2012/10/18

2012/10/17

起きたら14時だった。
途中で何度か起きたが全く何かをしようという気にならず眠り続けていた。
さすがに良くないと思い、キャンパスで各種事務を済ませた後、バイト先を探してふらふらした。
サブウェイは働きたいと言ってみたが、週3で1年以上が条件と言われたので、来年度以降がどうなるかは分からないと言っておいた。
それから本郷通りの店を色々見て回った。
山手で昼食。
それなりに額を稼げて、かつ続けなくても許されるものはなかなか見つからないので、結局東大のアルバイト紹介システムを使って短期のものから探した。
渋谷の某デパートのお歳暮関連の仕事と某中学受験模試の採点の仕事に申し込みました。
それからみらい選抜の仕事を少しして、イントゥ・ザ・ワイルドを観た。
途中で夕食にパスタときゅうり、枝豆、梨を食べた。
23時過ぎにマクドナルドに行き、友人と幸福について話していた。

アルバイト紹介システムは色々載ってます。
超短期の一日だけみたいなものも意外と結構あるのでそれだけやっててもそこそこ儲かるのかもしれないと少し思った。
デパートの仕事は11月から2ヶ月弱なので、集中的に働くには丁度良いです。
いかんせん来年の2月には1ヶ月間いなかったりするので、短期でないと厳しいものがある。

イントゥ・ザ・ワイルドは実話らしいですが、興味深い話でした。
大学を出てから放浪の旅に出て、大自然の中で死を前にして本にメモした言葉が、"Happiness only real when shared" だったということですが、一考の価値があると思います。
人は一人では幸福になれないのでしょうか。
僕は寝ている時は幸せですが、それは人間関係で形成される文脈の中に自分がいることを幸福だと感じているのだろうか。

そんな事もあってTwitterでマクドナルドにいると知った友人と話してきたのですが、難題でした。
幸福は他者と比べるものではないが、結局自分自身がより良い幸福を求める。
幸福は様々な種類がある。
幸福は満遍なく満たさないと虚しさを覚える。
幸福の基準を決めることは足るを知り、より良い幸福の追求をやめることである。
幸福の追求をやめ現状を最上と確信できたら、幸福の追求を越えた次元に到達する可能性がある。
幸福が最大化されるように自身の幸福の源泉の配分バランスを調整し、また各種の幸福の源泉を早めに探しておいたほうが良い。
…などと考えました。
今出来ることは、自分が幸せを感じる瞬間を探すために色々経験してみることですね。
晩年になって知らない幸福を発見したら、機会の損失が思い浮かんでそれはきっと不幸でしょう。
晩年にならないと見つからない性質のものならまあしょうがないですが。

明日は夕方に某デパートの面接のため渋谷に行ってきます。
今日の夜練は諸事情により行かなかった。

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