2012/03/05

2012/3/4

今日は4hぐらい頑張りました。

何か色々やってたのだけど、まったり過ごしたり部活に行ったりしました。

部のHPはちょっとどこから修正したら良いものか分からない。
今日はほとんど作業出来なかった。

昨夏に引退した4年生の追い出し稽古がありました。
久しぶりに会う方も多くて楽しかったです。
コンパが道場なので中締めはあるものの割と際限なく続き、結局23時半頃までいました。
道場内に9時間ぐらいいたことになる。
色んな人の話が聞けて良かった。

やりたいことが見つからないと最近悩んでいたが、そもそも最初から何かに強い興味を持って生まれてくるわけではないわけで、これまでの人生で劇的な衝撃を受けた出来事もなく、かつ自分がそれをやる必然性があると思えるものにしか取り組まない場合それが見つからず、多くのことに浅い興味しか持てずに何をやったら良いか分からなくなることは当然ですね。
ある種満を持して物事に取り組み始めるという態度の結果としての今は、ちょっとでも興味があることを軽い動機(それに興味のある友人がいるとか)で知っていくことの繰り返しで打破できるのかなと思ってます。
大学の学部生時代というのはそういうことをやるものなんでしょうか。
あるいは脇目もふらずに一つの目標を追い求めるのが悩みが少なく済むのでしょう。
まあ真面目に勉強してきた人には頭が上がらないですね。

僕は学問が手段だと思っているからか、目的がないとモチベーションが続きません。
あまり事例が無いので本当のところは分からないが、逆に目的があればそのために必要なことは苦なく出来る気がする。
そんなわけで僕に必要なのはとりあえずの目的なんでしょう。
先日政治家を目的にしましたが、それもおそらく手段(いわゆる職業としての政治家的な意味で)なんでしょうね。
実際に有効かは知りませんが、例えば、世界平和という目的のために国連で働いてそのために英語やフランス語を勉強するとか、例えば、自然保護という目的のために発展途上国を見て回ったり開発経済学を勉強するとか、そういうイメージで今を規定できたら良いと思っている。
ただ、現状ではその世界平和なり自然保護なりを何にしようかとか、英語を勉強して何に使おうかとか、で悩んでいる感があって先に進んでません。
つまり、目的を一つでも複数でも良いので決めて、そこから今を逆算する作業が僕には必要で、最良の目的を探したり手段から出来る事を先に考えてもしょうがないのでしょう。
やりたいことが見つかっている状態とは、なりたい職業があるとか、積みたい経験があるとかではなく、何か変えたいと思えるものがある、ということでしょう、僕の場合は。
その意味で僕のやりたいことは、もうある程度は見つかっているのかもしれない。少なくとも自分の銅像を立てることを目的として人生設計をしたりはしないわけで…。
これが志というものなのだろうか?

例えば、戦争無くしたいなー、とか漠然と思ったりするのを、戦争の歴史やら構造やらから紐解き、実際に行われている対処策を学び、自分に何ができるかを考えて更に必要な勉強や行動を考えて…という一連の流れのハードルを低くして、座学と実技のバランスも取りつつ、繰り返していくことで素敵な人になれる気がします。
これは重要な作業だが今まで後回しにしてきた結果、残念ながら全くやってこなかった。
緊急のことに追われすぎないように生きましょう。

そんなことを思いました(適当なまとめ)。

今日ツイてたことは、追い出し稽古がとにかく楽しかったこと、久しぶりにたくさんの部員に会えたこと、家にお客さんが来たこと、コンパが黒字だったこと、寿司が美味しかったこと、考えが少し整理されたこと、などです。

明日は特に予定が無いので、HPを頑張って修正します。
あと埃をかぶっていた「日本の論点」を流し読みしたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿