
カルタゴとシディ・ブ・サイドは電車で行けるようなので、チュニスと合わせて到着日に周り、翌日は日帰りでスースあたりに行きたい。忙しくなってしまった。

家探しを考え始めたが、基本的には不動産屋に飛び込んで探すべきもののようなので、特に進まない。
駅の近くが良い。
あとホームパーティを切にしたいので、キッチンがそこそこ広いことと外観がぼろすぎないこと、音が響きにくいことなどが重要である。
意外と狭くても人は入る。

イスタンブールに18時間ほど滞在しないといけないのだが、トルコ航空のトランジットホテルサービスが使えないかカウンターで要確認である。
最短のスケジュールで10時間以上ないと使えないのだが、状況的に認めてもらえても良い気がする。
せめてラウンジぐらい開放してくれ。
1年半ぶりにイスタンブールの街に繰り出しても良いが、そんなにしたいこともない。
まあいずれにせよ暇なので着いてカウンターで相談してから決めよう。
元々は空港泊の予定だったし。

明日は8時半頃チェックアウトし、バスターミナルへ向かい、空港に移動。
無事に行けば12時過ぎの便でイスタンブールに向かう。所要2時間程度。
その後は未定であるが、一泊して翌朝チュニスに飛ぶ。

2015/02/17

2015/2/16

朝9時頃起きた。
体調はまあまあマシになった。
しばらく情報収集して10時頃に宿を出る。

ザグレブのバスステーションまで移動し、とりあえずリュブリャナ行きの片道チケットと、翌日のプリトヴィツェ(湖群国立公園)までの片道チケットを買う。
後者はなぜか往復で買えなかったが、後にそれが不幸中の幸いとなる。
リュブリャナ行きバスまでケバブを食べて待つ。

11時半発の便でスロベニアの首都リュブリャナに向かう。
クロアチア国内ではwifiが使えたので、プリトヴィツェの帰り便について調べてたが、どうも夜のイスタンブール行きフライトに間に合いそうにない。
シーズン中はあるのか分からないが、昼発のバスがあればまだ2時間だけ滞在して戻るとかも可能だったのだが、早くて16時45分発19時ザグレブ着の便なので、バスステーションから空港まで3,40分かかることを考えるとさすがに無謀である。
そんなわけでプリトヴィツェ行きのチケットは使えないこととなった。

リュブリャナには14時過ぎに到着。
さてポストイナ鍾乳洞に行こうと思い、時刻表を確認するとこれも結構怪しい。
次のバスが15時発で、片道約1時間、そこから歩いて25分ぐらいのところにあり、中を見るのに1時間半ぐらいを要する。
リュブリャナ発ザグレブ行きの終バスは21時05分だが、それに間に合うポストイナ発リュブリャナ行きのバスは18時過ぎが最後であった。
バスチケット売り場の人にも、ザグレブに帰るかポストイナに行くかどちらかを諦めろと言われる。
一応ポストイナ・リュブリャナ間は電車もあり、19時の電車であれば滞在時間を確保できるはずだが、ポストイナ駅は鍾乳洞から40分ぐらいのところにあることと、行ったとしてもガイドツアーがやっておらず入れない可能性があることを考えて、こちらも結局やめることにした。

そんなわけで大人しく、今日はリュブリャナを明日はザグレブを観光することにした。

リュブリャナは小さい街である。
バスで来る時に見かけたドラゴンの立っている橋まで10分程度戻るとおそらく既に旧市街となる。
時間は割とあったのでまずカフェでカプチーノ(最近良く飲む)を飲みつつ、ゆっくりする。
それから川沿いを歩き、教会の前まで辿り着く。
Informationで地図を入手し、ついでにおみやげを物色。
更にぐるぐる歩く。
途中でパルクールを練習している人々を見かけた。実際見たのは初である。
期間展示っぽい広告デザインみたいなものも観た。
18時過ぎにバスステーション方面に戻り、夕食。
適当に入った店がVeganのレストランだった。何というか優しくなりそうだなと思った。

さてザグレブまでの帰りのバスは19時20分のはずだったのだが、一向に来ない。
近くに立っていた人に話しかけて暇を潰す。
韓国の学生でオランダからイタリアあたりまで南下しているらしい。
ちょうど明日プリトヴィツェに行くらしいので、僕の要らなくなったチケットをあげたら代わりにオレンジをくれた。
バスはイタリアから来るためいつも遅れるらしく、結局30分後ぐらいに来た。
帰りのバスでは留学報告書を書いたり、ブログを書いたり、新居の条件を考えたりしていた。

意外とブログを書くのに時間を使っているんだなあというのが分かる。
まあ特に旅行中は一日色んな事があるので仕方ない。
メモ代わりにオフィスソフトを使っていると語数が表示されるが、いつも原稿用紙数枚分は書いていると考えると我ながら良くやるなって感じだ。

ポストイナやプリトヴィツェに行けなかったため、若干酸っぱいブドウみたいなところがあるが、色んな地域を訪れていると、日本にもまだまだ隠れた(僕が知らない)観光名所が結構あるんだろうなという確信が強まる。
特に僕は絶景が好きだが、美しい自然はかなりありそう。
例えば日本の絶景を調べていて大分に水中鍾乳洞があることを初めて知ったが、撮られた写真を見る限り相当魅力的にも関わらず、公式HPは日本語と韓国語のみ対応であまりパッとせず、何というか見せ方は大事だなあと思った次第である。
それっぽいキャッチフレーズを付けて動線を外国語対応させれば、わざわざそのために海外から来る人が現れ得ると思うんだが…。
観光立国頑張って欲しい。

将来バックパッカー宿を経営したりするかもしれないし。

バスは意外と早く22時前にはザグレブに着いた。
そのまま宿に戻る。
チュニジアのことを考えていたが、高級な宿しかネット上では見当たらないようなので、現地で探すことにする。幸い到着は午前なので。
中級ホテルぐらいが良いなあ。

明日は10時ぐらいにチェックアウトし、ザグレブを観光する。
まだほぼ調べていないがどうにでもなるだろう。
夜は20時15分の便…と思って確認したら、なんと渡航がキャンセルされていた。
そして明後日昼発の便に変わっていた。
意味が分からない。
どうやらザグレブにもう一泊し、かつその翌日にイスタンブールに一泊しないといけないようだ。トルコ航空に何があったのか…。
というか一泊するならプリトヴィツェも行けるわけだが、どうしようか。
起きてから考えよう…。

2015/02/16

2015/2/15

朝8時前に起き、コトルを発つ。
ドブロヴニクへ向かうバスから眺める海辺の景色が非常に良かった。
ただ、きっと日本にも知らないだけでこういう場所はあるんじゃないかと感じた。

2時間半後ぐらいにドブロヴニク到着。
バスステーションで市街地に向かうバスを待っていると、なんとスコピエのホステルで一緒だった日本人学生と再会した。
2日連続で奇跡的な再会をしてしまった。
彼はティラナ経由で昨日ドブロヴニクに着いたらしく、コトルでも若干ニアミスしていたようだった。

旧市街を二人でざっと回り、ケーブルカーで山の上へ。
風景は良いがケーブルが邪魔だと言わざるをえない。
彼は午後にモスタルに向かうそうなのでここで分かれケーブルカーで下山したが、僕はしばらく喫茶店で休憩してから歩いて降りる。
いきなり車道を下り始めてしまったが、通りすがった現地の人に聞いたところ、山道があるということだったので引き返してそっちから降りる。
ケーブルカーのチケット売り場で45分と聞いていたので30分ぐらいで降りれるかと思ったら本当に45分ぐらいかかった。
車道に出てからが地味に長い。

降りたところにあった店で昼食。
シチリア風のピザを食べた。でかい。

その後中心地まで向かうと、カーニバルのイベントをやっていた。
その辺でしばらくぼーっとしてから、ふらふら歩く。
細い路地に入って行くと抜け道のようなところがあり、そこから外にでると海だった。

概ね城壁内を見終わった頃合いで空港行きのバスを待つ。
ケーブルカー駅の近くで待っていたが30分待っても来ないのでバスターミナルに向かうことにする。
行って分かったのは、オフシーズンかつ日曜日だからか、この時期のバスは14時45分(うろ覚え)の次は18時半だということだった。その時17時半ぐらい。
一応所要35分で、フライトが20時ちょうど、チェックインが45分前までということで間に合わなくもないが、ギリギリを狙って失敗すると損害が辛いので、素直にタクシーを使った。
なお乗り合いタクシーはやはりシーズンオフだからか見当たらず。
200クーナだった。

さて空港はがらんとしており、着いた時点ではチェックインすら始まってなかった。
結果的にはバスで全然良かったわけだが、別に最適でなかっただけで間違いではなかっただろう。
しばらく留学報告書を書いて過ごす。

21時頃にザグレブに着き、エアポートシャトルでバスターミナルへ。
そこからトラムでホステルに移動する。
22時45分にホステルの人と待ち合わせをしていて、若干迷って35分頃に着いた。
しかし45分になっても来ないので、ホステルから漏れてきたwifi(鍵なし)で苦情を言うと、23時5分過ぎにようやくやってきた。
どうも忘れていたようだ。
常識的な範囲で文句を言うとベッドがちょっと良くなった。
しかし二段ベッドでないだけでドミトリーはドミトリーである。

そんなこんなで明日の予定が決まっていない。
スロベニアに日帰りで行きたいが、バスの時間などが錯綜しているため困っている。
まあたぶん適当な時間にバスターミナルに行けば大丈夫だと思うんだが…。
スロベニアではリュブリャナとポストイナ鍾乳洞に行きたい。

2015/02/15

2015/2/14

5時半頃起床。
お腹の調子が悪く1度目が覚めた。
どうも前日より調子が悪くなっている。

ティラナからコトルまで移動。
まずシュコダルへミニバスで移動。
宿で貰った地図にはラウンドアバウト北側が乗り場だと書かれていたが、実際は南側だった。ただどちらでも乗れたような気もする。
乗り場が意外と遠く、走って行って、6時15分ぐらいにまさに発車しようとするところで乗れた。

1時間半ほどでシュコダルに到着。
料金は400レクだった。
降りるとすぐタクシー運転手がいて、ウルツィニまで20ユーロだと言ってきた。
バスを探していたので断り、歩き回る。
この辺からトイレを我慢している。
辺りのホテルのレセプションで道を尋ねつつバス乗り場を探すが、良く分からない。
その時点で8時頃だが、バスは丁度今出たという話もあれば、9時だという話もある。
乗り合いタクシーも見当たらず、困っているところで再び別のタクシー運転手に話しかけられ、色々あって15ユーロでウルツィニまでということにした。

国境では若干待ったが、すいすいウルツィニまで進む。
そこで更にコトル側のバールまでもう5ユーロで行くという話が出て、一旦断ったが、バスも2.5ユーロ程度で悪く無いかと思い直し、話に乗った。
結局9時45分ぐらいにはバールに到着した。

さてそこでボロいがトイレにも行け、一応カフェ的なところでwifiも使えたので良かったが、次のバスは11時18分であったのでしばし時間をつぶす。
ウルツィニからコトルまでは直通含め色んなルートがあるらしいので、もしかしたらそっちの方が接続如何では早かったかもしれない。
そんなこんなでコトルに13時前に到着。意外と近かった。

バスステーションから適当に旧市街っぽい方に歩き、しばらく行くとすんなり宿が見つかった。
チェックインして、荷物をロッカーに放り込み、昼食に出かける。
シーフードが食べたかったので、近くのレストランで魚のフィレのグリルを注文。
塩味が足りないように感じられたのは、僕の体が塩不足だったのかもしれない。塩を振って食べた。
おそらく知っている魚だったが確信が持てず若干歯がゆい。

それから教会をチラッと見て、勇んで要塞を登り始める。
かなり急でマチュピチュを思い出す。
途中で男性に声をかけられ、何かと思えば、なんとベオグラードのホステルで同室だった人だった。奇跡か。
彼はあの後ボスニアあたりを通ってモンテネグロにやってきたらしい。
話しながら頂上まで登る。オーストラリアで軍人をやっていたそうで、頂上で体操チックなポージングをしていた。
頂上から眺める景色はかなり良かった。海に山が反射する感じが好きである。

しばらくして降り、ホステルに戻る。
彼から、彼が声をかけた他の旅行者数人(要はナンパ)と飲みに行かないかと誘われていたが、体調的に寝たほうがいい気がしたので申し訳ないが辞退する。
健康だったら行っていたかは分からないが、たぶん行ったような気がする。

夕方もう少しだけ旧市街を周り、岸辺を歩いてスーパーでヨーグルト、水、ポテトチップスを購入。
ポテトチップスでなくても良かったが、塩分が欲しかった。
ヨーグルトは腸のために。

明日の宿を予約し、色々観光の予定を考えていた。

時間がたくさんあれば勉強するかと思いきや、そんなことはない。
特にバス移動は本を読むと酔いそうなのでかなりの確率で寝ている。
ドイツ語の問題集は現在半分弱まで進んでいるがペースが遅い気がする。
あと、新居の候補を考えたりするのにはネットが必要だが、だいたいネットが繋がる場合はだらだらSNSをしてしまうので良くないし、まとまった時間が取れることも多くない。
長距離バスとかでwifiが安定的につながると良いのだが。

明日は朝8時半のバスでドブロヴニクに向かう。
昼前には着くだろう。
調子が回復していたら美味しいものが食べたい。
夜には空港からザグレブに飛ぶ。

2015/02/14

2015/2/13

45分ほど寝過ごし、8時前に起きた。
急いでストルガ行きのバス停に移動。
バスを待っていると乗り合いタクシーに声をかけられた。
100MKDでバスよりは高いが、バスステーションまで直接行けるので利用することにした。
だいたい30分で無事到着し、ティラナ行きのチケットを購入。
この時お金がぴったり無くなりすぎた(残金約15円)ため、ティラナまで何も飲み食いできないこととなる。

バスは9時半発ということだったが、45分ぐらいに現れ、10時過ぎに出発した。
1時間程度で国境には到達した。
12時頃一旦30分ほど休憩していたようだが、寝ていたため降りそびれた。

結局ティラナに到着したのは15時半頃だった。
ランドマーク的な銅像の近くで降ろされるので、現在地は分かりやすく、宿まで歩く。
途中でお金を引き出し、喫茶店と軽食屋で久しぶりに水分と栄養を補給した。

宿で地図を入手し、再び広場まで戻り、ぐるっと歩く。
夕食はツナとオリーブのピザ。
来た道を戻り、宿に至る。

ティラナのあるアルバニアは少し前まで共産国で鎖国していたとかで、荒んだ雰囲気かと思っていたが、かなり活気がある。
車通りが多く、運転手のマナーが悪いからそう感じるのかもしれない。
東南アジアのようである。
イタリアの影響を受けていたり、無神国家を宣言したが中心部にはモスクがあったり、何かとユニークである。
資本主義に移行した際にねずみ講が流行し、国民の3分の1が全財産を失ったというエピソードはほとんど冗談のようである。

一緒にポーランドでタルタルステーキを食べた友人がカンピロバクターの疑いということで、心なしか僕もお腹が調子悪い気がするが、今のところそこまでひどくはない。
食べ過ぎや生食には気をつけよう。

明日はモンテネグロのコトルまで移動。
ティラナから朝国境のシュコダルまで移動し、そこから国境を越えてウルツィニへ。
ウルツィニにはバスターミナルがあるので、後は経由便か直通でコトルを目指す。
シュコダルからウルツィニへは9時のバスに上手く乗れるか、さもなくば乗り合いタクシーに捕まらなければならない。
地味にシュコダルまで2時間ぐらいかかるようなので、明日の朝は早い。

2015/02/13

2015/2/12

7時過ぎに起きる。
身支度をしてバスターミナルに移動し、水とチョコを買ってオフリド行きのバスに乗り込む。
所要3時間ちょっとで到着。
ほとんど寝ていた。

バスターミナルのinformationにはまたも人がおらず困ったが、噂通り宿の客引きが現れたので事なきを得た。
ただおばさん一人しか来なかったので結構危ないところだったかもしれない。
その人に連れられ10分ぐらいのところにある、アパートの1室みたいなところに行く。

ダブルでもシングルでも6ユーロで、冷静に考えるととても良い条件である。
ボロくもなく、ハイデルベルクなら相当するだろう。

少し休んでから湖の方に出かける。
10分ちょっと歩くと湖畔にたどり着く。綺麗である。
しばらく散歩し、近くのレストランで昼食。
ビーフスープと魚の揚げ物(コロッケみたいだった)を食べた。
またも食べ過ぎた。

それから丘の上の要塞を目指す。
結構形が残っており、景色が良かった。
折角なのでプリシュティナで買った笛を吹いてみたが、まったくメロディーにならない。

しばらくして要塞から出ると、観光ガイドの証明書を持ったおばさんが待機していた。
払いたい分だけで良いというので、話を聞く。
バジリカの近くにいる男はヤク中なので話しかけられても無視しろという情報がなかなか有益だった。
結局100MKDと1EURを支払ったが、めっちゃ喜んでいた。

ぐるっと歩いて宿に戻ろうとすると、なんだか腹調が悪くなってきた。
レストランで飲んだ水のせいかもしれない。
カフェで少し休んでから宿に戻る。
何となく体調を崩しそうな予感がしたので暖かくして昼寝をしたら、だいぶ回復した。

昼が多かったので夕飯は抜き、部屋でごろごろだらだらしていた。
安息日である。
チュニジアの予定を暫定的に決めた。

このところ異性の友人などとの接し方についてあれこれ考えていたので、今のところ思うところをメモしておく。
恋と好意の違い、好意ベクトル×時間による情への変化、愛情と友情の共通性・複数性、両者を区別する意思と信頼、けじめとしてのcontroversialの回避。
最初は色々だらだら書いていたが、それ自体controversialな気がしたので、自分で思い出せる程度にしておく。
何事もバランス感覚が求められる。
パートナー第一は言うまでもなし。

今日はゆっくり休み、明日はアルバニアのティラナに向かう。
オフリドからミニバスで隣町のストルガに行き、そこから直通で行けるようである。
アルバニアはヨーロッパの北朝鮮と呼ばれているらしく、ちょっと楽しみであるが、多分何もないだろう。
順当に行けば15時ぐらいに着く。
それでもバス5時間なのでなかなか辛い。
観光は明日だけなので、がんばろう。

2015/02/12

2015/2/11

朝9時頃起きる。
ホステルで朝食を作ってもらい、10時過ぎに宿を出てバスターミナルに向かった。
結局プリズレンの方はどうも日帰りでは無理そうだったのでプリシュティナに行くことにした。

コソボのプリシュティナ行きのバスは11時だったので、往復のチケットとついでに明日のオフリド行きのチケットを購入。
前者は往復560MKD、後者は片道520MKDだった。
しばらくターミナルで時間をつぶす。
カジノがあったので良く分からないが機械にお金を入れてみたら、スロットが1回回って100MKDが無くなった。

それはさておき、20人乗りぐらいのミニバスに乗り込み、プリシュティナに向かった。
1時間弱で税関に着き、国境を越えて、さらに北上する。
バスターミナルには13時半前に到着。

さてinformationで地図でももらおうかと思ったが人がいない。
とりあえず昼食にすることにして、ハンバーガーを食べる。
コソボの料理と言ったらハンバーガーぐらいだとどこかで読んだような気がしたので頼んでみたが、安くてまずい感じだった。
それからしばらくターミナルをグルグル周り、仕方ないので適当に歩いてみることにした。
グラチャニツァ行きは難しそうなので諦める。

何となく開けている方に歩いて行くと、しばらくしてCenterの標識があり、旧市街とかがあるのだろうかと思い行ってみる。
そこでwifiの使えそうな喫茶店があったので、情報を集める。
分かったことは旧市街はターミナルから3,4km離れているということだった。
どうしようかと思ったが、そこまで歩いて行くことにした。
その際以下のブログの地図が大変参考になった。
http://salami.seesaa.net/article/340716180.html
なお、Centerの標識は結構色んな方向を指しているのであまり信用しないほうが良いかもしれない。

しばらく歩くと、だいぶ賑わった場所に出る。
正直こんなに活気があるとは思っても見なかった。
コソボの現在の雰囲気を味わいたいなら行くべきだと思う。施設や博物館にはほとんど入ってないが面白かった。
あと、街中にはビル・クリントン通りやジョージWブッシュ通りがあり、アメリカ好きなんだなあと良く分かる。

ぐるっと歩いて、ちょうど17時ぐらいにバスターミナルに戻ってきた。
1時間ぐらいカフェにいたのでやや急ぎ目だった。
終バスは17時とどこかで読んだが、18時の便もあるらしかった。
そして行きとは違い、帰りは普通の大型バスだった。

ちょうど19時半頃にスコピエのバスターミナルに着き、宿に戻る。
しばらく休憩して、もう一人の日本人、台湾人、ドイツ人でホステルの人おすすめのレストランに行った。
結構ホステルには良く泊まるがこういうイベントは初だった。
マケドニア料理であろうミートロールとサラダを食べた。安くて美味い。

もう一人の日本人とドイツ人はその後酒を探して別行動になったが、まだ帰ってこないので若干心配である。
どこかで飲んでいるのかもしれない。

明日はオフリドという湖で有名な南西の街に行く。
民宿をうまく見つけられると良い。
バスは朝8時に出て、おそらく3時間半ぐらいで着くだろう。
着いたら適当にあたりを観光して、少しのんびりしたい。

2015/02/11

2015/2/10

9時頃起きる。
宿をチェックアウトして近くのパン屋で朝食。
中央駅まで歩く。
途中で空爆通りと呼ばれる通りを横切ったが、爆撃された建物が残っていた。

駅前で空港に行くバスを少し待つ。
10時45分発のバスで空港には30分ほどで着いた。
喫茶店で時間を潰し、13時過ぎの便でマケドニアのスコピエまで飛んだ。

スコピエの空港から市内まではバスの予定だったが、1時間半ぐらい来ないようだったの諦めてタクシーにした。
値段は8倍ぐらい。

自分の書いた適当な地図を頼りにどうにか宿に辿り着くと、日本人学生が2人いた。
別々に旅をしていて一緒になったらしい。

やたら親切な管理人からこの辺りの案内を受け、旧市街方面に向かう。
ただトイレに行きたかったので、途中で喫茶店に入り、クレープを食べながらだらだらしていた。
噂には聞いていたが至る所に銅像が立っているし、ギリシャ神殿のような建造物が多い。
どうも50年前の地震の時の義援金が使われているのではないかと思われ、アホっぽくて好感が持てる。

教えてもらったレストラン(実際は違った)っぽいところで夕食。
チキンステーキとサラダとパンとオレンジジュースを頼んだが、とんでもない量が来た。
何とか完食し、宿に戻る。

宿にはドイツ人とアメリカ人がおり、しばらくすると更に別の日本人学生が戻ってきて、マケドニア人も加わり、混沌としているが、なかなか賑やかである。
ただ一人で来てたらうるさすぎてイラッとしていた気がする。

今日は考え事がすっきりしたので、割と良い気分で歩いていた。
色々な感情は区別しなければならない。

明日はとりあえずコソボに行くが、首都プリシュティナに行くか南西のプリズレンに行くかは決めていない。
バスが早く来た方で行くかもしれない。
日帰りなので、まあ適当に。
もしかすると宿で一緒になった人と行く。

2015/02/10

2015/2/9

ブダペストからの夜行列車は特に危ないこともなく7時過ぎにベオグラード着。
2座席を使って何とか寝ていたが、やはり狭い。

到着後は地図を入手し、駅構内の店で紅茶を飲みながら、行き先を考える。
1時間ぐらいだらだらしてから、要塞に行ってみることに。

南に来たは良いが、寒さはほとんど変わらない。
歩道が全て凍っており、歩きづらいことこの上なかった。
数年ぶりに転んだ気がする。

要塞は高台にあり、周囲を見渡せた。
気を抜くと落ちる、結構危ない作りになっていた。

それからトラムで宿に向かう。
地図を頼りにうろうろ歩き、パン屋のようなところで朝食。
その後ホステルに行ったら早くも10時半頃にチェックイン出来た。
しばらく寝ていると13時半頃になっていた。

再出発し、街の中心部に移動。
ただそんなに建物に入ることもなく、大通りをブラブラと歩く。
ホテルのレストランで昼食にキノコパスタを食べた。
安かったがやや微妙だった。

そのまま宿に戻り、音楽を聞きながらぼーっとネットサーフィンをしていた。
夕食は近くで鶏肉のサンドを買った。

セルビアの物価は日本の半分弱ぐらいだろうか。
ものにもよるが。
1セルビアディナールはほぼ1円なので分かりやすい。

ベオグラードは小さいと聞いていたが、思いがけず大きかった。
公共交通の乗車率も高く、日系企業の看板などもちらほら見受けられた。
ただ観光地っぽくはない。

明日は昼過ぎの便でマケドニアのスコピエに飛ぶ。
ベオグラード市内から空港へは街中の空港バスで、空港からスコピエ市街までもバスで行けるはずである。
スコピエはこの日しか観光しないが、変な銅像がたくさんあるらしい。
マザーテレサの出身地でもある。
洗濯したい。

2015/02/09

2015/2/8

9時ぐらいに起きる。
ごろごろしながらルートを考え、10時半頃にチェックアウト。

まずピンボールミュージアムに向かったが、見つからなかったので、夜行の切符を買うべく駅に向かった。
ほぼ選択の余地のない感じで15ユーロのベオグラード行きを購入。

そこから市の中心部に移動して大通りを歩く。
朝食兼昼食を国立美術館の店でとる。
グヤーシュというハンガリーのスープがめっちゃ熱かったが美味しかった。

聖イシュトヴァーン大聖堂を見学。
綺羅びやかだった。
ドナウ川を越えて、ブダ城のある丘に登る。
ぐるっと回って漁夫の砦から街を眺める。
ブダかペストか分からないが良い景色だった。
おそらくブダ城のある側がブダだろうけど。

更に歩いてInvisible Exhibitionに着く。
暗闇を体験する場所だが、出発時間が決まっているようだったので直近のものを予約して一旦去る。
近くのショッピングセンターに入ってみたり、喫茶店でドーナツみたいなものを食べたりして過ごす。
16時半からのツアーに参加する。
ドアを閉めると完全の闇の中で、手探りで進む。
中はいくつかの部屋に分かれていて、リビングやバーなど様々である。
視覚の大切さが分かる(当たり前か)。珍しい体験をした。
あまりブダペスト自体とは関係ないが、たまにはこういう観光も良い。

その後、メトロで対岸に戻る。
ユダヤ人が川岸に残した靴を見る。歴史の痕である。
そしてトラムでピンボールミュージアムに移動。どうやら16時から開くらしい。
数十台のピンボールと数台のその他のゲームが置いてあった。
実機のピンボールは初めてやったが、どうもパチンコみたいなものだったようで、特定の条件を満たすと付属の画面に色々エフェクトが出たり、台の内部のギミックが動き出したりした。
1時間弱で飽きたので、夜行の出る駅に向かう。

思いの外、駅周辺に飲食店がなく、ハンガリー料理を最後に店で食べるのは諦め、水を買い、構内でギロスを食べた。
ケバブに似てるが肉がより柔らかかった。

それから駅近くのバーガーキングに移動して列車を待機している。

ブダペストは良い街だった。
色々やり残した感があるので、ハンガリーはまた来たいと思う。
トカイワインがセルビアにもあったら良いなあ。

22時25分ブダペスト東駅発の夜行で今からベオグラードに向かう。
到着は6時半頃だと思われる。
ベオグラードはそんなに大きな街ではないらしいので、適当に歩いて観光しようと思う。
トリップアドバイザーでの人気アクティビティ上位10個のうち3つが脱出ゲームなのが、何ともいえない。
ホステルの対応が親切らしいので、早めにチェックイン出来たら昼寝したい。

2015/02/08

2015/2/7

7時半頃一旦起きて、3日間同行していた友人を見送る。

その後少しごろごろして、10時頃チェックアウト。
着いた日に教えてもらったビュッフェの店で朝食をとる。
ムール貝を凄く久しぶりに食べられて良かった。そしてオレンジジュースがとても美味しかった。
ただ所持金が十数円足りず、カードで払うことになってしまった。
なかなか現地通貨を使い切るのは難しい。

それからバスで空港まで移動する。
昼食用にサンドイッチなどを買い、ヘルシンキに移動。
そしてヘルシンキからブダペストに着いたのは18時半だった。

空港からバスで地下鉄の駅まで移動し、そこから市の中心部へ、さらに地下鉄が工事中なので代行バスでホステル最寄りの駅まで移動した。
入口が非常に分かりづらかったが住所をメモしておいたおかげで無事たどり着く。

夕食は近くのシティセンターに行った。
ハンガリー料理っぽいものを探したが見つからなかったので、イタリアンになった。
物価は日本の3分の2ぐらいの印象。ちなみにポーランドは半分ぐらいなので、更に都会に来た感じがする。
水を買ってホステルに戻り、明日の予定を考えていた。

ガイドブックがないとある程度前日に予定を立てておくことになるのは、若干不便かもしれない。
ブダペストは観光地としても都市としても中東欧エリアでは優れているようだ。
アクティビティも色々ある。射撃とか曜日が合えば行きたかった。
結局どこに行くかは完全には決まってないが、とりあえず貰った地図に印をつけておいた。
ハンガリー料理とトカイワインが優先である。

明日は日中は何らかの観光をし、夜はブダペスト東駅からベオグラード行きの夜行列車に乗る。
正直寝台が空いてたら(寝たいので)高くてもそっちが良いが、どうだろう。
明後日はベオグラードを1日観光する予定。

2015/02/07

2015/2/6

7時頃起きる。
ホステルを適当な感じでチェックアウトし、バスステーションに向かう。
朝食にポーランド風のベーグルみたいなものを食べた。

バスで2時間弱かけてアウシュビッツに到着。
ツアーに参加し、4時間ぐらいかけてアウシュビッツとビルケナウを回る。
かなり寒く当時の苦労が偲ばれた。
淡々と展示が並んでおり、個人的にはどこか現実離れして感じた。
ビルケナウの方は多くが廃墟になっており、遺跡を巡っているようだった。

帰りはオシフィエンチムから電車に乗ろうとしたが、駅の場所が全く分からず、道端ですれ違う人に片っ端から道を聞き始めたあたりで、学生に声をかけられ案内してもらえた。
恐ろしいことに40分ぐらい歩いてようやく到達した。

昼食がてらケバブを食べ、15時半頃カトヴィツェに向けて移動。
1時間ぐらいで到着し、ICに乗り換えてワルシャワに戻ったのは20時半頃だった。

それから同行の友人が予約してくれたレストランで夕食。
一回間違えて別の店に入ったりもしたが、レストラン自体は内装、料理、サービス全て素晴らしかった上に安かった。
特にタルタルステーキを目の前で自作してくれるパフォーマンスが良く、味も前日のものとは一風変わった美味しさがあった。

23時頃店を出て、トラムでホステルの最寄りまで戻ろうとしたが、ドアを開けるボタンを押し忘れ、1駅乗り過ごした。
そこから結構迷い、日が変わる直前ぐらいに宿に戻ってきた。
ホステルの手前で入れずに困っているベラルーシ人がおり、受付の人がそもそもいなかったのでSkypeを貸してあげた。
その後ブダペストの宿までの道のりを調べていた。

移動中は友人の端末でボードゲームのカタンをやっていた。
高校以来である。
面白かった。

アウシュビッツは色々とプロパガンダの噂などもあるらしいが、結局70年も経ってしまうと何が真実か分からなくなってしまうのだなと感じた。
後は違う季節は違う雰囲気がありそうだった。

明日は朝にホステルで友人を見送り、以降は単独行動になる。
おそらくもう少し眠ってからチェックアウトし、そのまま空港に向かうような気がする。
13時頃の便でヘルシンキを経由して18時半にブダペストに着く。
そこから宿まで辿り着ければ明日はOKである。

2015/02/06

2015/2/5

8時頃に目が覚めた。
しばらく単語の復習とかしていた。

9時過ぎに宿を出て、南のバスターミナルに向かう。
割とぎりぎりに辿り着き、5時間かけてクラクフへ。
朝食がパンと飲むヨーグルトになってしまった。
ワルシャワとクラクフは300kmぐらいしか離れてないのだが、バスが遅いため結構時間がかかる。

15時頃クラクフに着き、旧市街まで歩く。
適当に歩いていると中心部の広場に着き、そこから更に宿まで移動して一旦荷物を置いて計画を立てる。

17時頃に再出発し、聖マリア教会の内部を見学し、18時のラッパの音を聞く。
それから商店を物色し、地下博物館に入る。
2010年に出来ただけあって、色々新し目のギミックが多く、楽しかった。
なぜか身長と体重を測ることが出来た。

その後、近くのレストランで夕食。
タルタルステーキ、ブラックプディング、他色々なポーランド料理を堪能した。
ズブロッカも飲んだ。

更に少し買い物してから宿に戻り、明日の計画を立てた。

上限に達していたカードが先日先々月分を支払ったことにより、4.5万円分ぐらい枠が復活した。
多少便利になった。

クラクフはドラゴンと縁のある街らしく、ドラゴングッズが色々売っていた。
ちょっとした置物を買ってみた。
旅の途中に壊れないと良いが。

明日は8時過ぎのバスでアウシュビッツを目指し、午前いっぱいぐらいで見学し、そのままカトヴィツェを経由して直接ワルシャワに戻る予定。

2015/02/05

2015/2/4

7時頃起きる。

朝食を済ませ、空港に向かう。
眠かった。

フランクフルトからワルシャワに飛ぶ。
若干飛行機が遅延した。
空港から駅までがやや遠く、乗る電車も良く分からなかったので適当に乗ったが、他の人に聞いたらどうやら合っているようだった。

地図が無いため、駅から更に迷ったが、どうにかこうにか宿まで辿り着き、友人と合流した。

それから同じ宿に居合わせた日本人とも話しつつ、明日の予定を考え、クラクフで一泊することとなった。
ワルシャワの宿が一泊分無駄になるが、まあ朝早いよりは良いかもしれない。

街に出て、コンビニのホットドッグみたいなものを昼食代わりに、ワルシャワ蜂起博物館まで歩く。
結構展示が凝っていて見応えがあった。
そこからトラムで目抜き通りまで移動し、北に歩く。
途中にあった有名らしいレストランで夕食。
ポーランド料理のスープと餃子みたいなもの、ウサギのローストを食べた。

更に北に歩き旧市街に行くと、スケートリンクがあった。
それから宿まで戻った。

ワルシャワは意外と広い街で、高層ビルも多いので都会感がある。
トラムやバスを使わないと結構大変。
ただ正直見るものはそんなに多くない。

明日はクラクフに向かうが、見るものはワルシャワ同様そんなに多くないかもしれないため、ゆっくりしたい。
あとタルタルステーキが食べたい。

2015/02/04

2015/2/3

8時半頃起きて洗濯機を回す。

その後再び30分ぐらい寝ていた。

9時半ぐらいに起きて、朝食他家事を色々。
10時半頃家を出て、試験を受けに行く。
出来はまあ全く良くはないが、破滅的なほど悪くもないといった感じだった。

試験の後、数少ない同じコースの友人と昼食にケバブを食べた。

それからゼミに行く。
今日はディスカッションがメインで、結局授業中にはコメント出来なかったが、終了後に個人的に思うところを伝えたので、まだましである。
Scheinと呼ばれる成績証明書をもらい、買い物に行く。

お土産類をだいたい揃え、夕食の材料を買って帰宅。
スーツケースに色々詰め、バックパックにも色々詰めた。

夕食にジャーマンポテトを作っていると、合気道に来ている同じ寮の人が訪ねてきた。
とりあえず稽古は続けるようでよかった。
スナックとかお茶と一緒にメッセージをもらい、多少しんみりした。

それから同じ階の友人と街に出かけ、簡単なお別れ会をした。
同時期に来た人のドイツ語が大変上達していて少し羨ましく感じた。
バスが無いので歩いて戻り、24時頃帰宅した。

明日はいよいよ旅立つ。
8時頃最寄りの駅から空港に向かい、昼頃ワルシャワに着く予定。
ホステルで友人と合流する。
最初だけは一人旅ではない。
冬の旅行は荷物が多くなるのが難点である。
そしてワルシャワがドイツより寒いと聞いて若干辛い。
7時過ぎには起きて荷造りを終わらせねば。

2015/02/03

2015/2/2

9時半頃起きた。

どうやら午後にロシアの人々と合流できることになったらしいので、それまで部屋で勉強するかと思いつつだらだらする。
ついにカーテン(布団カバー)を取り払った。
テープ跡が懸念だったが、色々試したところスチールウールで削り落としたら良い感じになった。

思い直してDBのクーポンを使うべく昼食後に(印刷のため)図書館に出かけることにしたが、利用条件額に満たないので結局使えなかった。
それから食堂でざっと試験対策、と言いつつ時間とやる気が限られすぎているため半ばヤマを張るようなことをして過ごした。

15時半頃に駅に行ったが、若干すれ違い、ビスマルク広場でその後合流した。
哲学者の道、古い橋、ハイデルベルク城など、こっちに来てすぐ訪れて以降一度も行っていなかったところを改めて訪問する良い機会となった。
奇しくも夕食も一度だけ行ったデパート最上階のレストランだった。
彼らは動画制作に長けているのでそのうちYoutubeデビューを果たしてしまう気がする。

それから彼らをアテンドして稽古に向かい、今学期最後の稽古。
多少はこっちに来て上達したような気がした。
後、モスクワ大の代表を手加減なしで投げたのが久しぶりで楽しかった。

その後色んな人にお別れを言い、またもギリシャ料理屋に行った。
久しぶりに食べ過ぎた。

25時頃家に戻ってきた。

クラブからはTシャツを頂いた。
たまに着よう。
ロシアの人々からはペンと手帳をもらった。
彼らはとても律儀だ。
ハイデルベルクに来たのは3人だけだが他数名とヨーロッパの道場を回っているらしい。
おそらくまた5月に日本で会えるだろうから楽しみにしている。

いよいよ明日でドイツ滞在はほぼ終わりである。
今日が楽しかったので試験が相対的にどうでもいい感じになってしまったが、そこそこの成果を残せるようその場で全力を尽くす。

明日はそこそこ早く起きて洗濯をする。
11時から試験を受け、14時からゼミの最終回である。
買い残したお土産類を買って帰宅し、夕食は寮の友人と食べるはず。
荷造りはもとより掃除も出来るだけする。

2015/02/02

2015/2/1

11時頃起きた。

朝食後、少しJavaの課題をやる。
それからビスマルク広場に移動。

イタリア料理屋で食べたカルボナーラがめっちゃ美味くて感動した。
そして自分のパスタの茹で方の適当さ加減を反省した。
普通に家で作れるからあまり普段外でパスタは食べないんだが、全然別物である。

その後図書館に行ったが席がなく、今日もカフェに居座る。
何やらやたら酸っぱいジュースを飲みながら、Javaの課題を目標分は終えた。
それから在籍報告書を書き、歩かなくて済むうちに寮に戻った。

ごろごろしながら試験の対策プリントを眺めていると、1時間弱眠っていた。

夕食はソーセージとパプリカとチーズの醤油炒め。
トーストをちぎって炒めるのがマイブームである。

その後、ながら勉強で一通りプリントを通して読んだ。
どうにもパフォーマンスは当日の調子次第という感じが否めない。

それからタイピングをしたり、ポーカーをしたりしていた。

日本に帰ったらKindleを買おうかなあと何となく考えている。
あまり読み返すタイプではないし、思い立った時に安いものとかを読んでみたい。
本当は買って持ってくれば良かったかなと少し思っている。
旅の途中とかに便利そう。
端末をどうするかは要検討事項である。

日に日に働きたいという思いが強まっているが、いきなりギアを上げるとエンストするので、ぼちぼち頑張りたい。
性格と能力的には結構活躍できそうな予感があるんだが果たして…。

今日明日のどちらかでロシアから来る人々にこの辺を案内するとかいう話があったような気もするが、連絡が来ないのでどうやらコミュニケーションが上手く行っていないようである。
彼らは無事明日体育館まで来られるのだろうか。

明日は昼間出かけて最後の試験対策(という程これまでやっていないが)をし、おみやげを追加で買って帰宅し、夕食を家で食べてからドイツ最後の合気道をしに行く。
留学も終わりが近い。

2015/02/01

2015/1/31

11時ぐらいに起きた。
だんだん遅くなっていく起床時間。

あまり空腹ではなかったのでお茶だけ飲みながら、だらだらしていた。
Chromeの履歴を遡るとだいたい何をしていたか分かって便利だ。
ITパスポートの資格を取るように言われているが、完全に見くびっているので帰国後2週間ぐらいで試験を受けることになる。

昼食は遅めにベーコンとパプリカをコンソメ的なもので煮込んだものを食べた。
その際おみやげを買いに行こうと思っていたのを思い出す。

出かけてまずデパートへ。
ヘンケルスというメーカーのキッチンバサミに興味があったが、大変高かったので諦めた。
マーカーやお菓子類を一通り買い、大体揃ったがもう一回ぐらい追加で買うと思う。

それから大学の食堂近くのカフェに移動し、試験勉強を進めた。
一応一通りはワークシートの問題には目を通したが、理解の深まる幅があまり残っていない感じがある。

20時過ぎに学食で夕食をとり、メイン通りを歩いて戻り、トラムに乗って帰宅。
それからJavaの問題を解いていた。
今月やろうと思っていた分はまだ少し残っている。

ISISの件は旅行者としては若干危惧しているが、かといってイスラム圏全てをその支配地域かのように警戒するのもどうかとは思う。

明日も今日と似た感じになる気がする。
試験勉強としては対策問題を解くか、ざっと眺めるかする。
そしてjavaを解くか、色々なタスク(在籍報告とか)を片付ける。