2011/02/10

運気という考え方

別に僕は普通の無宗教な日本人なので、それはすなわち、意識的にか無意識的にか、様々な宗教からある程度の影響を受けているということですけど、あまり非科学的なものは信じていない性質なのですが、運気は存在すると思います。
そもそも運というものを宗教的に捉えるべきかどうかも怪しいのですけど、例えばキリスト教徒が良いことがあったら神のご加護だと思っている(ようなイメージ)を考えると、まあ運も非科学的・宗教的なものと言えなくもないのかもしれませんね。

それで、僕が「運気が存在する」と言うことの意味は、特段真新しいことではなく、いわゆる「因果応報」、あるいは「笑う門には福来る」、逆のベクトルなら「天罰」という類の諺・熟語で表される概念を何となく信じているという話です。
正しい行いをし、人に親切にし、自分を律して勤勉に生きていると良いことが起こりやすいと思うのです。
逆に、怠惰に暮らしたり、人にきつく当たったりすると良くないことが起こるような気がするのです。

それは単に負い目があるかないかで、気分の問題なのかもしれませんけど。
または、前向きに明るい気分で過ごしていたら、何となく気分も明るくなって普通のことが良いことに感じられ、悪いことも気にしなくなれるからかもしれません。
逆に、ろくでもない一日を過ごしたり、マイナスの感情に支配されると、本人は隠しているつもりでもマイナスの雰囲気が何となく漏れでて色々と上手くいかなくなるんじゃないかと思います。
例えば、誰かと仲良くなりたいとして、その人には親切丁寧に接し、一方で別の人には当り散らす、といったようなことをしている人は、親切に接した人からも自然と距離を置かれるに至ると考えます。
きっと人生はマクロで繋がっているのです。

科学的な根拠はないですけど、そういった法則は存在すると思います。
僕のプロフィールの「自らに恥じることなく日々を暮らして」うんぬんはそこら辺に由来しています。

だから僕はもっと誠実に、負い目無く、勤勉に過ごさないといけないな、と感じるのです。
陰徳を積むのです。
良いことをした時の気分の良さで日々を暮らすのです。

文章がゴチャゴチャな上に結局宗教じみた結論になってしまった。
まあそんな考えを目指しています、ということです。

0 件のコメント:

コメントを投稿