2011/02/17

正しい自慢

自慢に正しいも何もあるのか、ということは置いといて。

昔とあるゼミ的なものに参加したとき、そのコンパの席で一人一つ自慢をするように言われた。
通常そのようなことを言われたら、学歴自慢でもして終わるんですが、学業ネタを禁じられてしまった。
そしたら特に自慢することが何も思いつかなかったのです。
それは、僕の発想力が貧困だったからかもしれないのですが、少なくともその時は自分の今までの人生とはなんだったのかと思いました。
また、それは自分の自慢すべき長所を人に伝わるように説明できないという表現力の無さでもありました。
というわけで、自慢とは何なのかを考えてみる。

そもそも自分のことを自慢するには、あることで他の人より並外れていないといけないと思うのです。
(まあたまに友人のことや有名人と知り合いであることを自慢する人がいますが。それも自分の手柄だと勘違いしない限りは否定しませんけど。)
たとえ自慢しても良いようなすごい人がいたとして、その人のすごさが様々な要素の組み合わせで成り立っている場合、実際話してみるととても面白かったり知性を感じるような人でも、自分のことを自慢するのは難しいわけです。
僕のことを言ってるわけではないですよ、念のため。

あとは自慢する基準をどのくらいに設定するかも重要ですね。
3ヶ国語話せるとかは高校生とかならすごいですが、大学生では結構いると思いますので自慢になりません(僕は二外が操れませんけど)。
筋肉がすごいとかのささやかな自慢も、井の中の蛙である場合が殆どでしょう。

結局のところ、重要なのは珍しさなのでしょう。
先述の色々と人より優れている人は、組み合わせとしては優秀さの上位に入る(=珍しい)のですが要素ごとではあまり目新しくないため、いまひとつすごさが伝わらないわけです、特に自分で言っても。

だから、もし自慢をしろと言われたら、とりあえず珍しい経験とかを言えばそれが即自慢になってお茶を濁せるんじゃないでしょうか。

…というおそらく二度と使わない知恵を得た。
自慢なんてするもんじゃないよ。

巷に溢れる(溢れてる時点でもうアレ)寝てない自慢とか勉強してない自慢とか、少なくともそれが珍しくもないことだと感じるのならば控えたほうがいいですね。
もしくは地獄のミサワを音読すれば良いと思う。

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