ネット的には消えていましたが生きてます。
イランのネット規制によるものです。
以下は5日間のメモ書きですが、ところどころ追記してます。
9/16
この日はテヘランをふらついてから夜行バスで南のシーラーズに行った。
夜のドバイ空港はやたらピカピカしていた。
テヘランにはすぐに着いた。
パスポートコントロールで若干危惧していたが、別人だろと言われ、政治を勉強していると言って訝しまれたが、何とか入国。
空港をふらついてから両替し、タクシーで街の中心部へ。
ペルシャ語の分からなさがやばい。
とりあえず歩き回ってレストランでサンドイッチを食べる。
考古学博物館の手前にあった革命前の収容所の博物館にたまたま行ったところ、自作映画などコンテンツが充実していて、近くにいた美人のサイエンティストが翻訳を買って出てくれたこともあって割と良かった。
日本はアメリカと戦ったから味方だとおっさんに言われたのが印象的だった。
この街では歩いているとやたら声をかけられる。本当に頻繁に声をかけられる。
一緒に横を歩いて「イランは最高、警察は最悪」というようなことを言ってきた爺さんがいた。
カフェでこの国のネットの検閲っぷりを知る。
SNSは駄目だし、このブログも駄目である。めっちゃ厳しい。
ちなみに入れないところは404か、政府おすすめのページヘのリンク集が表示される。
話しかけてくる人はだいたい親切で、特に何かを売ろうというわけでもないようだ。
地下鉄でも親切な人達に助けられた。ちなみにめっちゃ混雑している。
バスターミナルがとても広く、売り場が分からなかったので、片っ端から聞いてチケットを手に入れた。ペルシャ語の必要性を感じた。バス乗り場も分からず付いて来てもらった。
バスは割と良いバスである。
イランの夜は結構寒い。
9/17
この日はペルセポリスとシーラーズを観光し、シーラーズに泊まった。
シーラーズには8時過ぎに着いた。
バスステーションでどう行くか考え、チャイを飲みながらペルシャ語を覚えようとした。
数字はすぐに覚えられた。チャイは普通の紅茶である。
またも助けられながらミニバスでマルヴダシュトというペルセポリス近くの街へ行く。
単位が混乱しタクシーに5倍ぐらい払う。10万リヤル=1万トマンという言い換えがある。
ペルセポリスと近くの何とかという遺跡は結構な観光地価格であった。
地球の歩き方と違う価格なのは外国人価格が設定されたのかもしれない。
後に気付くが、ここに限らずペルシア語と英語では書かれているチケット代が違う。
飲むヨーグルトが酸っぱい。
ミニバスで日本語が話せる中国人に会った。
シーラーズで適当に宿を探す。
夕方はやっぱり涼しい。
この日両替したレートでは、1万リアル=33円ぐらい。
屋台でサモサを食べメロンジュースを飲む。
バザールを抜けてチャイハーネでディーズィとチャイを注文する。
店内にいたオランダ人バックパッカーに勧められてステンドグラスの綺麗なモスクを目指す。
たどり着いたが日没後はそんなに綺麗でもなかったので翌朝出直すことにする。
帰りはバザールであり得ない迷い方をし、同じ道に戻ったりしていた。
夜はインターネット規制と格闘していたが、ネットが有料だったので適当に諦めてさっさと寝た。
9/18
この日はエスファハンまでバスで移動して、少し観光した。エスファハン泊。
朝食ににんじんジャムがあった。それっぽい味だった。
件のナスィーロム・モスクは日が差し込むとまあまあ綺麗だった。
しかしもう少し遅い10時とかが一番きれいな気がした。
普通のバスでエスファハンに向かい、あまりに暇なので色々進路とかの考えごとをしていた。
例によって宿を探し、無難に歩き方に載っていたところにした。
世界の半分と言われたエマーム広場は広場だった。
そろそろバザールは買う気がないとそんなに面白くないと気づいた。
宿には何人か日本人がいたが、持ち前のコミュ障を発揮してスルーしたのは若干後悔している。
この辺りで旅程の無理感が発覚し、トルコは通過点といった感じになる。
カッパドキアも諦める。観光はそもそもおまけ(メインは食事?)なのではないか、という気すらする。
9/19
この日はエスファハンを色々観光し、テヘランに戻った。テヘラン泊。重大事件発生。
エスファハンのモスクや教会や庭園などを色々観光した。
結構歩き疲れきったので、砂糖をむさぼる
宿でバスを手配してもらう。
13時15分発のバスだったが、なぜかキャンセルされて14時発のバスに変更された。
21時ぐらいにテヘランの中心に戻り、宿を探し歩いていると、「この辺のベッドは満杯だ」とだけ伝えて去っていくおっさんが現れたが、特にそんなことはなかった。
宿を見つけチェックインしようとして、パスポートが無いことに気付く。
原因はすぐに分かり、エスファハンの宿に預けっぱなしであった。
電話を借りて連絡し、割とやれやれな感じでとりあえず寝た。
9/20
結局エスファハンに戻って、また夜行でテヘランに向かった日。
宿は圧倒的に蚊が多く、耳元で羽音がする度に起きて撃墜するというのを7,8回やった。
電話を貸してもらえなくなったので、テレホンカードを買って連絡する。
郵送してもいいが何日かかるか分からないと言われたので取りに行くことにする。
旅程がとても狂ったので、イスタンブールまでの40時間バスはやめ、カフェで飛行機を探し、22日の未明に出るトルコ航空の便を予約した。1時間半で着く。
このときカフェの人がFacebookを何気なく見ていて、どうやってるか尋ねると、vpnで抜け道を使っているらしいということが分かった。
バスでエスファハンに戻る間はやはり暇なので、道をぼんやり眺めたり、詰将棋やエイトクイーンをやってた。
隣の席の人からギャズというお菓子をもらった。
エスファハンの宿でパスポートを回収すると、何やら宿の人が計算機を叩きマネーマネーと言っているので、ここまでの交通費を払ってくれるのかと淡い期待を抱いたが、泊まるならこの値段だと言っているだけであった。
泊まらねえよ。
帰りのタクシーで一緒になったベルギーの学生と何を話したかよく覚えていないが、マダガスカルに行くとか行ったとか言ってた。
ターミナルに着くとテヘラン行きのバスが大概なかったが、セキュリティの人がどういう事情か協力してくれてちょうど良い時間のバスに乗れた。
もしかして臨時バスだったのかもしれない。
そんな感じの5日間でした。
まだイランですが、VPNを駆使してブログが更新出来てます。
ちなみに今いるカフェと、記事中のカフェは全部同じところで、これで三度目である。