2015/01/20

2015/1/19

9時頃起きる。
歩くルートを考えたりしてから宿をチェックアウト。

職人街をふらっとして朝食がてらハンバーガーを食べた。
これは普通だった。

サラエボ事件の現場近くのラテン橋を観た。
正確には現場は土手だったようだが、川が増水しておりそこまでは行っていない。

それからひたすら歩き、新市街方面に向かう。
歴史博物館には、サラエボ包囲中の展示などがあった。
また紛争から15年後との比較写真が置いてあった。

受付のところにいた男性から、トンネル博物館までの送迎+ガイドのツアーを打診される。
20ユーロと言われたが、10ユーロと20マルク(額はほぼ同じ)で受けることにした。
自力で行くとすると博物館までタクシーで15〜20マルク、入場料10マルク、そこから空港までの移動(タクシーか徒歩)となるので、まあ妥当かと思った。

地図によるとサラエボは包囲されているとはいえ、空港周辺は国連軍が来たためか隙間となっており、トンネルはその地下部分に作られたもののようであった。
ガイドをしてくれた人は40歳で、当時トンネルを何度も行き来し、最終的にはクロアチア、スロベニアを経由してイタリアまで逃れたらしい。
博物館では25mほどトンネルの中を歩くことが出来た。
ベトナムのクチトンネルよりは歩きやすい。

50ユーロ紙幣しか持っていなかったため、博物館隣のそのガイドの友人がやっている土産屋で両替をしてもらったが、全てコインに替えられ、すわ偽硬貨かと色めきだったが、フランクフルトの券売機で普通に使えたのでそんなことはなかった。
タクシーの人がくれたガムにせよ、トラブルになりそうな要因がたいがい杞憂で終わっている。
ただ「十分注意してください」の国ではある。

そのまま空港まで連れて行ってもらい、軽食を取りながら時間をつぶす。
使い道なくマルクが余ったので、珍しくお金を払ってインターネットを使った。

サラエボからベオグラードはあっという間に着いて驚いた。
30分もかかってなかったと思う。

それからtransitでしばらく待ち、19時過ぎにフランクフルトに着いた。
そして電車で帰宅した。
夕食は機内食のサンドイッチでもあり、ハイデルベルクで買ったアジア系の焼きそばでもある。

ほんの少しだけ試験勉強をした。

サラエボのバラは結局見かけなかった。もう残っていないのかもしれない。
新市街の方は建物も現代的で、結構賑わっていて首都なんだなと感じた。
ただ帰りの飛行機とかはがらがらだったし、もっと多くの人で賑わうようになって欲しいと思った。

明日も通常通りの火曜日。
あっという間に一週間が過ぎた感じがあるな。
ゼミに行って授業に行く。
夕方は資料を印刷してから帰宅する。
水曜日の予習を少しして、出来るだけ文献を読み進める。

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