2012/08/31

2012/8/30

9時に起きた。昨夜もいまいち眠れず。
家から出なかったです。

行政法:82/100h
国際法:83/100h
明日5時間で8月の目標はこなしたことになります。

最近しばしば思うのは、世の中にはいろんなルール(出来ること、出来ないこと、そうであること)とかセオリー(ルール内で期待値を最大化する手段)が存在するということです。
まだうまく説明できませんが、ルールは知らないと不利なことで、セオリーは知ってると有利なことかと思います。
トランプゲームの大富豪でたとえを試みます。
手札をなくせば上がりで、ジョーカーを除けば2が一番強いというのがルールです。
最初は弱いカードを出していって、最後に強いカードで場を流して上がるというのがセオリーです。
ここで1枚ずつ出す方法しか知らない人は、2枚出し3枚出しを知っている人あるいは8切りや7渡しを知ってる人にきっと負けてしまうでしょう。ルールを把握しきってなかったからです。
また革命ルールを知らない人は3を残すセオリーを理解できないでしょう。
同じようなことが世の中にも適応される気がします。
世の中では何が出来て何が出来ないのかを知り、選びうるオプションのうちで自分の設定する上がりに近づくには何をすべきなのかを考えれば、生きることはゲームで勝つことであるかのようだと思います。
だから世の中のルールを知り、そのルールの中でのセオリーを学ぶことが出来れば、非常に有利に生きることが出来るのではないでしょうか。
例えば、高学歴が就活で有利というのは一種のルールみたいなもので、そのルールでは子供を中学受験で進学校に入れることがセオリーだったわけです。
ただ、それは数あるルールとセオリーの一つに過ぎないわけで、別のルールでは適用されないものです。
世の中は僕が知らないことだらけですが、ルールからセオリーを導き出す頭はそれほど人によって差がつくものではないと思うので、重要なのはやはりルールを知っているかどうかなのかな、と思います。ルールというか原則かもしれない。
傍から見れば理解不能な行動も、その人のフィールドのルールに則った場合はセオリー通りである場合がある、と。
実際ルールを知ることで初めてフィールドを知る場合が多いというか、結局知ってる世界の範囲内でしか物事を考えられないというか。

書きながらごちゃごちゃ考えているのでアレですが、まとめると
・ルールを知らないことは選択できない
→駅前留学しか知らない人にスカイプ英会話は出来ません
・ルールは見つけるか教わるかで知る
→作れません
・多くのルールを知り、セオリーを使いこなせると有利
→有利かはともかく人生が高度になります
・ルールからセオリーを導くのは難しくない
→試行錯誤です
というようなルールを僕はおぼろげながら見つけ、学生が人生に応用するためのセオリーとして
・多くの生き方を知る
・ルールの変化に即応できるようになる
というようなことを考えた、と。

やはりうまく説明できた気がしませんがそんなことを考えています。
ボードゲームはやっぱり頭が良くなると思うんだ。
僕は頭を良くしたいよ。

明日は勉強は控えめで、夜は部活に行きます。

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