2013/09/30

2013/9/29-30

9/29
無名戦士の墓の衛兵交代式やアクロポリスの丘を観光していると、意外とフライトまでの時間が無くなったのでそのまま空港へ向かった。
免税店で土産をいくつか買って搭乗。
機材トラブルで1時間ぐらい遅れた。
ドバイには現地時刻23時頃着いた。

アクロポリスもだいぶトレッキング感ありました。
ギリシャの世界遺産は全部こんな歩かされるのだろうか…。

9/30
某セミナーの課題を考えながら飛行機を待っていた。
2時頃搭乗し、9時間半程度で成田に着いたのは、東京時間で17時半過ぎだった。
それからバスで家まで戻り、荷解きなどしてからピグで夕飯。
久しぶりに豚肉を食べた。

旅行が無事終わりました。
得たものも失ったものも色々ありました。
日本は良いところです。

外貨募金を忘れたので、小銭がじゃらじゃらある。
どうしようか。

明日はたぶん6限だけ出る。
火曜以外の時間割も考えなければならない。

2013/09/29

2013/9/28

朝割とぎりぎりに起きてバスターミナルに向かい、デルフィに行ってきた。
良い所でした。
山の斜面にあるので、またトレッキングみたいになった。

行き帰りのバスはなぜかやたら眠くなった。片道3時間ぐらい。
ESの内容でも考えようかと思っていたがあまり進まず。

宿に戻ってからは、ESを書いてました。

今日が旅行最後の夜(空港を除く)ですが、あっけない感じでした。
正直だいぶ日本に帰りたい。
うどんかラーメン食べたい。
あと稽古に行きたい。

何となくギリシャのミネラルウォーターは美味しい気がする。
たぶん気のせいだけど。

明日明後日は午後4時頃の便でアテネを発ち、ドバイで日が変わり、翌日の午後5時半に成田に着きます。
時差ボケになったりするのだろうか。

2013/09/28

2013/9/27

ごろごろしたり、散歩したりの一日だった。

オリンピックスタジアム的なところ以外はほぼ観光せず、色々と就活や新学期の準備などをしていた。

特に書くことがない感じである。
ドバイでボールペンを無くしたが、ようやく新しく買った。
これで考え事はしやすくなる。

アラカルトは一品料理なので、あまり頼みすぎると食べ過ぎることになる、というのをここ数日で身を以て学びました。
食が細くなった説もある。

働くことは人とつながることとホリエモンが書いていた。
だからかもしれないが、働かずに生きていける身分であっても、一生遊び続けて何ら価値を生産しないことは結構きついような気がする。
働くことは生きている意味を考える上で欠かせない行い、というか生きる目的は何らかの形で働くことしか有り得ないのではないだろうか。

働く先について、結局実際に働かないことには向き不向きとかは何とも言えない。
まあ情報を集めれば確度を上げることは出来るだろうけど。

働く理由として、「生存に必要だから」と「やりたいから」という二つの軸によるマッピングを考えた。
食っていくには良い仕事だけどそんなに楽しくないものもあれば、タダでもやりたいような仕事もある。
理想的なのは生存に必要という軸から解き放たれ、後者の軸だけで働き方を選べることだろう。
また、やりたいことが儲かる仕事という幸運な場合もあるだろう。
やりたい度が高い仕事の中に、おそらく自身のモチベーションが眠っているはずである。
「生きるためには働かない」というのを昔から目標にしている。

仮の時間割を結構前に考えていたのだが、今見返すと興味も多少ずれている。
とりあえず水曜の分ぐらいは考えておいた。

明日は気が向けば日帰りでデルフィまで行ってきます。

2013/09/27

2013/9/26

8時頃に起きてチェックアウトし、9時のバスでメテオラに向かった。

バスを降りたところで日本人に話しかけられていっしょに回ることになった。
といっても行き先が同じだけなので付いて行ったわけではないです(警戒中)。

一番大きい修道院から始めて、人がいる6つの修道院を回りました。
1つは休みで閉まってましたが。
こう書くと何でもない感じですが、坂道を10kmぐらい登り降りしていたので、まあまあ良い運動になりました。
修道院の内部は特に変哲もない感じでしたが、岩の巨大さが壮観でした。

その一緒に回っていたバックパッカーの人に「永遠の0」という本を貰ったので、アテネに行く電車の中で読んでました。
ちょうど読み終わった頃にアテネに着きました。
とても感動しました。

駅からメトロに乗り換えて予約した宿を探す。
ほぼ住所を頼りに見つけるもドアが閉まっていて看板もなく、近所の店の人に案内してもらった。
結局そこで合っていて、インターホンに小さく宿の名前が書いてあった。

世界一周中の日本人バックパッカーが一人いて、色々と話した。
この旅行中は良く30歳前後の旅人に会う。

何のために旅行しているかというのは、非日常の刺激な気がするので、僕は世界一周しても旅行系の刺激に途中で飽きてしまうのではないか、と思った。
旅に出ることが割とトップクラスの楽しみだったのだが、今回の3週間の旅行で既に若干旅自体には満足してしまった感がある。
まだスポットレベルでは楽しめる場所はあると思うが、普通の外国を普通に旅行するだけでは物足りないような気がする。
(中略)
結局、力を尽くし、すべきことをして日々を過ごすしかないのだ。

今日(9/27)は特に観光せず、休みながら来月に向けた準備を色々します。

2013/09/26

2013/9/24-25

9/24
前夜に同室の世界一周中夫婦と話していて夜更かしをしたので、チェックアウトぎりぎりぐらいに起きた。
それからアヤソフィア博物館などに行き、はるばるバスで地元の人向けのハマムにも行った。
スイーツを食べて満腹になる。
そして三度事件が起きる。

イスタンブール新市街の魚市場横を20時頃歩いていると、自称サウジアラビア人の男に「ジャパン!?」みたいな感じで話しかけられた。
日本で兄が働いているとか「カシマ」とか「アサクサバシ」とか何とか言ってた。
良ければビールを1杯飲まないかと誘われ、なぜだか付いて行ってしまい(中略)ぼったくられました。
もう少し細かい話をすると、前に行ったことがあるというバーに連れられて行く、とりあえず頼む、女性が横に来て飲み物をねだる×複数回、会計する、ふざけた額のメニュー表とともに伝票が来る、ここではカードは使えないからリラで払えと言われる、手持ちがないならカード持ってATMまで来いと言われる、(僕の場合カードが海外キャッシング非対応なので)引き出せないならあるだけ外貨で良いから渡せと言われる、偽外国人がお前のために足りない分を払ってやったと言う、実はトイレに行った時に入場料も立て替えていたとか言い出す、従兄弟へのプレゼントを買って家族のところへ早く行かないといけないと急かす、タクシーで移動、クレジットカードでスマホを2台買わされる、タクシーでバス停まで送ってくれる、みたいな感じでした。

この件に関して色々考えて以下の様なことを思いました。
(連れられることを回避するため)
・信じることは悪くなかったが、場面によっては疑うことは必ずしも失礼ではない
・話しかけられて付いていくことは社交的というわけではない
・IDの提示、写真撮影、SNSの開示などを必要に応じて要求する
・会話中にカマをかける
・話しかけてきた人が誘う場所には信頼証明がされない限り行かない、というポリシーを宣言する

(いざぼったくりバーに連れられたら)
・騙す目的なら同意がなく契約は無効であり、そもそも払う理由がない
←これは値段を後出しされても法的に払わないといけないような気がして強く出られなかったので強調しておきたい、トルコの民法は知らないがたぶんだいたい同じだろう。
・何なら逃げても向こうは警察を呼べない
・騒ぎ立てて事を荒立てて、周りの人に警察を読んでもらう
←路上に偽警官を待機させてる場合もあるので、複数人呼ぶ、交番に行く、電話で呼ぶなどが必要
・英語が分からないふりをする
←話の流れ上難しいかもしれない
・クレジットカードのPINをすっとぼける
・レシートを要求する
・店の写真を撮る
・店員の写真を撮る
・可及的速やかに出る
・隣に来た人におごらない
・偽外国人に全部おごってもらう約束をさせる
・何はともあれとりあえずツーリストポリスへ行く

(怪しかった点)
・イスタンブールで日本人に会うのは別にそんなに珍しくない
・トルコ語がうまい
・土間土間をレストランとか言う
・踊りがめっちゃ好きと言いつつ踊らない
・頼むから払ってくれ的なことを一緒になって言い出す
・クレジットカードを使わない
→入場料で限度額が尽きたと言っていた気がするが、それなら代金の支払もカードで出来るはずである
・前に行ったはずなのにその時の入場料の話をしない
・要求する入場料が途中で値上がりした
・メモしてると見せてくれと言ってくる
などなど。

トラブル情報はちゃんと確認しよう!

さてバス停まで来てしまったのは仕方ないので、テッサロニキ行きのバスに乗り、車内wifiで色々とどうにかする。
トルコを出る前のサービスエリアに50円ぐらいのパンチングマシンがあったので、思い切りぶん殴って出国した。

9/25
朝8時過ぎに着く。
フィリピンでも世話になったウエスタンユニオンで家族からの送金を受け取る。
毎度申し訳なし。
パン屋で朝食にパンを2つ頼んだらやたら多くなった。
最近食べられる量が減ったような気もする。
博物館や街中の遺跡を観て、カフェで休憩して電車でカランバカに向かった。
カフェでお姉さんが少しケーキをサービスしてくれたことがギリシャ最初のプラス点だった。
電車内ではガイドブックに載ってる歴史の話とかをつらつら読んでました。
ギリシャ神話面白い。
19時半頃到着しチェックインするが、部屋の電波の入りがいまいちで、時々廊下に出ないといけない。
近くのレストランで夕食にグリークサラダ、ムサカ、グリークコーヒー、後なんかデザートを頼んだが、サラダの時点で割と多くて、デザートはテイクアウトした。
グリークコーヒーは凄い濃厚というかでろっとした感じだった。
今調べたところ上澄みを飲むものらしい。

それから明後日以降の予定を考えたりメールをチェックしたりしていた。

エントリー締め切り日程のお知らせ的なメールがだんだん増えてきた。
恐ろしいことに帰国翌日から10月の平日で授業もことによると始まるので、アテネ滞在しているあたりで観光そっちのけで準備作業をする時間を設けた方が良い気がする。

明日はメテオラを観光して17時半頃の電車でアテネに向かう予定。
結構トレッキングみたいな行程になりそうで、歩きっぱなしのこの旅行には丁度良いだろう。

2013/09/24

2013/9/23

10時間ぐらい寝て9時過ぎに起きる。
ちょっとした朝食をとって、旧市街に向かう。

交通機関の使い方が分からず、同じ路線を1往復半したりしながら(2駅しか無いが)、イスタンブールカードという便利な代物を手に入れて、旧市街に着く。
6本のミナーレがあるモスクを観て、トプカプ宮殿に行こうとするも混んでいたのでとりあえずその辺に座っていると、トルコ人(22)に話しかけられた。
特に何を売られるでもなかったが、彼は叔父の会社でバイトをしていて、接待のためにチケットを買っているらしい。なるほど。
適当に話しておすすめの店とバスチケット売り場を聞いて分かれた。

ひとまずギリシャ行きのバスを買おうと教えられた旅行会社に行く途中、絨毯売りに話しかけられた。
トルコのものはキリムというらしい。キリムズワールドという店です。
キリムが欲しい人はどうぞ。

その近くの旅行会社でバスチケットを買えるか聞くと、別の代理店を教えられた。
礼を言って去ろうとするとどこから来たか聞かれたので日本と答える。
日本人だと思わなかったと言われたのが地味に気になるが、彼は日本客担当らしく日本語がうまかった。
なぜカッパドキアに行かないかなどを説明して、またトルコに来たら(たぶん)ここに頼むよ、的なことを言って去る。そうすることは全然有り得る話である。

バスチケットは別の場所で無事購入し、テッサロニキ行きが決まった。
勧められたレストランに行こうとしたら客引きにそっちに連れられたが、似たような名前のレストランが複数あって本当にそこだったかは分からない。
というかロカンタ(大衆食堂)ではなくレストランだったので違う気がする。
イスケンダルケバブなどを食べました。悪くなかったです。

それから再度トプカプ宮殿に向かい、観光する。
普通の宮殿だと思います。

ふらふら歩いてガラタ橋の辺りまで行き、橋の下のレストランでサバサンドを食べた。
想像通りの味だった。一度で良いと思う。

モスクを観ていると強烈に眠くなったので宿に戻って昼寝。

起きてから色々予約したりしていた。

宿にまたも結構日本人がいて、特に言うことはない。
僕は何が楽しくて旅行しているのかを考えて、それに特化してお金や時間を使ったほうが良い気がする。
仮説では食べ物とアクティビティである。
観光はそんなでも無い気がしてる。

カウチサーフィンのリクエストを送ってみた。
おそらく普通はもう少し時間に余裕を持って送るものだと思うので、駄目なら諦めて宿を探す。

明日はアヤソフィア博物館に一応行って、適当にふらつく。
夜行バスに乗る前にハマム(銭湯的なもの)に行ってみたい。
地元民用で構わない。

2013/09/23

2013/9/21-22

9/21
夜行でテヘランに戻ってきてから、適当に時間を潰し、いくらか両替する。
国際郵便を送ろうかと思ったが2週間かかるらしいのでやめた。
考古学博物館やガラスと陶器の博物館を見てから、カフェに行って休む。
それから宝石博物館を見た。写真が取れないが結構凄かった。
飛行機の時間まで滞在するためにホテルを取り、ネットを見たり昼寝していた。
23時頃に出発のため起き、ここで再び重大事件が起こる、というか、に気付く。

バックパック(大)に入れていた1000ドルが消えていた。
イランで無くなったのは間違いなくて、おそらく長距離バスに預けた時ではないかと思っている。
ほとんど服と靴しか入ってないバックパックの奥深くに入れておいたので、さすがにこんなところにあるとは思わないだろうと踏んでいたのですが、盗人の執念を感じました。よく見つけたな…。
とりあえず当座の現金は別に分けてあり、クレジットカードもあるので何とかなりますが、今後はもう少し気をつけます。
ただ全部まとめて持つのもやっぱりどうかと思うので、二つに分けるならちゃんと半々ぐらいにするべきだなと感じた。今回は持ち歩く用の財布にお金がなくなったら補充するつもりで、非常に不均等であった。

そんな感じであれまあと思いながら、とりあえず空港に行き、おみやげとかを買った。
ちなみにおそらくこのタイミングでイランのサマータイムが終わり、時計が1時間ずれていた。

9/22
テヘランからイスタンブールにひとっ飛び。
飛行機からバスに移る時にまず思ったのは、寒い。
その後空港からのバスで市街地に移動したが、なお寒い。
ベーグルを食べて、宿に荷物を置いて、次に買ったものはパーカーでした。
新市街の良い所に宿があったので、大きな通りをぶらぶら歩き、色々食べ歩いた。
その他は現代美術館と軍事博物館に行った。
一回戻って昼寝し、塔に登って、また少し食べ歩いた。

もはや半袖の季節ではないのだろうか。
すっかり秋めいていた。

自由なインターネット万歳である。

食べて美味しかったのは、ベーグルとジェラートですかね。
逆にいまいちだったのは、焼き栗と焼きとうもろこしです。
ケバブは屋台のものはファーストフードなのでそれなりでした。

若干風邪気味です。
ティッシュを調達せねば。

明後日以降の予定を考え中です。
明日はイスタンブールを適当に観光します。
まあそれも考えるべきかもですが…。
イスタンブールから陸路でギリシャに入る方法を調べていて、ギリシャにメテオラという世界遺産(確か奇界遺産でもある)があったのを思い出し、日程的にちょうど良さそうなので行くことを前向きに検討中です。
そうすると、24の夜行バスで25にテッサロニキに入り、夜にメテオラ近くのカラムパカに泊まり、26にメテオラを観光しアテネに移動。
27から29の夕方までアテネを観光して終わり、という感じになりそうである。
宿泊費を浮かせるプラス経験としてカウチサーフィンを使いたいと思っているので、27と28のアテネ泊あたりで使えると良い。

2013/09/21

2013/9/16-20

ネット的には消えていましたが生きてます。
イランのネット規制によるものです。

以下は5日間のメモ書きですが、ところどころ追記してます。

9/16
この日はテヘランをふらついてから夜行バスで南のシーラーズに行った。

夜のドバイ空港はやたらピカピカしていた。
テヘランにはすぐに着いた。

パスポートコントロールで若干危惧していたが、別人だろと言われ、政治を勉強していると言って訝しまれたが、何とか入国。
空港をふらついてから両替し、タクシーで街の中心部へ。
ペルシャ語の分からなさがやばい。
とりあえず歩き回ってレストランでサンドイッチを食べる。
考古学博物館の手前にあった革命前の収容所の博物館にたまたま行ったところ、自作映画などコンテンツが充実していて、近くにいた美人のサイエンティストが翻訳を買って出てくれたこともあって割と良かった。
日本はアメリカと戦ったから味方だとおっさんに言われたのが印象的だった。

この街では歩いているとやたら声をかけられる。本当に頻繁に声をかけられる。
一緒に横を歩いて「イランは最高、警察は最悪」というようなことを言ってきた爺さんがいた。

カフェでこの国のネットの検閲っぷりを知る。
SNSは駄目だし、このブログも駄目である。めっちゃ厳しい。
ちなみに入れないところは404か、政府おすすめのページヘのリンク集が表示される。

話しかけてくる人はだいたい親切で、特に何かを売ろうというわけでもないようだ。
地下鉄でも親切な人達に助けられた。ちなみにめっちゃ混雑している。

バスターミナルがとても広く、売り場が分からなかったので、片っ端から聞いてチケットを手に入れた。ペルシャ語の必要性を感じた。バス乗り場も分からず付いて来てもらった。
バスは割と良いバスである。
イランの夜は結構寒い。

9/17
この日はペルセポリスとシーラーズを観光し、シーラーズに泊まった。

シーラーズには8時過ぎに着いた。
バスステーションでどう行くか考え、チャイを飲みながらペルシャ語を覚えようとした。
数字はすぐに覚えられた。チャイは普通の紅茶である。

またも助けられながらミニバスでマルヴダシュトというペルセポリス近くの街へ行く。
単位が混乱しタクシーに5倍ぐらい払う。10万リヤル=1万トマンという言い換えがある。
ペルセポリスと近くの何とかという遺跡は結構な観光地価格であった。
地球の歩き方と違う価格なのは外国人価格が設定されたのかもしれない。
後に気付くが、ここに限らずペルシア語と英語では書かれているチケット代が違う。

飲むヨーグルトが酸っぱい。

ミニバスで日本語が話せる中国人に会った。

シーラーズで適当に宿を探す。
夕方はやっぱり涼しい。
この日両替したレートでは、1万リアル=33円ぐらい。
屋台でサモサを食べメロンジュースを飲む。

バザールを抜けてチャイハーネでディーズィとチャイを注文する。
店内にいたオランダ人バックパッカーに勧められてステンドグラスの綺麗なモスクを目指す。
たどり着いたが日没後はそんなに綺麗でもなかったので翌朝出直すことにする。

帰りはバザールであり得ない迷い方をし、同じ道に戻ったりしていた。

夜はインターネット規制と格闘していたが、ネットが有料だったので適当に諦めてさっさと寝た。

9/18
この日はエスファハンまでバスで移動して、少し観光した。エスファハン泊。

朝食ににんじんジャムがあった。それっぽい味だった。

件のナスィーロム・モスクは日が差し込むとまあまあ綺麗だった。
しかしもう少し遅い10時とかが一番きれいな気がした。

普通のバスでエスファハンに向かい、あまりに暇なので色々進路とかの考えごとをしていた。

例によって宿を探し、無難に歩き方に載っていたところにした。
世界の半分と言われたエマーム広場は広場だった。
そろそろバザールは買う気がないとそんなに面白くないと気づいた。
宿には何人か日本人がいたが、持ち前のコミュ障を発揮してスルーしたのは若干後悔している。

この辺りで旅程の無理感が発覚し、トルコは通過点といった感じになる。
カッパドキアも諦める。観光はそもそもおまけ(メインは食事?)なのではないか、という気すらする。

9/19
この日はエスファハンを色々観光し、テヘランに戻った。テヘラン泊。重大事件発生。

エスファハンのモスクや教会や庭園などを色々観光した。
結構歩き疲れきったので、砂糖をむさぼる
宿でバスを手配してもらう。
13時15分発のバスだったが、なぜかキャンセルされて14時発のバスに変更された。
21時ぐらいにテヘランの中心に戻り、宿を探し歩いていると、「この辺のベッドは満杯だ」とだけ伝えて去っていくおっさんが現れたが、特にそんなことはなかった。

宿を見つけチェックインしようとして、パスポートが無いことに気付く。
原因はすぐに分かり、エスファハンの宿に預けっぱなしであった。
電話を借りて連絡し、割とやれやれな感じでとりあえず寝た。

9/20
結局エスファハンに戻って、また夜行でテヘランに向かった日。

宿は圧倒的に蚊が多く、耳元で羽音がする度に起きて撃墜するというのを7,8回やった。
電話を貸してもらえなくなったので、テレホンカードを買って連絡する。
郵送してもいいが何日かかるか分からないと言われたので取りに行くことにする。

旅程がとても狂ったので、イスタンブールまでの40時間バスはやめ、カフェで飛行機を探し、22日の未明に出るトルコ航空の便を予約した。1時間半で着く。
このときカフェの人がFacebookを何気なく見ていて、どうやってるか尋ねると、vpnで抜け道を使っているらしいということが分かった。

バスでエスファハンに戻る間はやはり暇なので、道をぼんやり眺めたり、詰将棋やエイトクイーンをやってた。
隣の席の人からギャズというお菓子をもらった。

エスファハンの宿でパスポートを回収すると、何やら宿の人が計算機を叩きマネーマネーと言っているので、ここまでの交通費を払ってくれるのかと淡い期待を抱いたが、泊まるならこの値段だと言っているだけであった。
泊まらねえよ。

帰りのタクシーで一緒になったベルギーの学生と何を話したかよく覚えていないが、マダガスカルに行くとか行ったとか言ってた。

ターミナルに着くとテヘラン行きのバスが大概なかったが、セキュリティの人がどういう事情か協力してくれてちょうど良い時間のバスに乗れた。
もしかして臨時バスだったのかもしれない。

そんな感じの5日間でした。
まだイランですが、VPNを駆使してブログが更新出来てます。
ちなみに今いるカフェと、記事中のカフェは全部同じところで、これで三度目である。

2013/09/16

2013/9/15

午前にドバイ・モールに行き、ブルジュ・ハリファに登った。
期待していたよりも良かった。ただし世界一高い展望台ではなく、世界一高い展望台は4年前におそらく上海で登ったやつである。
モールの横の噴水ショーが非常に楽しかった。
日本食っぽいものを食べてから宿に戻って、デザートサファリに参加した。
砂漠をぐわんぐわん進むのは若干車酔いっぽくなったが、その後でラクダに乗ったり、ヘナ・タトゥーを入れたり、踊りを見たり、踊ったり、食べたり飲んだり、色々出来たので総じて良かった。
昨日書いたサウジアラビア人のほか、一人旅のモンゴル人、イギリス人とテーブルを囲んでいた。
タバコを吸ったことがないのに水タバコを吸ってみたが、あまり魅力は分からなかった。
宿に戻って旅程を考えている。

カッパドキアは行きたかったが、例の事件があって、それでも危ないとは思わないが、今の時期に行ってもおそらく十分に楽しむことは難しいと思われるので、またの機会にします。
とりあえず向こう5日ぐらいの予定を決めました。
テヘランを少し見てから夜行でシーラーズに行き、翌朝ペルセポリスと合わせて観光。シーラーズに泊まってからエスファハンに移動し、観光・宿泊。もう少し観光してからテヘランに戻って泊まり、翌朝テヘランを少し見てからイスタンブールへ移動。
というような感じになりそうです。

明日はエミレーツ航空でテヘランに飛ぶ。
例によって5時ぐらいにチェックアウトである。
2日ほど強行軍である。

2013/09/15

2013/9/14

朝5時起きでバス停に向かう。
タクシーがいなくて絶望しながら歩いていると、今までは使う機会がなかったルートタクシーが止まってくれた。ルートが決まっているがとても安い。
途中のSA的なところで寝ぼけて痛烈にガラス戸に激突した。
昨日買った果物を食べたり寝たりしているうちに、ドバイに着いた。だいたい12時半頃。
余っていたディルハムを使ってマクドナルドでマックアラビアを食べた。結構いける。
宿にチェックインして、しばらくごろごろしてから出かけると、同じ宿の人に声をかけられ、一緒にモールに行くことになった。
アメリカの大学でドクターをやっているサウジアラビア人、と言っていた気がする。
特にすることもそんなになかったので、モールでしばらくふらふらし、雑談めいたことをしていた。
明日サファリに行くと言っていて、値段が手頃かつ諸事情により現金が余ったので参加させてもらうことにした。
その後別れてゴールドスークのあたりへ行き、カフェテリアで夕食。カフェテリアは素晴らしい。
宿に戻ってインターネットを借りて、色々していた。

サファリに行くと若干足りなくなるぐらいのところで、ブルジュ・ハリファという完成している建物でおそらく一番高いところに行こうと思って更に両替したのですが、予約していくとカード払いなので意味なかった。
おそらく数千円分余るので最終日のトランジットの時に使おう。

オマーンは良い面と悪い面が交互に見えた感じでプラマイゼロぐらいの印象でした。
マスカット以外もワディシャーブとか来れたらまた行きたい。

サウジアラビア人は完全に信用しているわけではないですが、おそらく良い人です。
マレーシアでもやたらコミュ力のある外人と行動を共にしたことがあった。

明日は昼にブルジュ・ハリファに登って、夕方からサファリに行ってきます。
明後日あたりから旅程は未定である。

2013/09/14

2013/9/13

金曜は休日なので本当にすることがなかった。

朝4時半頃に礼拝の音(スピーカーでモスクから流れてくる)で目が覚めるも、そのまま10時半頃まで寝ていた。
ドバイ行きのバスチケットを買い、オマーン料理の店に行くも13時から開くと言われ、その辺をふらつく。
12時から13時頃が礼拝の時間なのか、KFCすら空いておらず、ふらつく。
多くの店が閉まっていて、ココナッツジュースだけは買えたが、買った直後に閉まった。
件のレストランに行くと個室で椅子がないオマーン式の食事が出来た。
ここで食べ過ぎたため、一旦ホテルに戻ってゴロゴロする。

夕方再度出て国軍博物館に行こうかと思ったが、入口まで辿り着くのが交通量の多い通りで難しく、かつタクシーで行くには閉館間際過ぎたので、そのまままたホテルに戻ってゴロゴロする。

18時過ぎぐらいに再々度出て、マトラスークへ向かった。
タクシーを使おうかと思ったが渋滞していたので結局歩いた。
絵葉書をお土産に買い、チキンティッカとキウィジュースを飲み食いした。美味い。
タクシーで帰ろうとしたら2回ほど値段が折り合わず、結局またも歩いた。
スーパーで明日の朝用の果物を買ってホテルに戻った。

正直RO(リヤルオマーン)は若干余っているのでタクシー乗っても良かった気がしなくもないですが、贅沢は苦手である。
そうだチップにしよう。

食べまくって歩きまくっているので、旅行後に痩せているのか太っているのか判別できない。
あまり歩きたいわけではないのだが…。

明日は6時発のバスに乗るため5時ぐらいには起きます。
早朝にタクシーが捕まるかは不安である。
正直交渉制のタクシーは観光客には不利でしかないので普通にメーター式が良い。
ドバイでは今度はユースホステルに泊まります。

2013/09/13

2013/9/12

朝早くチェックアウトしてバスでオマーンに向かった。
入国の時だか麻薬犬のチェックがあった。
なぜかビザ代を請求されずに入国し、14時前にマスカットのルイ着。
しかしうろうろしても両替する場所がやっておらず、どうやら16時半まで開かないらしく困った。
仕方なくホテルまで炎天下の中2.5km程歩き、何とか休む。
フロントで両替出来る場所を聞くと2kmぐらい先と言われ、日がやや沈んだ頃に再度歩いてマトラへ向かう。
マトラスークを抜けて、16時半ちょっと前に何とか両替出来て、ようやく食事をとった。
それからフィッシャーマーケットやマトラ・フォートをちらっと見て、タクシーでオールドマスカットをぐるっと回る。RO5はやや高かった気もするが。
ホテルの前の屋台とレストランの中間ぐらいの店が安くて美味かったのでまた行きたい。
スーパーで水とトマトとプラムを買った。

トマトとプラムはそのまま食べたのですが、味は普通でした。

今日は予想外に歩くことになってしんどかった。
両替出来ないとは想定してなかった。
もう少し商売して欲しい。

食事は自動ドアがないぐらいの店が値段的に良い。
味はどこも悪くないので、とりあえず安いもので構わない。

朝から食わず、途中から飲まずだったので、移動が長い時とか国境を超える時は何か携帯しようと思った。

ホテルに戻って今後の旅程を考えていたのですが、圧倒的に時間が足りない。
かなり大幅にカットしながらの旅になりそうである。
とにかく移動距離が長い。
なぜ海外でもこのような18きっぷ的な旅になるのか。
おそらく観光にそんなに興味がなく、いかに多くの国の文化(特に料理)をつまみ食いするかに関心があるからだろう。
なんだかんだで旅の期限が決まっていることもあるので、なかなかゆっくりプランは選びづらい。

とはいえ日数を確保すれば、その中でゆったりすることは可能である。
明日はマスカットから特に大きく移動もせず、一日のんびり過ごしたい。
金曜はイスラムの世界では休日らしい。

2013/09/12

2013/9/11

8時半頃に起きる。

洗濯物をタオルに挟んでプレスするという脱水法を学んだ。
インターネットは便利だ。

オマーン行きのバスチケットを購入。
分かりづらいので書いておく。
ドバイからマスカットへのバスチケットはシティセンターの駅を出て、エミレーツグループのビルのある角をビルに沿って曲がり、左手にレストランが見えたらそのレストランがある角を左に入る。
客席を超えたあたりにONTC(Oman National Transport Company)のチケット売り場がある。
まあGoogle Mapsを見れば分かるんですが…。

宿泊費が今のところ結構かかっている。
ドバイもマスカットもそんなに安宿がないらしい。

バスステーション(国内)で朝食。
サンドイッチを頼むとだいたいどこでもKFCのツイスターみたいなやつが出てくる。
紅茶はチャイの味がした。

2時間ぐらいかけてアブダビに着く。
地球の歩き方にあった中華料理屋を探し、結局見つからず別の店で中華を食べた。

タクシーでやや遠くにあるモスクへ行った。
世界で三番目に大きいらしく、圧倒的だった。
そして中がめっちゃ涼しかった。

Heritage Villageなどを見てからドバイに戻った。
タクシーの運転手などに何かとドバイ住民だと思われる。
というか一人旅だと全く思われない。
ここで働いてるのかと聞かれたこともあった。

夕飯を食べたアルグバイバのバスステーション近くのLAHORI GATEというレストランで、初めて来たからという理由でサラダなどをサービスしてもらった。
良い店である。
マトンシシカバブが美味かった。

明日は朝のバスでオマーンのマスカットに行く。
行った後はとりあえず市街をふらつく。

2013/09/11

2013/9/9-10

9/9
ごろごろして起きて、荷造りっぽいことをした。
昼は中華料理屋に麻婆豆腐を食べに行った。
昼寝してから荷造りの続きをし、稽古に行って、ほぼそのまま羽田に行った。

午前1時半発のエミレーツ航空でドバイに向かう。

9/10
アイマスクが機内サービスで出てきて感心した。
機内ではバック・トゥ・ザ・フューチャーを見ていた。
滑走路から建物への遠さが印象的だった。

着いた時の気温はまあ普通に暑いぐらいだった。
朝食はタンドリーバーガー。
荷物を宿に預け、メトロでイブン=バットゥータモールに向かった。
昼前だったが、この時の日差しは本当に強く、サウナ以外で経験したことのない暑さを味わった。
来る途中電車から見えた景色は全体的に砂色だった。
Starbucksで一人作戦会議を行い、予定を考えた。

ドバイ・モールにも行き、ひたすら歩いて疲れる。
駅から遠く、そして広い。
全部室内だから何とかなっている。
昼食はピザ。

オマーン行きのバス停を探し求めて歩きまわるも見つからず。
困った。

アルグバイバと呼ばれるあたりをふらつく。
オールドスークでは、やたら「ニイハン」と声をかけられ、バンダナを頭に巻かれかけたりした。
近くにあったドバイ博物館が充実していて良かった。

18時半頃になると一斉に詠唱のような声が流れ、ちらほらと拝礼をしている人がいた。
アブラという渡し船は待っていたが来なかった。

それからチキンビリヤニというどこかで聞いたことのあるものを夕食とし、ホテルにチェックインをしに行くと、既にブッキングして満席になったから4つ星の系列ホテルに移ってくれと言われ、どうしようもないので承諾した。
そんなに悪い話ではないが、そのいい加減さは大丈夫なのか、と後から来た白人にも同じ対応をしているのを見て思った。

歩きすぎないようにしたい。
明日はアブダビ辺りに行こう。
オマーン行きバス停は何とか分かりそう。

2013/09/09

2013/9/7-8

9/7
朝のバスで名古屋へ行った。
昼過ぎに着き、八丁味噌ラーメンを急いで食べて道場へ向かった。
なんとか開始に間に合い、現役枠でOB合同稽古に参加し、懇親会、二次会と大いに楽しみ、夜行バスで東京に戻った。

稽古も懇親会も非常に楽しく、わざわざ東京から行った甲斐がありました。
稽古続ける系のOBになりたいものです。

9/8
朝寝坊しつつもリン班のレポート作成会議に午前から夜まで参加。
分担を割り振って解散。
夜は山手に行くと、駒場が20周年とかで特盛り50円になってた。
自分の担当分をそれとなく終わらせた。

このゼミの負担が圧倒的に大きいのですが、2単位しかもらえないし成績も結構厳しめに付けられるという噂で世知辛い。

明日は夕方に稽古に行って、その後羽田からドバイに飛びます。
3週間ほど中東あたりを旅行してきます。
荷物に入ればPCも持っていくはずである。
旅行の計画を立てて、色々やり残したことを終えてから、荷造りをする。

2013/09/06

2013/9/6

10年後のキャリアプランが相変わらず出来てないが、方向性は見えたような気もする。
本当にそう確信しているかが問題だが、結局今思っていることを書くしかないだろう。

午後はリン班のレポートをどうするか話し合ってました。
久しぶりにモンスターエナジーを飲んだらめっちゃ美味く感じた。
書き直すところが結構多くなりそうである。
というか書ける人と時間が少ない。

人生初坊主にしました。
理由は特にないですが、強いて言えばどんな感じになるか気になったからです。
髪がすぐ乾くので捗る。

バックパックがそんなに大きくないのですが、洗濯前提で行けばむしろ春のマレーシア・シンガポールより荷物を少なく出来るかもしれない。

明日は朝のバスで昼過ぎから名古屋に行き、稽古とかして夜行で帰ってきます。
昼飯の時間もそんなに無さそうか。

2013/9/5

朝に築地で海鮮丼と回転寿司を食べた。
まあまあだった。
築地以外も行っていいと思っているが、朝だとどこが他にやっているだろうか。
ホテルの朝食とか?

帰って何かして昼寝して本を読んだ。

夕方から想食系幹事の活動について代表と取材を受けた。
1時間ぐらい話した後に、食事をした。
どのような記事になるのだろう。
高田馬場のアンジェロという店で美味しいイタリアンを食べました。

帰ってから土曜日に名古屋に行くバスを取った。
記念行事の一環で名古屋でOB合同稽古をやるのですが、不参加のつもりでいたところ参加できることに気づいてしまったので行くことにしました。

それから某社のESを書こうとして詰まり、色々と考え込んでいる。
答はあまり簡単に出る気がしない。
旅程を決めるのとそれを考えるのが旅行前の個人的二大タスクですが、何とか間に合わせたい。

成績が地味に少しずつ出ていることに気づきました。
全部出てからまとめて載せますが、今のところ少し引くぐらい良い。
僕は僕以上に優秀な友人をたくさん知っているが、彼らの成績は一体どうなっているのだろうか…。

明日は午後からリン班のレポートを書き上げます。
事実上明日出来ることが提出前に出来る全部な気がする。
夜は髪を切りに行きたい。

2013/09/05

2013/9/4

午前に某社の1dayに行ってきた。
といっても3時間半ぐらいだったが。
業務説明と事業体感と選考みたいな感じだった。
内容は面白かったが、勧誘文句とその背景に若干飛躍がある気がした。

昼は用心棒で冷やし中華を食べた。
味付けがあまり得意ではないかもしれない。

昼寝して、ロジカルシンキングか何かのセミナーに応募するための文章を書いてから、駒場の夜練に行った。

夜練後に残る人と残らない人では前者のほうがやはり部のコミュニティへの愛着的なものが強いので、続ける人が多く、そういう1年生が多い代は有望だなと思います。
うちの代も振り返ればまあまあそんな感じだったのかもしれない。
ここでの有望とは害悪な存在になることかもしれない。

ベンチャーで成長しろ論はよく聞きますが、どういう成長実績を積む可能性があるのかを明らかにしないとあまりイメージが出来ない気がする。
"a man of the company"ではなく、"the man of a company"を目指すみたいな話だと思っていますが、"the company"に入る方法ならともかく"the man"になる方法は働いたことがないと分からないものだと感じます。

9/5の朝から築地に行くため、この日はさっさと寝ました。

2013/09/04

2013/9/3

午前は渋谷のよつばとダンボー展に行ってきた。
良い漫画。
めっちゃ売れてるんだなと再確認した。

それから駒場の昼練に出て、PANZEROTTERIAという店でフライドピザを食べた。
学生価格で500円飲み物付きという素晴らしさだった。そして美味い。

その後、浜町に移動し、想食系の代表と色々話してから、飲酒事故防止のための交流会に参加しました。
うちの団体もプレゼンをして、今度メディアにも載りそうらしい。
良いことだ。

夕食は肉を焼いたのとブドウなど。

明日は朝から昼過ぎにかけて某社の1dayJOBという名の選考がある。
用事はそれくらいなので、旅程でも詰めたい。

2013/09/03

2013/9/2

10時からリン班のスライド作り。
ぎりぎりに一応終わり、15時過ぎから発表。
当然ながら色々指摘された。

稽古に遅刻していき、結構汗をかいた。
来学期はちゃんと稽古したい気がしている。

それから本郷に戻って、山中寮の飲み会に参加した。
奇跡的に乾杯に間に合った。
昔に比べれば、だいぶ顔見知りが増えたので、過ごしやすかった。
そして交通費が返ってきた+良心的な値段だったので、ありがたかった。

旅行の詳細をそろそろ詰めないといけない。
来週月曜の深夜に出発で、とりあえず直前の稽古は出ることにした。
保険は加入済み。
宿をどうするかだが、やたら米ドルがあって、むしろ日本円がないので、現地精算の方が良さそうである。
そしてドバイが50度近いらしくつらい。

明日は午後に想食系幹事がイッキ飲み防止の団体のところでプレゼンをやるのを観に行ってきます。

2013/09/02

2013/8/31-9/1

8/31
前の晩に例によって夜更かしする。
昼食後、例によってブックオフに寄ってから本郷に戻る。

夕食後はごろごろして本を少し読んで寝た。

充電ケーブルを忘れてきたため面倒なことになった。

9/1
リン班の先生との会議のため、麻布十番に行った。
1時間ぐらいで終わったが、昼食を摂りつつ、部屋を探してふらつき、14時ぐらいから18時過ぎまで学生だけで話し合いとスライドの作成を行っていた。

充電が切れたのでその後は何もせず。

「考える技術・書く技術」を読み終えた。
情報量が多かったが、もう数回読めば役に立ちそう。

誰からもせっつかれない環境で頑張れないといけないように思う。
目的意識を持つのが大事なのだろう。
今それが出来ていないなら、厳しい環境に入りさえすれば何とかなるというわけでもないのだろう。

9/2はリンの発表である。