2013/12/29

2013/12/28

午前ぎりぎりにHPへのコメントを送った。

それから単語の復習をして、本を読んでた。

何をしたものか分からなくなったが、とりあえず今週やることリストに入っている語学を進めた。
あと、英語のリスニング教材を探しもした。

普通に考えることは大事だと思う。
普通に、というのは変に楽観的ではなく、形式主義的でもなく、こうだからこうなるという因果関係を明確にするというようなニュアンスである。
例えば資格試験の対策をすれば点は上がるが、実際に使えるようになるとは限らない、みたいな。
合気道とかやっていてもそうなのですが、理由は分からないが正しいらしいと思い込んでいる物事は、普通に考えるとおかしい、というケースが結構ある。
実践的な稽古をほとんどしていないけど、型を反復してこなすことでいざ必要になったら(不思議な力によって)完璧に対応できる、みたいな。

なぜそのような現象が起こるのか、あまりこの言葉は好きではないが、本質を掴んでいないからだろう。
そもそもの目的は何で、そのために必要なことは何か、という部分がシンプルになっていない、あるいは実行されていない状態だと思う。
本質を掴むには、これまた好きな言葉ではないが、広い視野が必要だと思う。
何事も初めてすぐの時や、言われたことをこなしているだけだと、全体像、相対関係、全体の流れが見えてこず、比較的どうでもいいことに終始しがちになる。
本質を掴む最も手っ取り早い方法は分かっている人に教わる(あるいは馬鹿にされるぐらいが良いかもしれない)ことである。
その際に経験上「普通に考える」ことの大事さを思い知ることが多い。

前にビジネスは想像よりはるかにシンプルなはずだ、みたいなことを書いた気がするが、似たような話で、必要ならお金を使って、使う以上のお金を得る仕組みを作り、お金を増やす、というのがシンプルな流れである。
全体像が分かっていれば、費用や収益やリスクをざっと算数レベルで計算し、判断を下すだけである。
その時も普通に考えて見積もることは大事で、事前の見積もりを真摯に行えばそうそう大失敗することも無いのではないか、という気がする。
まあ真摯にやると大抵のアイデアはたいして儲からないと分かってしまうので、つい夢を見たくなる感覚も何となくは分かる。
「普通に考えて」楽に出来る事は競合もたくさんいるし、いなくても入って来れるので、何か人より工夫する必要はある。
そういった工夫につながる事こそ、その意味ではその人が勉強なり投資なりすべきことである。
いくら楽する方法をググっていても仕方が無いのだ。
特にオチはないのだが、自分がやっていることややろうとしていることを普通に延長して考えた時にどこに辿り着くのか、それは本当に目指しているものなのかには意識的になっておいた方が良いだろう。

明日は想食系の会議に朝から行き、夜は高校の同期と忘年会である。
会議がどれくらい続くかわからないが、PCとノートがあればとりあえず空いた時間は何とかなるだろう。

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